詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松崎義行、田原『詩人と母』

2021-07-24 16:43:45 | 詩集

 

松崎義行、田原『詩人と母』(みらいパブリッシング、2021年07月21日発行)

 松崎義行、田原『詩人と母』はそれぞれの母を追悼する二人の、一冊の詩集。二人の母は別人なのだが、そして詩を読むとたしかにふたりは違っているということがわかるのだが、なぜか共通のものがある。「母」だからだろうか。
 松崎義行の「果てしない路」という作品。

  この果てしのない道にも果てはあるのだ
  この道と呼ぶものは道ではなかったのだ
  吹き荒ぶ冷たい風が生まれる場所はもう温んでいるのだ
  どこかに疲れと痛みを感じるがそれは自分ではないのだ

  自分がしてきたことは静かに浮かぶ花の船になったのだ
  争いはなかったことになり悲しみが溢れているのだ
  見てきたものが風景になり季節が巡り始めるのだ
  始まりのような終わりが風にキラキラと舞い立ち
  皆それを見上げるのだ

 「皆」ということばが出てくる。「母」とはいきているそれぞれの人間を、それぞれでありながら「皆」という「ひとくくり」にする力をもっている存在かもしれない。その「ひとくくり」にする力は、この詩では「道」ということばで書かれていると思う。「母」と「子ども」のあいだをつなぐ「道」。母が死んだとき、はじめてそこに「道」があったと気づく。「道」を気づかせないのが「母」なのかもしれない。つまり、いつも「道」からそれぬように守っている存在が「母」。
 それは「地上」にだけあるのではない。「母」を思うとき、どこにでも出現する。この詩では風花を見上げながら、「道」を見ている。

 田原「母の実家」には「母の母」が出てくる。そして、柿の木も。

  いつの日のことだったか、柿の木は伐採されてしまった
  それは今になっても、シンボルのように
  母の実家に生きていて
  私の記憶の奥に聳えている

 田原はそれを見上げる。記憶の中で。そのとき柿の木は「母」であり、さらに「母の母」でもある。「母」もまた、その柿の木を見上げただろう。そのとき「母」は、「彼女の母」だけではなく、「母の母の母」も見上げたかもしれない。「果て」はあって、「果て」はない。
 「時の読めない母」は、こう書き出されている。

  一人海外で長く暮らすと
  最も恋しくなるのはやはり母だった
  毎年はるばる海を越えて家に帰ったのは
  母の前でお母さんと呼ぶためだった

 「最も」が切実に響いてくる。「母」はいつでも特別な存在なのだ。「母」には「母の母」がいて、さらに「母の母の母」もいる。けれど、それはいつでも「お母さん」という声で「ひとり」になってあらわれる。それは「ただ一人」しかいない。
 この不思議さ。
 「ごめんなさい」の最終連。

  私たちを隔てている海は私の涙では溢れないが
  その涙で目がかすんだなか
  地球上でただ一人のあなたが私を産んでくれたことを
  誇りに思っている
  お母さん、謝謝!
  そして、請原諒!

  そして、ここには書かれてはいないのかもしれないが、私はこんなことも思う。「母」は「ただ一人」の田原という人間(あるいは松崎義行)という人間を産んでくれた存在である。「ただ一人」ということばを「道」にして「母」と「子ども」はつながる。
 そのつながりに「果て」はあって、「果て」はない。

 

 

 

 

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オリンピックは中止すべきだ

2021-07-24 09:19:54 | 考える日記

 コロナ感染が話題になり始めたころ(いわゆる第一波のとき)、私はこんなことを書いた記憶がある。
 コロナが終息し、コロナ対策の検証が世界で始まったとき、日本はきっと責任を追及される。安倍政権は、クルーズ船検疫で非常に「甘い」対策を取った。甘い対策にもかかわらず、日本のコロナ感染はそれほど広がらなかった。これは世界に誤解を与えた。厳しい対策をとらなくても大問題にはならない、と油断を産むきっかけとなった。乗船客を徹底検査し、陽性者は病院に隔離するという形で封じ込んでいたなら、それはコロナ対策の手本となったと思う。そういう手本を示せなかっただけではなく、逆に「甘い対策でも問題がない」という印象を与えてしまった。
 きのう7月23日に東京オリンピックが始まったが、このこともきっと事後検証のとき、絶対に問題になる。コロナは変種株がつぎつぎに生まれている。東京の感染者が急増している。そのときに「安心安全」という菅のことばを「証明する」ために、強引にオリンピックが開催された。不安、危険がいっぱいなのに、菅の嘘によって大会が強行された。
 きっと感染者が急増する。だいたい「バブル対策を取るから安全」といっていた選手村からも感染者が出ている。選手の入村からまだ間もないのに、である。世界から選手がやってくることで、新たな変種株が生まれるかもしれない。それが世界に拡大したとき、菅は、どう責任をとるつもりなのだろう。コロナを封じる対策をとらずに、逆に、拡大させる危険性のある対策を「安心安全」という名のもとで強行した。このことは、絶対に問題になるはずである。
 日本だけではなく世界でもコロナ感染は拡大し続けている。読売新聞の一覧表によると、フランスの感染者累計はもうすぐ600万人に達しそうである。以前、600万人目前というときに、突然累計が560万人に減らされた。それなのに再びまた600万人に近づいている。もうすぐロシアの累計感染者数を上回りそうである。ヨーロッパでは、一時期ドイツの累計感染者がスペインの累計感染者を上回ったことがある。ちょうどフランスの数字が600万人目前から560万人に「操作」されたころである。そのスペインとドイツの累計感染者だが、いまはスペインがドイツを50万人近く上回っている。(スペイン424万人、ドイツ375万人)。これは、どんなに少なく見積もっても、私が以前にこの問題を指摘して以来、フランスでは40万人近く、スペインでは50万人以上が新たに感染しているということである。感染拡大は、止まりそうにない。
 スペインでは3回目のワクチン接種を検討しているという。ただし、ワクチン接種が進んでいない国、地域でのワクチン接種を優先させる、という注釈付きの政策らしい。アルゼンチンでは、実際に3回目の接種をした、という人もいる。(フェイスブックに本人の写真入りで載っていた。)私のような、通りすがりのネットサーフィンでもつたわってくる情報だから、コロナ対策に取り組んでいる人や、その報道をしている人は当然知っていることだと思う。もっと「先」の情報も知っているはずである。
 「安心安全」を標榜するなら、そういう情報を国民に周知させる方策を取った上で、具体的な対策をとらないといけない。口で「安心安全」というだけで巨大イベントを実施するときではない。
 読売新聞にはほとんど書かれていなかったが、開会式会場周辺には大勢の人が集まったということもインターネットには書かれている。反対のデモもあったとも載っている。菅の「無観客=安心安全」は、会場内限定のことであって、会場外のことは知らない。会場外は、あくまで「自己責任」であって、菅の責任ではない、と言うつもりなのだろう。
 一方で、選手を集めて「安心安全」「感動を与える」と言っておいて、感動を求める人をほうりだしてしまう。すべて「自己責任」にしてしまう。人が集まらないようにするためにはどうすればいいのか、何をするべきなのかをまったく考えない無責任な政治が、きっととんでもない結果を引き起こす。
 いま中止すれば、まだ感染拡大が、さらに拡大することは防げるだろう。始まってしまったのだから、最後までやる、というのではなく、始まって危険性がわかったからこそ、すぐに中止する、という決断が必要なのだ。会場が広い、北海道のマラソンコースは開会式周辺よりも混雑することになるかもしれない。開会式周辺に集まってきた人よりも多くの人が沿道に繰り出すかもしれない。

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