詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『フランチェスカのスカート』(17)

2021-07-23 10:40:53 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(17)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「手紙(二)」。

 砂漠を旅するひとから手紙が届く。そこにはそのひとが見た「目新しいこと」が書かれている。ほかに、こういうことも書かれている。

  砂漠を抜けた南の密林地帯には、人間に似た恐ろしく獰猛な動物が
  すんでいるし、一年中素っ裸で密林を歩き回る小さな人たちもいる
  という話だ。できることなら、そういう人たちにも会ってみたい。

 実際には見ていない。聞いただけである。ことばである。
 語りのなかに、もう一つの語りがある。それは最初の語りと同等の「意味/価値」を持っている。つまり、ことばである限り、それは直接的な報告であろうと間接的な報告であろうと(伝聞であろうと)、同じ重さを持つ。
 なぜか。
 読む人にとっては、どちらも自分の知らない「ことば」だからである。それは「事実」ではなく「ことば」であり、「ことば」にされた瞬間に「事実」になる。
 この考え方が、高柳のことばの運動を支えている。

 

 

 

 


*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/item/DS2001652


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党憲法改正草案再読(17)

2021-07-23 10:12:42 |  自民党改憲草案再読

 第25条は、「生存権」ということばで呼ばれることがある条項である。

(現行憲法)
第25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(改正草案)
第25条(生存権等)
1 全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、国民生活のあらゆる側面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第25条の2(環境保全の責務)
 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。
第25条の3(在外国民の保護)
 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。
第25条の4(犯罪被害者等への配慮)
 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

 現行憲法も改憲草案も「国民の権利」を書いた後に、国の「責務」について言及する。「公衆衛生」ということばが出てくるのは、「公衆衛生」が前項の「健康」と深く関与するからだろう。
 現行憲法が「すべての生活部面について」と書いている部分を、改憲草案は「国民生活のあらゆる側面において」と書き直している。なぜ「国民」ということばを挿入したのか、なぜ「部面」を「側面」と言いなおしたのか。たぶん「国民生活に限定した側面」という意図なのだろう。「国民生活」という限定外であると判断した場合は、国は努力しなくてもいいという余地を残していると思う。「すべて」の対極にあることばは「個」である。それをもとに、「すべての生活」ではなく「国民生活」というのは、きっと「個人の生活」ということになるだろう。そう思って読むと、次の新設条項の意図がわかる。繰り返しになるが、引用する。

(改正草案)
第25条の2(環境保全の責務)
 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。
 
 「国民と協力して」とは、「国民に協力させて」である。個人(一部の国民)の反対を許さない。一部の国民(個人)の権利を奪ってでも、多くの国民が良好な環境を享受することができるなら、その政策を遂行する、ということだろう。
 第24条が婚姻という個人の権利と自由の問題であるのに、それを「家」の問題にすりかえたように、「環境」という大きな問題で個人の権利を侵害することを許容する(要求する、押しつける)余地がある。国への禁止事項が見当たらないのが、憲法として不自然であり、不気味だ。
 「国民と協力して」というのは「協力」ということばが「美しい」(批判しにくい)だけに、とても危険なことばである。このことばはきっと「国民は協力しなければならない」という意味に解釈されるはずである。協力しない国民は「公益及び公の秩序に反する」と言われるだろう。俗に言う「反日」というレッテルが張られることになる。そういう危険を抱え込んでいることばである。

(改憲草案)
第25条の3(在外国民の保護)
 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

 もっともなことである。しかし、どうやって「保護」するのか、ここには明言されていない。拡大解釈ができる余地がある。たとえば救出のためにチャーター機を用意する、というのと、救出のために(あるいは保護するために)武力をつかって侵攻するというのでは、やることが違ってくる。ここにも国に対する禁止事項が書かれていない。

(改憲草案)
第25条の4(犯罪被害者等への配慮)
 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

 とても大事なことだが、同時に「加害者及びその家族の人権」にも配慮しなければいけない。加害者の人権(権利)については、第31条以下に書いてあるが、その条項と比較すればわかるが、この新設条項にも国への「禁止事項」ではない。
 現行憲法は、まず国民の権利を明確にし、その権利保護のために国は「務めなければならない」と規定している。
 改憲草案は、そのスタイルを踏襲した上で国の責務を書いているように見えるが、保障される国民の権利が何かがよくわからない。つまり推測するしかない。たとえば、改憲草案第25条の2の場合なら、それに先立ち「国民が良好な環境を享受する権利を有する」という条項がないといけないはずである。第25条の1の2の「国民生活のあらゆる側面」のひとつが「環境権」であるというのかもしれないが、こういうあいまいな表現は、嘘っぽく私には感じられる。
 第25条4に戻って言えば、「犯罪被害者への配慮」が「加害者への配慮をやめる」ということになっては、条項新設の意味がない。人間は必ず更生する(更生し得る)という人間観とどう折り合いをつけるかが、とてもむずかしい。犯罪加害者を厳しく糾弾することで「被害者へ配慮する」ということになりかねない。
 憲法は何よりも国への「禁止事項」でなければならない。
 この問題は、こう考えてみればわかる。
 「犯罪被害者」で、いまいちばん注目を集めているのは「赤木ファイル」事件である。財務省の職員が文書の改竄を命じられ、それが引き金になり、苦悩の末に自殺した。自殺に追い込まれた。これは、私の目から見ればその職員は犯罪被害者である。そして、その職員には家族がいる。この被害者、遺族に対して、国はどんな「配慮」をしているか。
 どんな「加害」があったのか、それを防ごうとした人はいたのか、被害者を守ろうとした動きはあったのか。国は(菅は、安倍は、麻生は)口をつぐんでいる。情報公開を阻んでいる。そうすることで、新たな「加害」を働いている。しかし、そのことは問題にしない。
 「詩織さん事件」というものある。加害者は安倍の「お友だち」である。国は(安倍は)、犯罪被害者である詩織さんに配慮をしたか。何もしていない。「加害者」を守っているだけである。
 ここから見れば、改正草案第25条の4は、被害者が権力とは反対の側にある場合は、けっして実現されないと推測できる。
 自民党のやっていることは、自分にとって都合のいいことは改憲草案を先取り実施し、不都合なことは無視するという形をとっている。しかも、その無視するときに「美しいことば」を羅列している。「犯罪被害者等への配慮」と言われて、それに反対する人は誰もいない。だが、政権にとって不都合な被害者はいなかったことにする。こういうことができるは、条項に、国は「〇〇をしてはいけない」という「禁止」の文言がないからである。
 たとえば、「犯罪被害者から情報開示を求められたら、国はそれを拒止してはいけない」という条項があれば、赤木ファイル事件は、国の違憲行為に発展する。

 美しことば、見かけのいいことばにこそ、注意しないといけない。憲法は、国(権力)に対する「禁止事項」で成り立っているのだから、そのことばが「わかりにくい」とか、「自然な日本語ではない」としても何ら問題はない。国の「逃げ道」を封じるのが憲法なのだから、ふつうの日本語とは「文体」が違ってくるのは仕方のないことなのである。逆に言えば、ふつうの日本語(ふつうの感覚)に見えることばにこそ、「罠」が仕掛けられている、国民を縛る何かが隠れていると見るべきなのだ。
 「赤木ファイル」に戻って言えば、佐川はもっと出世できる人間だったのに、安倍を守って辞職した。「被害者」だ。佐川を守らなければ、さらに安倍が逮捕される、ということが起きる。安倍を「赤木ファイル」の被害者にするな。安倍を守るためなら、自殺した職員、遺族がどうなろうと関係ない、というのが今の政権の姿勢なのだ。国民を守るふりをして、権力と権力の「お友だち」を守ろうとしているにすぎないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オリンピック

2021-07-23 10:01:31 | 考える日記

 東京オリンピック2020がきょう7月23日開幕する。前回の東京大会のとき、私は小学生だった。6年生か、5年生かは忘れてしまった。覚えているのは「アジアで初めてのオリンピック」ということばだ。日本はアジアだった。いま、この日本はアジアである、という感覚がとても稀薄になっていると思う。あのころ、私は富山の田舎に住んでいた。中国人も韓国人も知らない。周囲にいる人も、たぶん、知らない。話題になったことはない。だから、その当時、日本人が中国人や韓国人を嫌っていたかどうか、肌で感じることはなかった。子どもだから、そういう情報に触れなかっただけなのかもしれない。情報があっても気がつかなかっただけなのかもしれない。でも「アジアで初めて」ということばをつかうくらいだから、日本はアジアであると意識が強く、アジアであると意識する以上、同じアジア人を嫌うということも、そんなに露骨ではなかったのではないかと思う。
 いま、やたらと目につくのが「反韓」「反中」ということばであり、また「反日」ということばである。日本政府を批判すると、韓国より、中国よりである。つまり「反日」である、という。そこには「同じアジア」という意識はない。日本はアジアではない、と意識しているかどうかはわからないが、なんとも、うさんくさい意識である。個から出発すれば、日本人である、アジア人である、世界人(?)である、という具合につながっていくはずなのに、途中の「アジア人」の意識が欠けていると思う。
 特にこれを強く感じるのは、最近の台湾をめぐる日本の政策である。日本の政策というよりも、日米の政策、さらに言えばアメリカの政策なのだが、「アジア人」という視点から見ると、その政策は奇妙に見えないか。
 中国が台湾へ侵攻するかもしれない。それは日本にとっての「有事」である。だからアメリカといっしょになって台湾を防衛しなければならない。麻生は、最近、そう言った。しかし、台湾は中国の一地域である、というのが日本の公式見解だと私は理解している。それに反して、実際にやろうとしていることは台湾を中国から切り離し、アジアから切り離す政策に見える。台湾をアメリカ化する。日本を、特に沖縄をアメリカ化したように。このときのアメリカ化とはアメリカの基地化という意味になる。日本、台湾はアジアではなく、アメリカ(西欧)である、という意識がどこかに潜んでいないか。韓国も、そういう意味ではアメリカである。同じアメリカなのに、日本のある人々は、なぜか、韓国人を嫌っている。彼らのなかには、とんでもない「矛盾」がある。「脱アジア」政策をとるいまの政権が、そして、そういう「反韓」勢力(意識)を利用しているというのも、なんとも奇妙なのだが……。
 日本が立つべき位置は、アメリカと一体になることではなく、アジアと一体になることだろう。日本はアジアであるという意識を忘れないことが大切だと思う。
 台湾と中国とのあいだで紛争が起きれば、もちろんそれは大変なことである。だが、その問題を解決するとき、台湾を中国から切り離す、アメリカにしてしまうというのではなく、アジアのままで解決しないといけないのではないのか。「有事」というものが、何と何を指すのか、定義はむずかしいが、何かあったとき、助け合わなければならないのは「隣国」である。中国は隣国である。しかも、日本は中国から多くのことを学んでいる大切な国である。交通網、通信網が発達し、アメリカは遠い国ではないかもしれないが、それでも中国よりは遠い。アメリカはアジアではない。アメリカが台湾をアメリカ化することに対して、異議を唱えるべきである。それができない限り、沖縄の基地はなくならない。逆に言えば、アメリカが台湾のアメリカ化をすすめるとき、日本が「集団的自衛権」を主張していっしょに行動するならば、日本全体がアメリカの基地となってしまう。日本は完全にアメリカになってしまう。アジアではなくなる。
 アメリカは、アジアの東では日本、韓国をアメリカ(基地)化し、西ではイスラエルをアメリカ(基地)化しようとしている。アジアを東西の両方から押さえつけ、アジアが「世界化」することを阻止しようとしている。「世界化」していいのはアメリカだけであるという考え方だ。アメリカが「世界」を支配するとき、そこに「秩序」「安定」が生まれるという思想である。
 中華思想に与するわけではない。必要なのは「共存」の思想なのだ。そして、その「共存」というのは、絶対的に「個」であることが必要だ。「個」の平等。それは「アジア」と「日本」のあいだで確立し、それから「日本」と「世界」とのあいだで確立していくものである。そのとき「アジア」と「アジア以外の世界」は平等である、という意識が重要である。「アメリカの世界観が正しい」ではなく、「平等」が必要である。
 スポーツは、実際はどうか知らないが、ルールのもとで「平等」である。その「祭典」であるオリンピックが開かれる日、私は、ふとそういうことを思った。「アジアで初めてのオリンピック」といったとき、そこには、世界に向かって開かれている希望のようなものがあった。でも、アジアを忘れたいま、オリンピックにはどこにも希望はないように思える。オリンピックではアメリカではなく、IOCがIOCの利益のために動いているのだが。ただ、構造としては、同じに見える。つまり、日本は(菅は)、アメリカの言う通りにさえしていれば日本は「世界の一員(しかもトップクラスの一員)」でいられる。IOCの言うがままに動いていれば、日本は「世界の一員」でいられる。「アジアの一国」ではなく「世界の一国」でいられると勘違いしているように見える。
 「スポーツを通じて世界をひとつにする」という「美しいことば」。でも、世界はひとつにならなくていい。ばらばらのまま、平等でいるのがいちばんいい。ばらばらのままでも、楽しく生きることができる、というのがいちばんいい。完全にばらばらになるのはむずかしい。だから、まず「世界」ではなく「アジア」であること意識する、まわりには隣人がいる(隣国がある)くらいのことろまでは引き返してみるべきだろう。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする