ロバート・エガース監督「ライトハウス」(★★★★★)(2021年07月09日、キノシネマ天神、スクリーン3)
監督 ロバート・エガース 出演 ウィレム・デフォー、ロバート・パティンソン、鴎、汽笛、螺旋階段。
モノクロの真四角なスクリーン。そしてそのスクリーンには「余分」なのものが何もない。余分なものがない、というのはこんなに美しいものなのか、と改めて思う。
その余分なものがない中で、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンの、二人だけのドラマがはじまる。北海の孤島。灯台が舞台。余分なものはないと書いたが、余分なものはある。通りすぎていく霧笛の音、そして鴎。ふたりの男以外には、それだけ。そして、その余分が二人を刺戟する。たぶん鴎も霧笛も自由だからだ。どこへでも行くことができる。けれど灯台守の二人は、交代の人間が来るまで、どこにも行くことができない。
しかし、そういうときでも、人間のこころはどこかへ行ってしまうのだ。どこかへ行きたがる。こころが「肉体」のなかからはみだし始める。これがモノクロに、不思議な色をつける。
まず、他人が気になる。孤島に四週間、二人だけで生活しなければならないので、どうしても相手が気になる。こういうとき、ふつうは互いに自己紹介をする。名前を名乗る。ところが、二人は名前を呼ばない。二人しかいないから、「おまえ」で通じるから、名前は必要ない。実際、映画を見ていて、名前を呼ばないことを、最初は不自然に感じない。二人は、ここに来る前に当然名乗りあっていると思って映画を見ている。
しかし、若いロバート・パティンソンがまず耐えられなくなる。「名前で呼べ」と反抗する。ウィレム・デフォーは名前で呼び始めるが、彼自身が名を明かすのはずっとあとだ。名前を名乗ったときから、ロバート・パティンソンの「過去」が語られ始める。名前とは「過去」というか、アイデンティティーなのだ。私は、久々に、アイデンティティーということばを、この映画を見て思い出した。アイデンティティーとは、単なる過去ではなく、「相手が知らない過去=過去の秘密」ということである。「過去の秘密」がロバート・パティンソンに、孤高の灯台守という仕事を選ばさせたのだ。
ウィレム・デフォーは、そのことにうすうす感ずいている。「過去の秘密」がない人間が、孤島の灯台守の仕事なんかをするはずがない。「若いくせになにか隠している」と直感的に思う。そして、それは同時にウィレム・デフォーにも「過去の秘密」があるということを暗示する。
ここから「世界」が狂い始めていく、というのがなんともおそろしい。ふつうは名乗ることから安定した関係(世界)がはじまるのだが、この映画では逆なのだ。名乗ることで、その名前の背後にはあった「過去」が「現在」へと噴き出してくる。しかも、こういうときは、どうしても「過去を隠したい」という気持ちもあるから、それは「ほんとうの過去」ではないことになる。嘘を語る。
そして、嘘を語ってみてわかることがある。ウィレム・デフォーはしきりに「白鯨」(だと思う)のことばを「引用」する。他人のことばを引用する。自分のことばでなにかを語るのではなく、他人のことばで語るのは、それが嘘だからだ。
こうやって互いの「秘密」の暴き合いがはじまる。このときも自分の嘘に耐えられなくなるのは若いロバート・パティンソンである。自分が名乗った名前は嘘だった。それは前の仕事をしていたとき(木こり、筏で丸太を運搬する)、仲間を事故で死なせてしまった。もともと折り合いが悪くて、なんとかしたいと思っていた。
そして、その気持ちは、いまの相手、ウィレム・デフォーに向かって爆発する。嘘ばかりしゃべって、ほんとうに大切なこと(灯台守の仕事)を教えてくれない。こき使われているだけだ。しかも、相手はなにかいかがわしい秘密を持っている。(と、ロバート・パティンソンは思う。)
こんなふうにストーリーを追っていくと、まるで映画というよりも舞台劇のようでもある。実際、ことばが重要な働きをしている。嘘はことばだからね。しかし、ウィレム・デフォーのセリフが「暗記(他人のことば)」であることが最初からわかっているので、これが逆に「芝居」を感じさせない。芝居しかできない人間のうさんくささがスクリーンからあふれてくる。
モノクロという色を剥いだ映像が効果的なのだ。観客は、自分の記憶している色(肉体が覚えている色)でスクリーンを見つめる。自分自身の「過去」が噴出してきて、二人の葛藤とまざりあう。二人が憎しみ合いながら、それでも酒に酔って気晴らしに夢中になる気持ち悪さは、出色である。ほかの幻想のシーンよりも、二人のダンスのシーンの方が悪夢のように幻想的である。
悪夢的幻想といえば、重たい霧笛、暴力的な鴎、荒れる波、断崖の岩、さらに灯台内部の螺旋階段がとても美しい。螺旋階段は霧笛と鴎がさんざん登場し、風景になってしまったあと、さっと出てきてさっと消える。螺旋階段が「主役」、霧笛と鴎が「準主役」、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンは「脇役」かもしれないなあ、とも思う。登場回数とは逆だけれど。二人が死んでも、霧笛も鴎も螺旋階段も生き残る。そこに、非情の美しさがある。
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