詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』再読

2021-07-17 18:16:03 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

2021年07月17日(土曜日)

嵯峨信之『小詩無辺』再読

 嵯峨信之『小詩無辺』は1994年の詩集。(テキストは「全集」をつかった。)
 「魂しい」という嵯峨独特の表記が出てくる。「魂しい」とは何なのだろうか。

  言葉よ
  まだ目ざめないのか
  ぼくの魂しいのどのあたりを急いでいるのか (* 450ページ)

 「言葉」と「魂しい」は関係がある。だが、どんな関係なのか、わからない。「魂しい」をきちんと通過したら、「言葉」は「目ざめる」。

  もし ぼくの魂しいだけが
  走りさつた多くの魂しいに置きざりにされたのなら
  夕べの川ぎしで
  ぼくは夜明けを待つだろう  (孤独 452ページ)

  魂しいを失う日がある
  横糸のひきつつた絨毯のようなものだ
  人を憎んだことを
  愛したことを
  生命の皿の上にのせてみる

  ぼくはぼくの現し身を離れても
  まぎれもなく思いは残る  (* 453ページ)

 「魂しい」と「思い」に似通っているか。ぼくが死んでも「思い」は残る。ぼくの魂しいがぼくの肉体を離れても、つまり死んでも、ぼくの思い(魂しい)は残る。 
 「魂しい」はぼくのものだが、ぼくを超越している。
 人を憎む、愛する。それを思い出すとき「魂しい」を失う、と言っているのか。「魂しい」は「思い」よりも繊細な存在か。

  空をゆく鳥は跡を残さない
  なぜ地上を歩くものは跡を残すのか
  それは言葉があるからだ
  その言葉が魂しいの影を落とすのだ  (* 461ページ)

 言葉と魂しいは関係がある。言葉は魂しいによって影響を受ける。言葉は、それ自体はだれにでも共通しているが、それぞれがつかう言葉にはそれぞれの魂しいの影響があり、そのために違って見える。違って聞こえる。違った意味になる、ということか。

 「言葉」については、こういう一行がある。

  言葉はだれが脱ぎ捨てた影だろう  (* 464ページ)

 「影」という表現がある。言葉のなかに、ひとは魂しいを脱ぎ捨てる。それが「かげ」か。
 「影」については、こういう一行がある。

  生命は
  どんな小さなものでもやさしい影を落としている  (* 465ページ)

 生命は、どんな小さなものでも、やさしい「魂しい」を抱えている。「影を落としている」は影響を受けているということだろうが、影響を受けることができるのは、似通ったものが生命のなかにあるからだろう。そう考えれば、「生命は、やさしい魂しいを内に抱えている、持っている」という意味になるかもしれない。

  夢は
  魂しいの内側をすべつて
  夜明けは
  魂しいの外側から明るくなつてくる  (* 465ページ)

 「夜明け」は「目ざめる時間」と考えれば、最初に引用したことばと、不思議な交錯がある。ことばが不思議に交錯する。

  魂しいよ
  まだ目ざめないのか
  ぼくの夢のどのあたりを急いでいるのか 

 と読み替えたくなる。そして、そのとき、目覚めた魂しいとは、言葉なのだ。夢を破って、言葉の中で目覚める、夢の外に飛び出してくるものが魂しいなのだ、と言ってみたくなる。
 「どのあたり」とははっきりしない場所。遠いところ、だろう。「ここは何処なのか」という詩には、こういう行がある。

  遠いことはいいことだ
  愛が 憎しみが 心だつて
  なにもかも遠くなる  (469ページ)

 魂しいが、「遠くなる」、遠くなることで「愛/憎しみ」とは違う存在になる、と読むことはできないか。
 同じ詩の最後。

  ああ 在りし日にぼくは何処を彷徨つていたのか 
  ここは何処なのか--  (469ページ)
 
 ぼくの魂しいは、どこを彷徨っていたのか。いま「ここは何処なのか」と自問するとき、やはりそこには魂しいは存在しない。いま、ここは魂しいから遠い場所なのかもしれない。
 魂しいの不在については、「鐘」という詩がある。

  大きな鐘がそこに在る
  どこを叩いても鐘は鳴らぬ

  沈黙にすつぽり覆われているのか
  魂しいの不在か

  手で撫でる
  強く重く吸いついてしまう

  時間が消えて
  空間だけになつたのだろう  (472、473ページ)

 「鐘」は「言葉」の比喩だろう。象徴だろう。沈黙とは、言葉不在。言葉と魂しいは、ある部分では同じものである。言葉のなかに魂しいが存在するとき、言葉には何かが在る。「意味」と言ってしまってもいいのかもしれないが、むしろ「意味」を超えるものだろう。だから、それを「魂しい」と呼ぶのかもしれない。
 そして、この魂しいの不在を、嵯峨は「時間の不在」と同じ意味につかっている。「魂しいの不在」によって取り残される「空間」とは「空虚」のことかもしれない。魂しいは言葉も、空間も充実させるのである。
 「人間小史」には、こんな不気味な行がある。

  ぼくの魂しいに灯をともすと
  言葉の上を
  死んだ女の影が通りすぎる  (473ページ)

 女の影は、女の魂しいの影だろうか、女の肉体の影だろうか。女の愛の影だろうか。憎しみの影だろうか。言葉ではあらわすことのできない何かだろう。だから「影」と比喩にしている。
 「嘘の傘」は、こういう詩である。

  どこまで行つても一つの言葉にたどりつけない
  言葉は人間からはなれたがる

  水のような
  こうもりの翼のような言葉は
  魂しいにさしかけている嘘の傘ではないか  (476ページ)

 私は、無意識にことばを入れ換えて、こう読んでしまう。

どこまで行つても魂しいにたどりつけない
魂しいは言葉からはなれたがる

水のような
こうもりの翼のような嘘は
人間にさしかけている言葉の傘ではないか

 嘘が行き交うとき、魂しいは不在である。あるいは、魂しいは行き場、居所を失う。

  ぼくの魂しいのなかで大きな梯子が揺れはじめた
  その日から友だちからしだいにぼくは離れていつた  (483ページ)

 「死んだ女」のかわりに「友だち」が登場していると言えないだろうか。「嘘」にでじんたとき、魂しいは揺らぐ。魂しいを守る(安定させる)ために、ぼくは女から離れ、友だちからも離れる。
 孤独は魂しいを守る方法のひとつである。
 「引力をめぐる夏野」は中西博子を追悼する作品。「眠つた ああ 魂しいと全身で眠つた」(484ページ)という行で始まる。その作品の途中に、

  生命から遠くへ帰るのだ  (484ページ)

 という一行がある。「遠く」とは「永遠」のことである、と私は読んだ。魂しいは永遠とつながっている。個人の命から離れ、永遠の命になる。
 でも、永遠とは何か。

  人間も
  言葉もはてしなくむなしい
  そして〈永遠〉という言葉の意味はいまもつてわからない
                        (永遠とは何か、486ページ)

 「ふるさと」には、こんな行がある。

  思い出の町はすつかり消えて
  ここはもはやぼくの見知らぬ遠い町のようだ  (486ページ)

 さらに「対話」には、こう書かれている。

  ぼくから言葉が生まれないのは
  去つて行く遠い地が失われているからだ
  遠い地つて何処よ
  近いところの果ての果て
  --たとえばあなたの傍らよ

  ぼくに人を愛するという心はもう起こらない
  もはや ぼくはさびしささえ失つたのだから  (487ページ)

 「遠いところ(永遠)」の場所を生きる魂しい、いま(いちばん近いところ、時間)を生きる生きる言葉。ふと、そういう思いが浮かんでくる。
 「言葉」に帰って、もう一度『小詩無辺』を読み返さないといけない。

 


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