徳永孝「雲と太陽」、池田清子「雲」、青柳俊哉「空の家」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年07月05日)
テーマを決めていたわけではないのだが「雲」「空」の詩がそろった。
雲と太陽 徳永孝
空一面に
のっぺりと広がる
灰色の雲
太陽からのあまりにも強い紫外線から
生き物を守り
雨を降らしうるおいを与えるお母さん
太陽の光は全ての生き物の命の元(もと)
でも時にはそのはげしさが
生き物を死に至らしめる
そのはげしさは
雲の優しさが有って
始めて生きる
強い陽射しをさえぎり
ゆるやかに流れる雲の下
公園で遊ぶ数組の親子連れ
互いに呼び合い走り回る子供達
穏やかに見守るお母さんは
廻(めぐ)る子供達のもう一つの太陽
これは推敲後の作品。講座で読んだ作品は四連目までは同じだが、そのあとは、こうなっていた。
お母さんは
その周りを廻(めぐる)る子供達を
穏やかに包むもう一つの太陽
受講生から、最初の形の作品に対して、最終行の「(雲は)もう一つの太陽」という比喩が新鮮、雲は従属的なことが多いが、太陽と同一という視点はインパクトがある、雲のいろいろな形を思い浮かべたという感想が聞かれた。ただし、「子供達」というのは何の比喩なのだろうか、わからない。子供達はいろいろな生き物の比喩なのだろうか、と疑問も聞かれた。私も子供達がわからなかった。最終連が唐突な感じがした。
徳永は、公園で遊ぶ子供達と、それを見守るお母さんのことを書いた。太陽の周りを地球などが廻るように、子供達がお母さんの周りを廻っている。
この説明を聞くと、最終連の「お母さん」が「雲」ではない、比喩ではないということがわかるのだが、それではやはり唐突だろう。二連目に出てくる「お母さん」は比喩であり、実際は雲のこと。どうしても「お母さん=雲」と読んでしまうので、いまのままでは最終連は公園の風景とは思わない。
そういう感想を受け止めて、推敲したのがこの作品。
公園であることを五連目ではっきりさせ、そのあとでお母さんを登場させている。五連目では「親」ということばだが、六連目で「お母さん」に変わっている。このとき、同時に「お母さん」は「もう一つの太陽」という比喩になる。
ここに問題がある。
二連目では「雲=お母さん」(お母さん=雲)、最終連では「お母さん=太陽」。比喩が二つ存在する。「お母さん」が共通するので、「雲=お母さん=太陽」という「等式」になる。これを簡略化すると「雲=太陽」になってしまう。そうすると、なんだかよくわからない。
ひとつひとつの連はわかるが、全体では印象がごちゃごちゃになる。
書きたいことが多く、よくばりな詩になる。書きたいことを絞り込んだ方がいいと思う。「雲=お母さん(太陽の激しさから生き物を守る)」という最初のテーマは新鮮なので、それが引き立つようにする方がいいと思う。
*
雲 池田清子
真っ白ではなく
少しおさえた白のレースのカーテン
開けると
青い空と白い雲
屋根と屋根と屋根と屋根の
間に見える濃い山
唯一の遠景ダ
トーストが焼けた
ハムときゅうりとトマトと卵
セイロンティーのウバ茶
おろしショウガが入ってる
二杯目はレモン
母と全く同じお昼
母はリプトンだったっけ
今日の雲は
懐かしさのかたまり
「屋根と屋根と屋根と屋根の」ということばのつかい方がおもしろい、景色が見える、と、この一行に称賛が集まった。最後に母親が出てきて、懐かしいと結びつくところがいいという声も。
この詩は、視線の動きがとてもくっきりしていて、それが印象に残る。一連目は「カーテン」という「中景」から始まるが、屋根のつらなりを超えて「遠景」に開放される。そのあとテーブルの上の「近景」が描かれる。三連目は、「心象の遠景」。母親との昼食を思い出している。同じ昼食でも紅茶の種類が違う。その「違い」がより一層「遠景」にリアリティーを与える。そして、リアリティーというのは、いつでも「身近」なもの。「遠い心象情景」が、ぐいと近づく。「近景」になる。それが「懐かしさ」。遠い空にある雲を懐かしいと言っているのだが、同じ雲を母と見たのかもしれない。雲は母でもある。この「心象の近景」の描き方が絶妙だと思う。近いけれど、遠い。遠いけれど近い。こころには「遠近感」はあって、ないのだ。
最終連に「雲」を描いたのは、とてもすばらしいと思う。雲を描くことで、情景が広々としたものになった。
*
空の家 青柳俊哉
鳥かげのみえない春の
透明な空の家にわたしたちは住む
土の匂いを断ち 均一な箱舟が空へ伸びて
薄氷のうえを漂うように
根づくことのないわたしたちの住み処
澄んだ生物の瞳から
萌える草木の想いから遠くはなれて
わたしたちはこよなく透明である
休日の朝 わたしは空のベッドで本をよむ
わたしの少女が死の絵本とよぶ
罌粟の記憶を黒いミルクのように飲み
空に生きるための糧とする
少女は紙の鳥をベランダから放つ
鳥は舟の間をさまよいながら
鳥のなかない沈黙の空の白をさらに深める
わたしたちは鳥を追って熱しすぎる赤い大地に降りる
地上は硬い春の光線がふりそそいで
仮面を嵌めた人間がまばらに通り過ぎていく
鳥は公園のまぢかな上空で
鳥の形をした人工の星と交わっている
わたしたちは砂場の砂に青いバラの花を育て
青いバラの鳥を折り 青い鳥に身を移して
審判を受ける者のように わたしたちを生んだ
郷愁の空の中へ投身するのだ
ことばがことばを呼びながら、詩の世界が展開していく。「最終行の意味はよくわからないけれど、いいなあと思う」「空と地上の対比を感じる」「罌粟から阿片を想像し、不気味な感じもする」「人工的なものと自然なものの対比が描かれているのかも」という感想。
青柳から少し解説があった。「空の家」というのは「高層ビル(マンション)」のこと。ここに書かれていることは、したがって「現実」であるけれど、同時に「比喩」である。何が何の比喩であるかは、たぶん、特定しても意味を持たない。ことばの運動が、次々に新しい比喩をもとめて動き続けるからである。
一連目は、高層マンションの一室、つまり空から見た風景。二連目は逆に地上から見た風景だろうか。ふつうは高いところから地上へ「投身する」のだが、この詩では逆に地上から「空の中へ投身する」。それは地上への投身が死を意味するのに対して、逆に生を意味する。あるいは死を超えた「再生」を意味するだろう。
「紙の鳥」は少女の「死への希求」のようなものかもしれない。しかし、それも現実というよりも夢だろう。若いとき、死は、ひとつの憧れである。まだまだ死なない、という命の強さが死を夢見ることを許してくれる。もちろん、その憧れは虚構であり、虚構を言いなおせば「人工」ということになるか。自然にあるのではなくあえてつくりだしたもの。「鳥の形をした人工の星」「青いバラの鳥を折り」などイメージが早いスピードで駆け抜けていく。意味を負うことも大切かもしれないが、ことばのスピードに酔うことも、詩を楽しむひとつの方法である。
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