岡部淳太郎「庭園」(「spirit」22、2021年05月28日発行)
同人誌を開くと、5ページの左上を折ってある。いわゆるドッグ・イヤー。何か書こうと思って印をつけたのだ。しかし、そのとき書きそびれて、そのままになっていた。何を書こうとしたのだろう。
岡部淳太郎「庭園」。
この場所に 一人
私は立ちつくしている
そよぐものはそよぎ
あらがうことなく
そのままに
充足されてあり
池の蓮はそのままで
かたく緑だ
むかし、新聞社の「回覧」のようなもので、読者の声を読んだ。「そよぐは漢字で書くと戦ぐ。私の印象では、戦という漢字はそよぐのイメージにあわない」というのだ。そんな苦情を新聞社に言ってきてもしようがない。新聞記事に「戦ぐ」という表記があったわけでもないらしい。読者相談室では「国語審議会に問い合わせてほしい」と応えたらしい。ああ、そんな対応の仕方があるのか。
そんなことを思い出したのは「そよぐ」が「あらがう」と一緒につかわれているからだ。「あらがう」は抵抗する、かな。抵抗する、というのは「戦う」ということかな?
草がそよぐ、木の葉がそよぐ。それは風にあらがっているのか。激しく動き回る様子が「戦(いくさ)」で動き回る兵士の姿にも見えるから「戦」という文字をあてたのか。あるいは、「戦」におののく兵士の顔を思い浮かべながら「戦」という文字をあてたのか。中国の古典を調べてみないことにはわからないだろう。漢字には日本人がつくりだしたものもあるが「戦」は中国人がつくったものだろう。「そよぐ」と日本語で言っていることを、中国人は「戦」という漢字で表現していたのだろう。
その「そよぐ」「あらがう」のもう一方に「かたく」がある。「かたい」。動かない。その動かない蓮の緑の茎(?)に、岡部は自分自身を投影しているのか。「池の蓮」は自画像なのか。
小さな道
ここを横切るだけのしるし
近くの林の葉は
動かぬものとして
私に届こうとし
空気を媒介にして 伝言を送る
ここには、「私(岡部)」と対話する他のものがある。道も林の葉も、「動かぬもの(あらがうもの/立ちつくしているもの)」として見えてくる。「自画像」から、「自己拡張」へ。しかし、自分から動いていくのではなく、私以外のものが私に「伝言」を送ってくる。私以外のものが近づいてくる、ということか。この主客の入れ代わりが、ちょっと漢詩の世界を思わせる。
それからさらに進んで、この「禅」の風景のようにも見えてくる。
砂利や白い石の記憶も
この中に入ってきて
まるで以前からここにあったかのように
思えてくる
自然とは非情なのもである。人間の感情など気にしていない。その非情の美しさが、「動かぬものとして/孤立したものとして」、私と調和する。「石の記憶」の「記憶」ということばがそういう交流を感じさせる。この「記憶」は「思惟」ということばを呼び寄せ、こう展開していく。
騒がしい夜をぬけて
こんなにも静かな思惟があふれる
「記憶」から「思惟」へ。
そのことばの動きは、とても気持ちがいい。すっきりと動いている。納得ができる。だが、あれっ、「夜」だったのか、とふいに私は疑問にとらわれる。
私は「夜の風景(夜の庭園)」とは思っていなかった。
すると……。
薄暗い午後があることに
もはやなんの驚きもない
すべては留まり
去ってゆく
その いまが
ここにあるだけだ
宇宙は立ちつくしている
この場所に 一人で
えっ、午後? 私はわからなくなる。なぜこんな奇妙なことばの運動が起きるのか。「結論」を急いでいる印象が残る。そして、その印象が途中までの詩の世界を傷つけていると感じる。「宇宙」を持ちださなくても「記憶」から「思惟」への飛躍のなかに「宇宙」がある。それに、「この場所」が「宇宙」に転換するとき、そこにある(いる)のは「一人」ではなく、池の蓮、小さな道、林の葉、砂利や白い石も存在し、それぞれが「遠心・求心」のような往復運動を行っているのではないか。「静か」に見えるが、実際は、その「内部」には激しい「戦ぎ(そよぎ)/拮抗」があるのではないか。「静けさ」は「拮抗の激しさ」が生み出した「緊張」ではないか、と私は考えたいのだが……。
「結」のことばの動きに、私は、なじめない。
最初に読んだとき何を書こうとしたのか思い出せないが、いま、そう思う。
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