詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『フランチェスカのスカート』(11)

2021-07-01 15:53:30 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(11)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「鏡」。町から鏡が消えた。排斥運動が起きたのだ。
 鏡とは何か。

       おのれの内面のおぞましさを強調して映し出す偽りの道
  具。見る者をたらしこんで、自己愛を肥大させる退嬰への誘惑。左
  右を反転させることで現実への認識力を奪う欺瞞の坩堝。

 高柳好みのことばが一気に書かれている。「内面」「偽り」「反転」。どれがキーワードだろうか。「鏡」以外にも通用することばがキーワードだと考えた方がいいだろう。ほかの何かを書いたときでも「無意識」に出てきてしまう高柳の肉体になってしまっていることば。
 「強調して」の「強調する」ということばがキーワードであると私は読んだ。
 そこにあるものを「強調する」。いままで見過ごされてきたものにスポットをあて、それを増幅させる。
 その結果として、たとえば「退嬰への誘惑」「欺瞞の坩堝」ということばがある。「自己愛を肥大させる」では不十分。「現実への認識力を奪う」では不十分。だから「自己愛を肥大させる退嬰への誘惑」と書き、「現実への認識力を奪う欺瞞の坩堝」と書く。それは比喩か、象徴か。いずれにしろ、過剰なことばの運動である。
 詩は、過剰なことばの運動のことなのである。
 その過剰さは、鏡を排斥したあと、鏡ではないものを鏡にしてしまう、というところまで進む。

        雨上がりの晴れ間、つかの間できた水たまりについう
  っかりおのれのすがたを映し出してみない人など、一人としている
  わけもないのだ。

 それは「偽りの鏡」(偽物の鏡)であり、「反転した認識」であることによって、意識(内面)がつくりだししてしまう「現実」、ということができる。

 

 

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自民党憲法改正草案再読(2)

2021-07-01 11:01:54 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(2)

現行憲法
第一章 天皇
第1条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

改正草案
第一章 天皇
第1条(天皇)
 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 私は表記の問題、「であつて」(現行憲法)「であって」(改正草案)、「基く」(現行憲法)「基づく」(改正草案)は取り上げない。
 第1条で、いちばん目立つのは「日本国の元首であり」という表現の挿入である。「元首」とは何か。その定義が必要かもしれないが、草案には何も書いていない。「元首」ということばはどこから出てきたのか。「明治憲法」からである。明治憲法が戦争を引き起こしたという反省から現行憲法が制定されたと私は理解しているが、自民党草案は、その反省を無視して逆行している。なぜ「元首である」という定義が必要なのか。戦争が起きたとき、「内閣」に責任はなく「元首」に責任があると、責任を押しつけるつもりなのだろうか。「先の大戦」(改憲草案)では天皇の戦争責任は問われず、内閣、軍部の責任が問われた。そういうことがないようにしたい、という意図があるのかどうか、よくわからない。
 また、「前文」では「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」と書かれていて「日本国の象徴」という表現ではなかった。ここの違いも、微妙だけれど、微妙だけに「意味」があると思うが、書き換えの意味が私にはわからない。
 私は、それとは別に、もっとこまかな表現の変更が気になる。なぜ、こんなこまかな「手直し」をしたのか。私の言う「こまかな点」とは。
 ①現行憲法では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と「象徴である」を二回繰り返している。改正草案では「日本国及び日本国民統合の象徴であって」と一回にしている。文章を整理しただけなのか。そうではないかもしれない。
 「及び」ということばは日常頻繁に耳にする。意味はわかったつもりだが、定義するとなるとなかなかむずかしい。二つ以上のものを同等にあつかうとき「及び」と言うと思う。現行憲法は「日本国の象徴」であることと、「日本国民統合の象徴」であることは違う言っていると理解できるのに対して、改正草案は「日本国」と「日本国民統合」は同等のものであり、その切り離せない二つのもの「日本国」「日本国民統合」の「象徴」である、と言っていると思う。「日本国=日本国民統合」という意識が隠れている。これは言いなおせば、「日本国(政府)」に反対するものは「日本国民ではない」ということだと思う。政府の政策を批判すると「反日」ということばが頻繁に繰り返されるが、そういう意識が隠されてると思う。「政府批判を許さない=政府の命令に従うべきだ」という姿勢は「緊急事態条項」へとつながっていると思う。天皇(天皇制)を利用して、自民党の独裁姿勢を忍び込ませている。
 ところで、この「及び」のつかい方は、後日で触れることになるが「公益及び公の秩序」(改正草案12条)のように頻繁につかわれる。私は、それがとても気になる。「及び」の意味は「同等、イコール」であることが多い。「公益=公の秩序」である。「前文」にも出てくる。「日本国は、(略)国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」この「及び」も実際は「行政=司法」であることは、最近の司法の動きをみているとよくわかる。司法は行政を断罪しない。そういう意味では「改正草案」の先取り実施されている。繰り返しになるが、ここで強調されているのは「日本国=日本国民統合」という意識である。政府を批判する人間を「日本国民ではない」と批判し、排除する姿勢である。政府を批判する人間を含めて「日本国民」であることを現行憲法は認識しているが、改正草案は認めようとはしない。
 さらに気になるのは
②「この地位」(現行憲法)が「その地位」(改憲草案)と書き直されている点である。「この」と「その」は、どう違うか。「この」と「その」は、それぞれ何を指しているか。「この」はより近いもの、「その」は少し離れたものを指し示すことが多い。
 それをあてはめると「この地位」の「この」は「象徴」である。「象徴という地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」「地位」と理解できることばが「天皇」と「象徴」と二つあるからこそ、それを識別するために「この」をつかって、直前の「象徴」を指していることを明示している。
 これに反して、改憲草案の「その地位」の「その」は「象徴」ではなく、「天皇」を指している。「象徴」が「この地位」であるのに対して、「天皇」が「その地位」である。「天皇という地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」もし「その地位」が「象徴」であるなら、現行憲法の表現を変える必要はない。変更するのは、そこには現行憲法とは違う意味を持たせるためである。
 それにしても、この改憲草案の「天皇の地位は、国民の総意に基づく」という「定義」は非常におかしい。なぜなら、天皇は「世襲」であり、「世襲」そのものに国民は関与できないからである。
 「世襲」に関する第2条は、次の通り。かなづかいの変更だけであり、改憲草案は現行憲法を踏襲している。

第2条(皇位の継承)
 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 ある人が「象徴である」かどうかは、国民が判断できる。国民の象徴であることは認めないという人がいても「多数決」を「総意」とみなせば、「象徴」になる。けれども、だれが父親であり、だれが母親であるということは、「国民の総意」とは関係がない。ふたりがセックスをして子どもを産むかどうかであり、それはあくまでも個人的なことである。いまの天皇が平成の天皇の子どもではないと主張できるのは、平成のセックスし、皇后を妊娠させた男だけである。子どもを産むことを個人的な行為であり、世襲もまた個人的な関係である。もし、子どもを産むことが個人的な行為ではないと仮定するなら、それは「天皇制」を単なる子どもを産む機械と認定したに等しい。
 なぜ、「象徴天皇」ではなく、「世襲天皇制」を「総意」と改憲草案は定義するのか。定義しなければならないのか。
 きのうは触れなかったが、「前文」にあった「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」の「家族」と関係している。「家族」を「国家」の、言いなおすと「支配体制」の理想としているのである。家長(父親)が家族を支配する。その支配関係を国全体に広げていく。長への批判を許さない。そういうことが、この「その地位」の「その」のなかに隠れている。

 私の書いていることは細かすぎてくだらないかもしれない。しかし、考えてみなければならないのは、なぜ、そんな細かな(くだらない)改正をしなければならないかである。細かくくだらないことなら、現行憲法の文言をそのままにしておけばいい。そうしておいては、憲法改正の狙いと違ったものになるからこそ、細部にこだわっているのだ。細部の積み重ねが重要なのだ。細部さえきちんと積み上げていけば、「緊急事態条項」がなくても「緊急事態条項」に匹敵するだけの権限を自民党政府が握れるのである。見逃した一つ一つのことばが「緊急事態条項」と関係しているのである。
 私は、そういう視点から改正草案を読む。


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