2021年07月17日(土曜日)
嵯峨信之『小詩無辺』再読
嵯峨信之『小詩無辺』は1994年の詩集。(テキストは「全集」をつかった。)
「魂しい」という嵯峨独特の表記が出てくる。「魂しい」とは何なのだろうか。
言葉よ
まだ目ざめないのか
ぼくの魂しいのどのあたりを急いでいるのか (* 450ページ)
「言葉」と「魂しい」は関係がある。だが、どんな関係なのか、わからない。「魂しい」をきちんと通過したら、「言葉」は「目ざめる」。
もし ぼくの魂しいだけが
走りさつた多くの魂しいに置きざりにされたのなら
夕べの川ぎしで
ぼくは夜明けを待つだろう (孤独 452ページ)
魂しいを失う日がある
横糸のひきつつた絨毯のようなものだ
人を憎んだことを
愛したことを
生命の皿の上にのせてみる
ぼくはぼくの現し身を離れても
まぎれもなく思いは残る (* 453ページ)
「魂しい」と「思い」に似通っているか。ぼくが死んでも「思い」は残る。ぼくの魂しいがぼくの肉体を離れても、つまり死んでも、ぼくの思い(魂しい)は残る。
「魂しい」はぼくのものだが、ぼくを超越している。
人を憎む、愛する。それを思い出すとき「魂しい」を失う、と言っているのか。「魂しい」は「思い」よりも繊細な存在か。
空をゆく鳥は跡を残さない
なぜ地上を歩くものは跡を残すのか
それは言葉があるからだ
その言葉が魂しいの影を落とすのだ (* 461ページ)
言葉と魂しいは関係がある。言葉は魂しいによって影響を受ける。言葉は、それ自体はだれにでも共通しているが、それぞれがつかう言葉にはそれぞれの魂しいの影響があり、そのために違って見える。違って聞こえる。違った意味になる、ということか。
「言葉」については、こういう一行がある。
言葉はだれが脱ぎ捨てた影だろう (* 464ページ)
「影」という表現がある。言葉のなかに、ひとは魂しいを脱ぎ捨てる。それが「かげ」か。
「影」については、こういう一行がある。
生命は
どんな小さなものでもやさしい影を落としている (* 465ページ)
生命は、どんな小さなものでも、やさしい「魂しい」を抱えている。「影を落としている」は影響を受けているということだろうが、影響を受けることができるのは、似通ったものが生命のなかにあるからだろう。そう考えれば、「生命は、やさしい魂しいを内に抱えている、持っている」という意味になるかもしれない。
夢は
魂しいの内側をすべつて
夜明けは
魂しいの外側から明るくなつてくる (* 465ページ)
「夜明け」は「目ざめる時間」と考えれば、最初に引用したことばと、不思議な交錯がある。ことばが不思議に交錯する。
魂しいよ
まだ目ざめないのか
ぼくの夢のどのあたりを急いでいるのか
と読み替えたくなる。そして、そのとき、目覚めた魂しいとは、言葉なのだ。夢を破って、言葉の中で目覚める、夢の外に飛び出してくるものが魂しいなのだ、と言ってみたくなる。
「どのあたり」とははっきりしない場所。遠いところ、だろう。「ここは何処なのか」という詩には、こういう行がある。
遠いことはいいことだ
愛が 憎しみが 心だつて
なにもかも遠くなる (469ページ)
魂しいが、「遠くなる」、遠くなることで「愛/憎しみ」とは違う存在になる、と読むことはできないか。
同じ詩の最後。
ああ 在りし日にぼくは何処を彷徨つていたのか
ここは何処なのか-- (469ページ)
ぼくの魂しいは、どこを彷徨っていたのか。いま「ここは何処なのか」と自問するとき、やはりそこには魂しいは存在しない。いま、ここは魂しいから遠い場所なのかもしれない。
魂しいの不在については、「鐘」という詩がある。
大きな鐘がそこに在る
どこを叩いても鐘は鳴らぬ
沈黙にすつぽり覆われているのか
魂しいの不在か
手で撫でる
強く重く吸いついてしまう
時間が消えて
空間だけになつたのだろう (472、473ページ)
「鐘」は「言葉」の比喩だろう。象徴だろう。沈黙とは、言葉不在。言葉と魂しいは、ある部分では同じものである。言葉のなかに魂しいが存在するとき、言葉には何かが在る。「意味」と言ってしまってもいいのかもしれないが、むしろ「意味」を超えるものだろう。だから、それを「魂しい」と呼ぶのかもしれない。
そして、この魂しいの不在を、嵯峨は「時間の不在」と同じ意味につかっている。「魂しいの不在」によって取り残される「空間」とは「空虚」のことかもしれない。魂しいは言葉も、空間も充実させるのである。
「人間小史」には、こんな不気味な行がある。
ぼくの魂しいに灯をともすと
言葉の上を
死んだ女の影が通りすぎる (473ページ)
女の影は、女の魂しいの影だろうか、女の肉体の影だろうか。女の愛の影だろうか。憎しみの影だろうか。言葉ではあらわすことのできない何かだろう。だから「影」と比喩にしている。
「嘘の傘」は、こういう詩である。
どこまで行つても一つの言葉にたどりつけない
言葉は人間からはなれたがる
水のような
こうもりの翼のような言葉は
魂しいにさしかけている嘘の傘ではないか (476ページ)
私は、無意識にことばを入れ換えて、こう読んでしまう。
どこまで行つても魂しいにたどりつけない
魂しいは言葉からはなれたがる
水のような
こうもりの翼のような嘘は
人間にさしかけている言葉の傘ではないか
嘘が行き交うとき、魂しいは不在である。あるいは、魂しいは行き場、居所を失う。
ぼくの魂しいのなかで大きな梯子が揺れはじめた
その日から友だちからしだいにぼくは離れていつた (483ページ)
「死んだ女」のかわりに「友だち」が登場していると言えないだろうか。「嘘」にでじんたとき、魂しいは揺らぐ。魂しいを守る(安定させる)ために、ぼくは女から離れ、友だちからも離れる。
孤独は魂しいを守る方法のひとつである。
「引力をめぐる夏野」は中西博子を追悼する作品。「眠つた ああ 魂しいと全身で眠つた」(484ページ)という行で始まる。その作品の途中に、
生命から遠くへ帰るのだ (484ページ)
という一行がある。「遠く」とは「永遠」のことである、と私は読んだ。魂しいは永遠とつながっている。個人の命から離れ、永遠の命になる。
でも、永遠とは何か。
人間も
言葉もはてしなくむなしい
そして〈永遠〉という言葉の意味はいまもつてわからない
(永遠とは何か、486ページ)
「ふるさと」には、こんな行がある。
思い出の町はすつかり消えて
ここはもはやぼくの見知らぬ遠い町のようだ (486ページ)
さらに「対話」には、こう書かれている。
ぼくから言葉が生まれないのは
去つて行く遠い地が失われているからだ
遠い地つて何処よ
近いところの果ての果て
--たとえばあなたの傍らよ
ぼくに人を愛するという心はもう起こらない
もはや ぼくはさびしささえ失つたのだから (487ページ)
「遠いところ(永遠)」の場所を生きる魂しい、いま(いちばん近いところ、時間)を生きる生きる言葉。ふと、そういう思いが浮かんでくる。
「言葉」に帰って、もう一度『小詩無辺』を読み返さないといけない。
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