詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北岡武司「青はじけ」

2019-11-09 23:13:03 | 詩(雑誌・同人誌)
北岡武司「青はじけ」(「どぅるかまら」26、2019年07月10日発行)

 北岡武司「青はじけ」には、ひとつの詩の典型がある。「おばさん詩」の対極にある典型である。「おじさん詩」と呼んでいいかどうかは、むずかしい。

食器を濯ぎ
水のながれに見入る
透明なかたまりの手前で
青がはじけ 心をそめる

 「おじさん」が食器を洗っている。私は、食器洗いは嫌いではない。むしろ好きな方である。私は、食器を洗いながら水を見るということはしない。だから、北岡は私に比べると食器を洗う回数が少ないのかもしれないと思ったりする。つまり、食器洗いが日常になると、「水のながれに見入る」ような意識の持ち方はしない。私よりもっと頻繁に食器洗いをしているから、そういうところに目が行くのかもしれないとも考えるが、きっと違うと思う。
 食器を洗うとはどういうことだろう、洗いと濯ぎの手順はどうすればいちばん合理的かというようなことを考えるのは、食器洗いの「初期」の段階だと思う。
 というようなことは、たぶんどうでもいいことだが、私は書いてしまうのである。
 どういうことでも「初期」というのは「透明」にひきつけられる。「初恋」は「透明な」なのものへの恋である。そして自分の「恋」(こころ)そのものも、たぶん「透明」である。「透明」と「青」はとてもよく似合う。水を思い浮かべるとき、青と透明を浮かべるのは、とても自然な感覚だと思う。ある意味では「定型」になっていることばの動きである。
 「初期」の食器洗いは、そういうこともことばにして書いてみたくなる。きっと。私は、もうそういうことを忘れてしまった。「おばさん」に近づいているのかもしれない。「おばさん」が、この北岡の詩を読み、どう感じるかを聞いてみたい気もする。「おばさん」自身が食器を洗っているとき、こういう気持ちになるかどうか。「青がはじけ 心をそめる」というのは、とても美しいことばだが、その「美しさ」を、「おばさん」は共感として受け入れることができるかどうか。
 私は疑問に思う。
 私は、私が青年なら、この美しさに共感したと思う。でも、いまは共感ではなく、なんだか「なつかしい」感じで読んでしまう。最初に「北岡は私に比べると食器を洗う回数が少ないのかもしれないと思ったりする」と書いたのは、そういう意味である。まだあまり食器洗いなどしたことがない昔なら共感したかもしれない。いまは、水の透明さ、青の変化に目をとめ、それをことばにする北岡を「なつかしい青年」の姿としてみてしまう、ということである。

遠い世界から
何かが私のところへきた
青のはじけとともに
大切なものがやってきて

 この四行は「青春」そのものの感覚である。食器洗いの水、透明、青が「題材」なのだが、食器洗いではなく、別のことを書いても同じようにことばを動かせるのではないかと思う。
 遠い山の中を歩き、水に出会う。その水をみつめる。水をすくう。水を飲む。そのときでも、同じようにことばが動くのではないか。「青春」時代、だれかがそういう詩を書くかもしれない。
 ここから引き返して読むと、「食器を濯ぎ」は、何か、取ってつけたようにも感じられる。あるいは、だからこそそれが「現実」、あるいは「事実」を書いている証拠ともいえるかもしれないが。

 だが、私が書きたいのは、そういうことでもない。

 私が、「あっ、おじさんの詩だ」と感じたのは、次の一行を読んだ瞬間である。

異次元の入り口がひらく

 「大切なもの」ということばだけで、私には充分「異次元」をあらわしていると感じられる。それをわざわざ「異次元」という「日常」はつかわないことばで言いなおしているところ、「抽象的なことば」で、日常のあいまいさを含む「大切」ということばの内容を明確にしようとしているところに「おじさん」を感じるのである。(「大切」というのは抽象的なことばであるけれど、それはもうどう説明していいかわからないくらいに「肉体」かされてしまっている。小さな子どもでも「大切」ということばを「抽象」と思わずにつかっている。)
 具象を抽象によって整理し、ととのえる。
 具象を抽象によって精神化するというのは詩のひとつの定型であり、男性の書く詩の特徴であり、何人かの女性の詩人もおなじ手法をつかう。抽象化することで、現実(事実)を理想(真実)へと高めるということなのかもしれない。
 これは、しかし、私の感覚では、どうも「西洋」から入ってきた「哲学」の手法ではないか、という疑問がつきまとう。
 「異次元」ということばをつかわずに、「現実」(事実)を「異次元」にしてしまうのが「日本流」の哲学ではないかなあと思う。
 そういう意味では、池井昌樹の書いているのが、日本的哲学の具体例になると思う。

 これから先は、「好み」の問題である。
 私は「異次元」ということばで世界を整理する方法が好きではない。抽象的なことばをつかわずに、現実(事実)そのものを、いままで知らなかった世界(知っているけれど、見たくなかった世界/見えていたけれど自分ではことばにできなかった形)にしてみせる「おばさん」の「歪んだ」想像力、現実を歪めさせて自己主張を貫く力が好きなのだ。
 北岡が食器洗いの初心者かどうかよくわからないが、初心者であると仮定して、その初心者にしか見えない「透明」「青」を、「異次元」ということばをつかわずにおいつづければ、「きどったおじさんの詩」とは違った世界が始まったのではないか、と思うのである。

 「おばさん詩」の「定義」がうまくできないので、逆に「おじさん詩」とはどんなことばの動きを抱え込んでいるかをみてみた。「おばさん詩」とは似ても似つかない。「おばさん詩」の「定義」にあうものを男が書けたら、それこそ「おじさん詩/おっさん詩」になるのだが、どうも「おじさん詩」というのは「青年が年取った詩」という感じになってしまっている。
 感想だから、いつでも私は自分を棚の上に上げてしまって、かってなことを書くのだけれど。





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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(11)

2019-11-09 10:42:50 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (わたしの掌にひとすじの川を描く)

わたしの掌にひとすじの川を描く
ふるさとの川を描く

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