詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『フランチェスカのスカート』(15)

2021-07-21 16:44:24 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

高柳誠『フランチェスカのスカート』(15)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「夢の種」は「一年に数回、空から夢の種が降ってくる」と始まる。雪に似ているが、雪と違ってさまざまな色を持っている。それは壊れやすい。壊れると匂いを発する。そして、

     その夢が美しいかどうかは、匂いが決定しているらしい。つ
  まり、いい匂いの種はいい夢をみせてくれるというのだ。だからと
  いって、つぶさない限りその種の匂いをかぐことはむずかしいのだ
  が…。

 この困難さのなかに詩がある。困難を超えて願っていたものが実現するときの喜びが詩である。
 それはしかし、「だからといって」ということばが象徴するように、「論理」でもある。ことばを書いてきて、そのことばが自立して、論理を展開する瞬間の、ことばのよろこび。ことば自身のよろこびをこそ、高柳が詩と定義しているものかもしれない。
 だから、この詩は不思議な形でおわる。美しい色彩をまきちらし、また匂いと夢をむすびつけて読者を酔わせた後、逆のことを「論理的」に語る。

     翌朝、目覚めてみると、つぶれた夢の種の残骸が、泥にまみ
  れてあちこちに固まっている。夢として開かなかった種は、あっと
  いう間に腐って耐えがたい悪臭を放つ。どぶ臭い匂いに耐えながら、
  人々は迷惑そうに夢の滓を片づけ始める。

 美しいもの、詩的なもの、あるいは絶対的なものがあるとすれば、それは「現実」ではなく、「論理」である。ことばの自立した運動、その自律性こそが高柳の信じる「絶対」である。

 

 

 

*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党憲法改正草案再読(15)

2021-07-21 11:17:30 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(15)

 第22条は、住居、移転、職業選択について書いている。

(現行憲法)
第22条
1 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
(改憲草案)
第22条(居住、移転及び職業選択等の自由等)
1 何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 全て国民は、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を有する。

 すでに書いたことだが、憲法の条文は大切なものを先に書き、それを後の条文で補足説明する。つまり補強する。
 「住居、移転、職業選択」は、第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と関係すると同時に、第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と結びつけて読み直す必要がある。
 どこに住むか(生まれ育った土地を離れて移転するか)、何を職業とするかが「自由」なのは、どこに住んでいるか、何を職業としているかによって「差別されない」ということである。どこに住んでいるか、どういう職業についているかによって「差別されない」ということが、「平等」ということであり、それを選ぶ「権利」を国民は持っている。
 「どこに住むか」は単に「国内」だけを意味しない。外国をも意味する。そして、そのときは「国籍」の問題が絡んでくるが、それを選択するのは国民であって、国ではない。現行憲法では、そのことが明確に「自由を侵されない」と書いているが、改正草案では国への「禁止事項」とは明言していない。「国民は(略)自由を有する」と書いてあるだけで、保障まではしていない。「侵されない」「侵してはならない」と「(権利を)有する」では「主語」が違う。
 改憲草案では「公共の福祉に反しない限り」を削除している。これまで読んできた条文では、改憲草案は現行憲法の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」という具合に言いなおしてきた。ここでは、それをしていない。なぜなんだろうか。なぜ「公益及び公の秩序に反しない限り」と言いなおさなかったのか。
 深読みすれば、「住居(移転を含む)」をいつでも制限する権利を、国は保留したいのではないのか。国民の、どこに住むかという権利(自由)を制限したいのではないか。もし、そこに「公益及び公の秩序に反しない限り」という文言があれば、制限するに際して、国には説明責任が伴う。ある人があるところに住んでいる。それが、なぜ「公益及び公の秩序」を維持することになるのか、あるいはに反するか。その説明は、むずかしい。特に、その人がその人だけではなく、先祖代々そこに住んでいたとするとき、そこから「立ち退かせる」ための説明はとてもむずかしくなる。いままで「公益及び公の秩序」に反するとは言えなかったのに、なぜ、突然そうなったのか。その説明をする「責任」を回避したい。その意図が隠されていると思う。説明が不十分なとき、国は、国民の「住居の自由」を侵したことになる。
 こんなことも考えてみなければならない。東京電力福島原発事故。被災者がどこに住むのか、かつて住んでいた街に帰るのか、別の場所に移転して暮らすのか。そのための環境整備はどうするのか。住む自由は、住まない自由(そこには住みたくない、と主張する自由)でもある。一人一人の「思想(考え方)」を尊重していくとき、いろいろな問題が出てくる。「公益及び公の秩序」という紋がんがあったとき、問題はさらに複雑になる。「公益」「公の秩序」とは何なのかが厳しく問われる。ある地区の住民をそろったまま帰還、あるいは移転させる方が「予算が少なくて住む」「コミュニティーが守られる」というような論理は、国、あるいは東電が出す金が少なくてすむという「利益」にすぎない。それが「公益」であるとは言えない。
 「職業の選択」も同じである。「職業選択の自由」には、ある職業を「選ばない自由」も含まれる。「国籍の選択」についても同じことが言える。国が押しつけてくる職業を選ばない。拒否する。日本という「国籍を選ばない自由」(離脱する自由)。「公益及び公の秩序に反しない限り」という文言があれば、国には、その説明責任が生じる。文言がなくても責任があると言えるかもしれないが、文言がなければ「文言がない」を根拠として説明責任を逃れることができる。
 「自由を侵されない」を「自由を有する」と書き換えたことと、この条項だけ「公益及び公の秩序に反しない限り」を用いなかったことについては、慎重に考えてみる必要があると思う。(ここから逆に、改憲草案が「公益及び公の秩序に反しない限り」を持ちだすとき、何をしたいか、国にどんな特権を与えたいのかを考えることもできると思う。)

(現行憲法)
第23条
 学問の自由は、これを保障する。
(改憲草案)
第23条(学問の自由)
 学問の自由は、保障する。

 何回か指摘してきた「これを」というテーマの提示が、ここでも削除されている。
 「学問」は宗教、表現、職業などの「基礎」である。それは実際に働いてみたりすると、学校で勉強してきたことが実際の労働にはあまり役立たないなあという思いで跳ね返ってくることがある。学問は職業(労働)の基礎なのに、こんなに役立たないのなら(勉強したことと関係がないのなら)、勉強なんかしなくてもいいのじゃないのかな、という想いにつながったりする。でも、それは「学問の自由」が大切であるということとは別問題である。
 学問とは、まず、「批判」である。「学校で勉強してきたことは、実社会ではあまり役立たない」というのも「批判」かもしれないが、それは「批判」というよりも「反省」に組み入れるべきことである。自分は、実社会での労働のことを気にかけずに勉強してきたなあ、という反省として、自分の内に抱え込んで、自分をどうするかの問題である。「学問」の「批判」とは、違うものである。
 ある論理(理論)がある。それが正しいかどうか、それを発展させるとどういうことが考えられるか。つまりある対象にに対する「思考」が「学問」であり、それは常に、前に確立された「学問」の「批判」から始まる。「天動説」への批判が「地動説」である。「ニュートン物理学」への批判のひとつがアインシュタインの「相対性原理」である。
 そういうむずかしいことだけではなく、たとえば、政府の政策のここがおかしい、という「批判」もやはり「学問」なのである。「批判」するとき、その批判を論理づける「根拠」が必要である。「根拠(基礎)」から始まって、すでにあるものを「批判」していくのは「学問」なのである。あらゆる「思想」のことば、「表現」のことばも、「学問」がなければ発展していかない。十分な基礎が必要である。
 「学問の自由」は「批判の自由」である、と読み替えるとき、菅の学術会議委員候補6人の任命拒否の意味がはっきりする。「学術会議」は「学者の団体」「学問をする人たちの団体」、言いなおせば「批判する人たちの団体」なのである。批判するのがあたりまえというか、批判しなければ成立しないのが「学問」なのに、菅は「批判を許さない」を前面に出して6人の任命を拒否した。「批判を許さない」と言っていない(前面に出していない)と菅は言うかもしれないが、それ以外に「学問(学者)」を拒否する理由はない。もし、「学問(学説)」が間違っているというのなら、それを「批判」の形で「学問」にしないといけない。菅は、そういうことをしていない。「学問」そのもの、つまり学問が批判であるということを拒否している。
 「学問」を批判できるのは「学問」だけである。そして、「学問」の分野は限りなく広い。どこからでも「批判」ができるのが「学問」である。

 

 


*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする