詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

古根真知子『皿に盛る』(2)

2022-03-06 11:32:38 | 詩集

古根真知子『皿に盛る』(2)(私家版、2022年03月01日発行)

 古根真知子『皿に盛る』は、読む先から、この詩について書きたい、引用したい、紹介したいという思いがあふれてくる。それをせき止めるようにして、あるいは断ち切るようにして、きょうはまず「葬送」。

閉じて開いて
閉じて開いて

閉じて
閉じて

目は
道ばたのアジサイを
閉じこめる

6月の青を
閉じこめる

囚われて

 くりかえされることばに私の肉体は反応する。「閉じて開いて」が「目」の動きであることが三連目でわかる。そして「目を/閉じる」ということが、見たものを「閉じこめる」につながることを知る。
 このときの「閉じこめる」は「忘れない」だろう。
 「葬送」とあるから、だれかの葬儀のときである。そのときアジサイが咲いていた。そのことを忘れない。それは六月を(命日を)忘れないであり、その人を忘れないでもある。
 「閉じこめる」は「閉じこめられた」ひと(あるいはアジサイ)から見れば「囚われる」でもあるのだが。

雨も日射しも断ち
屹立と
暗闇の棺に
6月の
青を溶く

開いて閉じて
開いて閉じて

閉じて
閉じて

目は
道ばたのアジサイを
閉じこめる

7月は薄紫色を
8月は褪せた枯れ色を
朽ち色を

 「開いて」「閉じて」というのは、最後の別れのための棺の扉(窓)のことか。「雨も……」の連は、はっきりとはわからない。ときに「青を溶く」をどうつかみきっていいか(誤読していいか)わからない。だが、それがとてもいい。「私の気持ち」を書いているのではない。古根は古根の気持ちを、行動を、肉体を書いている。わからないことがあって当然なのだ。
 ここには「わからない」ことがもつ「強さ」がある。
 ここには、たしかに古根が生きている、考えている、思っている、ことばをさがしているということが「ある」。その「ある」ということだけは、わかる。
 この不可解を、「美しい不可解」として、私は私の肉体のなかに「閉じこめて」おくことにする。
 六月のアジサイは、まだ開ききっていないのか。それは亡くなった人が「幼い人」を意味するのか。暗示するのか。
 七月には薄紫色に、八月には色あせ、枯れて、朽ちていくアジサイ。
 そうであっても、そのすべてを「閉じこめる」。忘れない。
 亡くなったひとは、アジサイのように、人生の盛りを生き、それから枯れて色衰える老年も生き、朽ちるまで生きた人かもしれない。
 誰を思い浮かべるかは、その人の体験によって違ってくるだろう。そういう他人の想像を想像のままにしておいて、古根はただ、見たもの(見るもの)をすべてを忘れないと書いている。
 「ここ」にも、「不可解」なものが書かれている。「不可解」であることによって、古根がほかの誰でもない、古根自身になっている。

待っている
ここで
ずっと

いくども届けものがあった

ベンチ
過呼吸の女
赤い水たまり

一方通行の電話
なつかしい白骨

 それは、古根が、あるときふと出会ったもののことだろう。それを「届けもの」と呼んで、古根は受け止めている。それが「待っている」ものであったかどうかは、わからない。しかし、忘れることができず、つまり思い出しているのは、それはそれで「不可解」な「一期一会」のようなものだからだろう。
 そういうものを、古根は切って捨てない。それが「自分」だと思っている。
 だから、詩は、こうつづいていく。

躰のいろんなところが反応した

絡んだり
もつれたり
溢れたり

送りかえせない
ほどけない

時間がつもって
毀れそう

待っている

ここで
ずっと

 「躰のいろんなところが反応した」という一行は、なんと美しいのだろう。「一期一会」の瞬間、「気持ち」がではなく、「どこ」とは具体的に名づけることのできない「躰のいろんなところ」が「反応した」。肉体の「いろんなところ」はそれぞれに名前がついているが、切り離せない。その「切り離せない」ものが、切り離せないまま反応して動く。すると、どうなるか。

絡んだり
もつれたり
溢れたり

 さまざまな動詞になって、「肉体」そのものが動く。それは「ほどけない」。簡単に整理し、要約し、語ることはできない。
 そういうものが重なって「時間」になる。古根は「時間がつもって」と書いているが、積もったもの(重なったもの)が「時間」であり、それはそのまま古根の「肉体」だろう。(古根は「躰」という漢字をつかっているのだが、そこに、私と古根の大きな違いがあるのだが、私は私のことばでしか書けないので「躰」を「肉体」と書いている。いつもつかっていることばで書いている。)
 そして、「時間」がつもっていくとき、「毀れそう」になるのは何だろうか。「時間」を「肉体」の比喩(言い換え)だと考えれば「肉体」だが、積もった「時間」そのものが「毀れる」ということもあるだろう。そして、その「毀れる」とはどういうことなのか。
 前の連に、こうあった。

ベンチ
過呼吸の女
赤い水たまり

一方通行の電話
なつかしい白骨

 ばらばらになっている。脈絡がない。だが、そこには見えない脈絡がある。そういう「毀れ方」がある。それは「論理的」な脈絡をつけることができないけれど、意識できない「脈絡」でつながっている。「論理的」に整理できないけれど、そこに「ある」。その「ある」ものと同じようにして、古根が「ある」。生きている。
 それは「待つ」ことなのだ。
 強引にことばを動かして「結論」(脈絡)を作り出してしまうことではない。ばらばらのものを、ばらばらのまま受け入れ、「閉じこめて」、それを「開いて」解き放ってくれるものを「待つ」。
 それは古根以外の人(新しい一期一会)かもしれないし、古根自身かもしれない。古根の肉体の「いろんなことろ」が「反応」しながら、自分の力で「ほどいて」いくかもしれない。
 「ここ」とは、どこか。古根の「肉体」である。「肉体」が存在するところが、いつでも「ここ」なのだ。 

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglmeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」11月号を発売中です。
142ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

<a href="https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710854">https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710854</a>

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy loco por espana(番外篇148)Joaquín Llorens

2022-03-06 09:27:58 | estoy loco por espana

Obra Joaquín Lloréns
Técnica hierro

Belleza asimétrica.
Ritmo creado por la asimetría.
La asimetría tiene un movimiento que libera al mundo.
Un ritmo tranquilo que se extiende poco a poco y para siempre.

Desde este ángulo, la obra parece retorcer y conectar el espacio, como el cuadro dibujado de Escher.
No es que la escultura se retuerza, sino que el espacio se retuerce.
O quizás debería llamarla rueda de Mobius.
Un círculo de Mobius abierto compuesto por líneas rectas.

非対称の美しさ。
非対称がつくりだすリズム。
非対称には、世界を解放する動きがある。
少しずつ、どこまでも広がっていく静かなリズム。

この角度から見ると、エッシャーのだましの絵のように、作品が空間をねじらせつなげているように見える。
彫刻がねじれるのではなく、空間がねじれるように。
あるいはメビウスの輪と言えばいいのか。
直線で構成された、開かれたメビウスの輪。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする