詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ロバート・エガース監督「ライトハウス」(★★★★★)

2021-07-10 18:52:36 | 映画

ロバート・エガース監督「ライトハウス」(★★★★★)(2021年07月09日、キノシネマ天神、スクリーン3)

監督 ロバート・エガース 出演 ウィレム・デフォー、ロバート・パティンソン、鴎、汽笛、螺旋階段。

 モノクロの真四角なスクリーン。そしてそのスクリーンには「余分」なのものが何もない。余分なものがない、というのはこんなに美しいものなのか、と改めて思う。
 その余分なものがない中で、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンの、二人だけのドラマがはじまる。北海の孤島。灯台が舞台。余分なものはないと書いたが、余分なものはある。通りすぎていく霧笛の音、そして鴎。ふたりの男以外には、それだけ。そして、その余分が二人を刺戟する。たぶん鴎も霧笛も自由だからだ。どこへでも行くことができる。けれど灯台守の二人は、交代の人間が来るまで、どこにも行くことができない。
 しかし、そういうときでも、人間のこころはどこかへ行ってしまうのだ。どこかへ行きたがる。こころが「肉体」のなかからはみだし始める。これがモノクロに、不思議な色をつける。
 まず、他人が気になる。孤島に四週間、二人だけで生活しなければならないので、どうしても相手が気になる。こういうとき、ふつうは互いに自己紹介をする。名前を名乗る。ところが、二人は名前を呼ばない。二人しかいないから、「おまえ」で通じるから、名前は必要ない。実際、映画を見ていて、名前を呼ばないことを、最初は不自然に感じない。二人は、ここに来る前に当然名乗りあっていると思って映画を見ている。
 しかし、若いロバート・パティンソンがまず耐えられなくなる。「名前で呼べ」と反抗する。ウィレム・デフォーは名前で呼び始めるが、彼自身が名を明かすのはずっとあとだ。名前を名乗ったときから、ロバート・パティンソンの「過去」が語られ始める。名前とは「過去」というか、アイデンティティーなのだ。私は、久々に、アイデンティティーということばを、この映画を見て思い出した。アイデンティティーとは、単なる過去ではなく、「相手が知らない過去=過去の秘密」ということである。「過去の秘密」がロバート・パティンソンに、孤高の灯台守という仕事を選ばさせたのだ。
 ウィレム・デフォーは、そのことにうすうす感ずいている。「過去の秘密」がない人間が、孤島の灯台守の仕事なんかをするはずがない。「若いくせになにか隠している」と直感的に思う。そして、それは同時にウィレム・デフォーにも「過去の秘密」があるということを暗示する。
 ここから「世界」が狂い始めていく、というのがなんともおそろしい。ふつうは名乗ることから安定した関係(世界)がはじまるのだが、この映画では逆なのだ。名乗ることで、その名前の背後にはあった「過去」が「現在」へと噴き出してくる。しかも、こういうときは、どうしても「過去を隠したい」という気持ちもあるから、それは「ほんとうの過去」ではないことになる。嘘を語る。
 そして、嘘を語ってみてわかることがある。ウィレム・デフォーはしきりに「白鯨」(だと思う)のことばを「引用」する。他人のことばを引用する。自分のことばでなにかを語るのではなく、他人のことばで語るのは、それが嘘だからだ。
 こうやって互いの「秘密」の暴き合いがはじまる。このときも自分の嘘に耐えられなくなるのは若いロバート・パティンソンである。自分が名乗った名前は嘘だった。それは前の仕事をしていたとき(木こり、筏で丸太を運搬する)、仲間を事故で死なせてしまった。もともと折り合いが悪くて、なんとかしたいと思っていた。
 そして、その気持ちは、いまの相手、ウィレム・デフォーに向かって爆発する。嘘ばかりしゃべって、ほんとうに大切なこと(灯台守の仕事)を教えてくれない。こき使われているだけだ。しかも、相手はなにかいかがわしい秘密を持っている。(と、ロバート・パティンソンは思う。)
 こんなふうにストーリーを追っていくと、まるで映画というよりも舞台劇のようでもある。実際、ことばが重要な働きをしている。嘘はことばだからね。しかし、ウィレム・デフォーのセリフが「暗記(他人のことば)」であることが最初からわかっているので、これが逆に「芝居」を感じさせない。芝居しかできない人間のうさんくささがスクリーンからあふれてくる。
 モノクロという色を剥いだ映像が効果的なのだ。観客は、自分の記憶している色(肉体が覚えている色)でスクリーンを見つめる。自分自身の「過去」が噴出してきて、二人の葛藤とまざりあう。二人が憎しみ合いながら、それでも酒に酔って気晴らしに夢中になる気持ち悪さは、出色である。ほかの幻想のシーンよりも、二人のダンスのシーンの方が悪夢のように幻想的である。
 悪夢的幻想といえば、重たい霧笛、暴力的な鴎、荒れる波、断崖の岩、さらに灯台内部の螺旋階段がとても美しい。螺旋階段は霧笛と鴎がさんざん登場し、風景になってしまったあと、さっと出てきてさっと消える。螺旋階段が「主役」、霧笛と鴎が「準主役」、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンは「脇役」かもしれないなあ、とも思う。登場回数とは逆だけれど。二人が死んでも、霧笛も鴎も螺旋階段も生き残る。そこに、非情の美しさがある。

 

 

 

 

 


*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばかばかしい「論理」

2021-07-10 08:54:28 | その他(音楽、小説etc)

 

 東京五輪の「無観客開催」が決まった。そのことを受けて、菅がこんなことを言っている。(読売新聞、https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20210710-OYT1T50099/ )

「大きな困難に直面する今だからこそ、人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけると東京から発信したい」とも語った。
↑↑↑↑
 菅は「安心安全」とか「努力」とか「英知」ということばが好きなようだが、もしほんとうに「人類の英知」によって困難を乗り越えようとするのなら、「英知」は観戦の危険があるときは五輪を開催しないという決断することだろう。
 それは「英知」というほどのものでもないし、努力というほどのものでもない。あえていえば「我慢」だろう。楽しみたい気持ちはわかるけれど、いまは我慢しよう。我慢することが、自分を助け、みんなを助けること。みんなで助け合いをすることを「公共の福祉」(憲法第12条)と呼ぶことができるが、いまこそ「公共の福祉」の精神を行かすべきときである。
 自民党はこの「公共の福祉」ということばが嫌いで、「公益及び公の秩序」(自民党憲法改正草案、2021年)と言う。さしずめ「無観客」というのは「公の秩序」になるのだろう。「公益」というのは、オリンピックを開催することでもたらされる「お金」ということになるのだろう。でも、オリンピック開催によって「潤う」のはだれなんだろう。「公益」というが、だれのところに「益」が入ってくるのだろうか。IOCには巨額の「放送権料」がころがりこむらしいが、その「益」は日本国民に再配分されるもの? 違うだろうなあ。。日本と日本人にとっては「益」でもなんでもない。せいぜいが、菅の周辺に何がしかの「見返り」がある程度だろう。
 コロナの感染拡大の危険性を考えれば、大会を開かないことがいちばん。そして感染拡大がおさまるならば、医療費の国民負担(税金も含む)も少なくなる。支出が減るということは、収入が入るように目に見える「益」ではないが、やはり「益」なのである。金を使わずにすむ。金をほかのことに使うことができる。
 そういう方法を考えるのが「英知」というものだろう。
 「安心安全な大会」といっていたのに、その「安心安全」のために「無観客」にするというのが「英知」だろう。難局(コロナ感染拡大)を「乗り越える」のが「無観客」というのなら、大会を開かない方がもっと万全だろう。万全の策を探り、それを実践するのが「英知」のつとめだろう。

 五輪ではほとんどの競技で児童・生徒向けの観戦特別枠が取りやめになった。このことについて、読売新聞は、菅に劣らずばかばかしいことを書いている。
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20210710-OYT1T50086/ 
無観客となった自治体の子どもたちは、完全に観戦の機会を失うかもしれない。将来を担う世代に五輪の意味や価値をどう伝えるかも、今後の大きな課題だ。
↑↑↑↑
 「五輪の意味や価値」ということばが出てくるが、読売新聞は「五輪の意味や価値」を同定義しているのか。菅の「英知」とか「努力」と同じように、単なる飾りことばだ。
 五輪は世界の選手が一堂に集まり競技し、選手だけではなく観客も一体になって楽しむことで、世界がひとつであることを実感することだろう。広い会場の観客席で、児童生徒だけが世界一流の選手の競技を見たとして、それでどうして「五輪の意味や価値」を体得できるだろうか。そこから生まれるのは「自分たちは選ばれた人間だ(特権階級だ)」という意識ぐらいだろう。世界にはいろんな人がいるということを実感することもできない。広い会場に世界中からいろいろな人が集まってきて、ことばの通じない隣の人といっしょに楽しんでこそ「世界」を実感できる。同級生と一緒に見ているだけでは「世界」は実感できない。
 そんなことをするくらいなら、大谷選手が打つホームランを見に、アメリカへ旅行した方がいい。「世界中」とはいわないが、多くの人がホームランを見に来ていて、大谷がホームランを打てばスタジアムがどよめくだろう。三振したって、それはそれで、がっかりのため息がスタジアムをつつむだろう。そういう瞬間を体験してこそ、感動の共有がある。
 「英知」だとか「価値」だとか、そういうことばは、それだけでは何の意味も持たない。そのことばが指し示している「実態」と結びつけて「内容」を特定しないといけない。ことばの「空回り」に、ジャーナリズムが手を貸して、一体何になるのだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする