詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案再読(12)

2021-07-13 17:15:06 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(12)

 第19条に触れる前に、少し復習。
 第10条は、国民の定義。
 第11条は、国民は基本的人権を持っている。それを国は侵すことができない。
 第12条は、国民は基本的人権を濫用できない。公共の福祉のために利用しなければならない。
 第13条は、しかし、「公共」(みんな)よりも「個人」が大事。「公共の福祉(みんなの助け合い)」の妨げにならないなら、何をするかは「個人の自由」。つまり「公共の福祉(みんなの助け合い)」に参加しなければならないというわけではない。
 第14条は、国民(個人)はみんな平等。差別されない。これは、ここには書いていないが「公共の福祉(みんなの助け合い)」に参加しなくても差別されない、ということ。「信条」によって差別されないとは、そういうことを指すと思う。
 そのあと、公務員、犯罪者のことが書かれ、第19条に移る。ここで、もう一度ふつうの、つまり公務員でもなく、犯罪者でもない「国民(個人)」のことが書かれる。「自由」が定義される。私は、国民(個人)は、「公共の福祉(みいんなの助け合い)」を妨害するのでなければ、何をしても個人の自由と、憲法のこれまでの条文から理解しているが、ここからはその「自由」について定義していると読む。

(現行憲法)
第19条
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
(改正草案)
第19条(思想及び良心の自由)
 思想及び良心の自由は、保障する。
第19条の2(個人情報の不当取得の禁止等)
 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。
 同じことを書いているように見えるが、私は違うと思う。

 現行憲法は「侵してはならない」と「禁止」を明確に書いている。「侵す」の「主語」は国民ではなく政府(国)である。国家権力は、国民(個人)の「思想及び良心の自由」を侵してはならない。まず、テーマが「(個人の)思想及び良心の自由」であり、国家権力は「これを侵してはならない」と「禁止」であることを明確にしている。
 「侵してはならない」と「保障する」は似ていて違う。「保障する」では「禁止事項」がわからない。その条項によって、だれの暴走を拘束しようとしているのかわからない。
 憲法は、国に対して「〇〇をしてはいけない」という「禁止条項」をまとめたものである。
 第9条では、国民を主語にして、「国権の発動たる戦争(国が指揮して行う戦争)」は、「これを放棄する」と書いているが、これは、国民は「国権の発動たる戦争」を国に対して「禁止する(認めない)」といっている。まず、国への「禁止事項」から語り始める。
 それは国民の基本的人権も同じ。

(現行憲法)
第11条
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 まず「妨げられない」(妨げてはいけない)と書いた上で、こういうことを「保障する」と言いなおしている。「〇〇を守る」では「〇〇を侵してはならない(禁止)」が憲法で言う「保障する」なのである。
 改憲草案は、この「〇〇を侵してはならない」という「禁止」をあいまいにしたまま、「守る」(保障する)とすりかえている。「守る」ために何をするか。それは憲法の場合、国は国民(個人)の権利を侵さない(侵してはならない)、なのだが、それがあいまいにされている。
 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と「思想及び良心の自由は、保障する」という文章を、文章的観点からだけでみると、改憲草案の方が自然な日本語に感じられる。現行憲法は「翻訳調」であり、なんとなくぎくしゃくしている。不自然な感じがする。しかし、これはテーマを明確にし、次に国に対してはこういうことを禁止すると明言するために、そうなっているのである。「ぎくしゃく」していると感じるならば、それは憲法が国に対する禁止事項を国民がつきつけているという「基本」を忘れているからだ。国には、絶対にこういうことをさせない(たとえば戦争をさせない)と要求するときは、その要求がより明確になるよう「文体」を整える必要がある。こういう「文体」を嫌うのは、自民党が「国民から〇〇してはいけないと言われるなんて、真っ平御免」と考えているからである。国民(個人)の視点ではなく、「独裁者」の視点からことばを考えているからである。
 このあと、憲法は「思想及び良心の自由」では抽象的すぎるので、「思想(=良心)」とは、具体的には何を指すかについて書いていくのだが、その個別の「思想自由」について触れる前に、改憲草案は、条項を追加している。重複するが、もう一度引用する。

(改憲草案)
第19条の2(個人情報の不当取得の禁止等)
 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。

 「個人情報」を「不当に取得する」「保有する」「利用する」を「禁止」するのは当然だが、「だれが」それをしてはいけないのか。
 改憲草案の「主語」は「何人」である。「何人」は「国民」と同じようにつかわれているが、「何人」は「個人(ひとり)」というよりも「複数(だれであっても)」を指しているように私には思える。一人のこと(個人のこと)を問題にするのではなく、複数の人間をテーマにするとき「何人」とつかいわけているようだ。(きちんと分析したわけではないのだが。)
 この条項がいちばん問題なのは、憲法が「国の禁止行為」を定義しているはずなのに、ここでは「何人(国民)」に対して「してはならない」と「禁止」していることである。これでは、国民は他人の個人情報を取得する、保有する、利用することはできないが、国はしてもいい(国に対する許可)のように読めてしまう。
 実際、いま「デジタル庁」の創設をはじめ、マイナンバーカードの所持強要なども、国が(自民党が)国民の個人情報を取得、保持、利用するためのものだろう。個人情報(なんと、小学校のときの成績さえマイナンバーカードに記録させるという案があった)を「管理/監視」し、国民を支配しようとしている。
 その一方、国民が政府に対して「情報の開示」を求めると、「個人情報があるから開示できない」と言っている。
 このことからも、改憲草案の「新設条項(第19条の2)」は、国が「個人情報」に限らず、あらゆる情報を一元管理、支配するための条項だといえるだろう。
 すでに何度か書いてきたが、自民党の政策は「改憲草案(2012年)」を「先取り実施」する形で展開されている。思いつきでやっているのではなく、「改憲草案」を踏まえてやっている。
 憲法改正ができなくても、憲法を改正したのと同じことができるように政策を展開している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤芳博『いのちの籠を編む』

2021-07-13 11:27:21 | 詩集

伊藤芳博『いのちの籠を編む』(ふたば工房、2020年08月10日発売)

 伊藤芳博『いのちの籠を編む』には詩に関する文章と憲法に関する文章が収録されている。
 憲法で伊藤が指摘しているのは「国民」と「何人(なんぴと)」の使い分けである。この問題を、伊藤は「英文」と比較している。英文というのは、主にGHQ草案のことである。英文そのものも引用されているが、私は英語のニュアンスがわからないので、伊藤の指摘については、それが納得できるとも、納得できないとも言うことができない。
 伊藤は、「国民」は日本人を指し、「何人」は「外国人を含む人間」を指していると把握している。しかし、そこには「外国人を含む」という明確な定義が言語化されていないので、結果的に、現在も根強く残っている外国人差別(中国国籍人、韓国国籍人、北朝鮮国籍人)を生み出す「温床」のようになっている、「人権」意識が歪められる結果を生んでいる、と指摘する。
 これは丁寧で鋭い批判である。とても多くのことを教えられた。

 また「公共の福祉」(現行憲法)と「公の秩序」(自民党新憲法草案=2005年)を比較して、その書き換え(改正)に異議を語っている。
 私は「自民党新憲法草案=2005年」を読んでいないので、その全体に対する批判はできないけれど、この「公共の福祉」を「(公益及び)公の秩序」と言いなおしているのは、やはり問題だと思う。
 「公共の福祉」を伊藤は「国民の幸福」と定義している。「自分と他人の幸福」について考え、話し合うことを「公共の福祉」の概念だと言いなおしてもいる。ここでも伊藤は英語と比較しながら「福祉」の定義を進めている。
 私は「福祉」を「幸福」というよりも「助け合い」と考えている。助け合いといっても、もっぱら困っている人がいれば助けることが「福祉」、つまりだれかが困っているなら困っている人のために自分のできることをしなければならない、する責任があるが現行憲法の「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」(第12条)だと思っている。
 ただし、「責任を負う」といっても、いつでもかならず困っているだれかを助けるということはむずかしい。できないときもある。だから、最低限、だれかが困っているだれかを助けているのを妨害してはならないというのが、現行憲法の「公共の福祉に反しない限り」最大の尊重を必要とする(第13条)だと読んでいる。13条は12条の補足。みんなが助け合いをしているとき、それを妨害しないならば好きなことをしていい、と読んでいる。みんなが助け合いをしているから、自分も必ず助け合いに協力しなければならないという義務づけをしているとは読まない。
 
 さらに、伊藤は「公の秩序」を「戦争の放棄」とも結びつけて語っている。その指摘は重要であると思う。
 ところで、「戦争放棄」について、伊藤は、「国際紛争を解決する手段としては」ということばの座りが悪い、と指摘している。そして、この「保留」は、「国際紛争を解決する手段として」でなければ、戦争も武力の行使も行ってもよい、というおかしなことになる、と指摘する。( 136- 137ページ)
 その指摘を読みながら、私は、少し考え込んだ。
 現行憲法に番号をつけて読み直してみた。

日本国民は、
①正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
②国権の発動たる戦争と、
③武力による威嚇又は武力の行使は、
④国際紛争を解決する手段としては、
⑤永久にこれを放棄する。

①は「理念」(理想)の表明。
②は「戦争」というテーマを掲げ、それを「国権の発動によるもの」と定義していると思う。修飾語(定義)が戦争の前に来ているのは、単に、その修飾語が短いからである。
③は「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマを掲げている。
④は「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマの説明ではないのだろうか。伊藤も「修飾語」と認識している。修飾語が長いから、テーマが隠れてしまわないようにするために、後に回したのだろう。
⑤の「放棄する」は「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」を「放棄する」と読むことができる。
④で「武力による威嚇又は武力の行使は」と「は」をつかっているのは、それがテーマであることを指し示しているからではないのか。
 現行憲法は、テーマを明示するという文体をしきりにつかっている。(自民党改憲草案では、このテーマの明示を分かりにくくしている。テーマを「一般概念」のようにあつかう文体に変更している。)
 伊藤は、このときも英文を参照しながら「文体」を読んでいるけれど、憲法全体の文体との比較も必要なのではないか、と私は思う。
 また「国際紛争」は「戦争」かどうかは、意見が分かれると思う。
 国が発動しなくても「国際紛争」は起きうるのではないか。たとえば日本近海では、よく外国漁船の「拿捕」がある。日本の漁船が外国沿岸で「拿捕」されることもある。これも「国際紛争」の一つではないだろうか。そう考えれば、そういう「国際紛争」のとき、それを解決するために「武力による威嚇又は武力の行使は」しない(放棄する)といっているのではないだろうか。
 というのも、いったん「武力による威嚇又は武力の行使」をしてしまうと、武力衝突は拡大し、「国権の発動たる戦争」につながっていくからである。
 伊藤の訳出している、「日本国民は、国権の発動たる戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使を、永久にこれを放棄する」は伊藤の言うように「わかりやすい」文章だけれど、問題は、「は」が「を」になっていること。そして、「武力による威嚇又は武力の行使」というテーマが「国際紛争を解決する手段としての」という長い修飾語によって見えにくくなっていること。
 私はテーマの明示が、憲法の場合は重要なのではないか、と考えている。
 このことについて考えましょう、こういうことについては、国には(権力には)こうさせるのをやめよう(禁止しよう)ということを明確にするためには、まずテーマの明示が重要、という文体で書かれていると思う。
 第9条は修飾語を省略すれば(骨格化すれば)「日本国民は、戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する」になると思う。「テーマ」は「戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」。この二つを「永久に放棄する」。(〇〇は、これを〇〇する、というテーマを先に明示し、それを「これを」と言いなおすのは、現行憲法の文体の特徴の一つである。)
 私は英語を話さないのでわからないけれど、英語では重要なことは先に言う。説明は後回しにする。伊藤の引用している英文では「as」をつかって説明を後回しにしているのがよくわかる。その重要なこと(テーマ)が先、説明は後、という「文体」を忠実に再現しようとしたのが、現行憲法の表現ではないだろうか。先にも書いたが「戦争」について「国権の発動たる」が先に来ているのは、それが短いからである。
 わかりにくい、あるいはふつうの日本語の「文体」と違う、というのは、考えてみれば憲法のようなものには重要なことではないだろうか。ふつうの日本語にしてしまうと、見えにくくなるものがある。
 私がいちばん気にするのは、そこである。
 現行憲法について、「翻訳体(翻訳調)の不自然な日本語である」という批判がしばしば聞かれる。「こんな日本語はない」だから、もっとに「日本語らしいこなれた文章」にしなければならない。私は、こういう論理に疑問を持っている。

 だんだん書いていることが伊藤の論の紹介ではなくなってきてしまったが……。

 いろんなひとが、いろんな立場から憲法を読み直す。自民党の改憲の動きと合わせて、憲法を考え直すというのは重要なことだと思う。いろんな読み方があれば、そこから気づかされることが多い。ひとりでは、わからないことが多い。
 衆院選では、絶対に自民党はコロナ対策がうまくいかなかったのは「緊急事態条項」が憲法にないからだと言いはり、改憲をからめて選挙運動をすると思う。その動きに向き合うために、多くの人が憲法を読み直し、何が書いてあるのか考えることが大切だと思う。憲法は、自民党のためのものではなく、国民のためのものなのだ。そして、それをどう読むかは、国民一人一人の「自由」なのだ。自分の暮らしから憲法を読む。人の数だけ、憲法の読み方があっていいはずだと思う。

 詩についての文章(一年間の時評)のなかに、こういう文章がある。
 「私というの一人の人間には、そう多くの詩はいらない」。これは美しいことばだ。憲法についていえば、私は、その全部の条項を必要とはしない。私には絶対に譲り渡したくない条項がある。そのことはすでに書いたので繰り返さない。その条項を中心にして、憲法を読み直す。そうすると、私にとっての憲法がどういうものかが見えてくる。多くの人が「私にとっての憲法」を語り合うとき、憲法がいっそう身近になると思う。
 多くの人の「憲法」を読みたい。憲法学者の憲法ではなく、暮らしからわかる憲法を読みたいと思う。

 

 

 

 

*********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>


オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349

(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする