青柳俊哉「月」、池田清子「三月の庭」、緒方淑子「air a」、徳永孝「雲と競争」(朝日カルチャーセンター福岡、2022年03月07日)
受講生の作品。
月 青柳俊哉
中天の薄雲をながれていく
白い光 夕闇に祈る農夫の 群青のかげも
水辺にそよぐ水仙の 淡い黄も
色褪せて 凍てつく
わたしは初めて月をみる
深閑のモノクロームにうたれて
月と発語するもののいない 空に立ち
いのちと異なる時間を生きるものを 想う
つき というしるしを捨て わたしたちに言葉をしいて
空に 未知を象る
冬蝉のなき声がする 水仙の淡い黄が
暈(ぼ)けて 白い光がながれる
「月」という表記と「つき」という表記がある。そのため、三連目で「つき」とひらがなにしたのはなぜか、という質問が出た。
質問というものは、いつでも何らかの答えを含んでいる。その答えはまだことばにならっていない。それを探り出していく、ことばを自分のなかから見つけ出すというのが詩を読むことだと思う。詩を読むとは、詩に読まれること。
それはそれとして。
質問に、青柳は「つきというしるし」というのは「ことばとしての月」という説明をした。
この詩を読む場合、青柳が言った「つきというしるし」の「しるし」が重要になる。「しるし」とはそれ自体具体的なものだけれど、そこに含まれている意味は抽象的である。具象と抽象が結びついている。
たとえば机の上にのみかけのコーヒーカップがある。それはコーヒーカップという具体的なものだが、だれかがここにいたということを意味するしるしでもある。
もし、その世界を、コーヒーカップということばをつかわずに描写するとしたら、どうなるだろうか。
そういうことを「月」を見ながら、青柳は考えている。
「つきということこば」を捨てる(つかわない)で、いま空に起きていることをを語るとしたら、それはどうなるだろうか。月という知っていることばがない。それを語るとき、どうしても新しい(未知)のことばが必要になる。語るとき「ことば」なにしは語れない。考えるとき「ことば」なしには考えられない。いつでも私たちは「ことばを強いられる」存在である。
そのことが「わたしたちに言葉をしいて/空に 未知を象る」ということばになっていると思う。
とても哲学的なこと、ことばと世界の関係が語られている詩である。
私は、三連目の論理的なことばの運動も好きだが、二連目の「わたしは初めて月をみる」の「初めて」がとても印象的で、いいと思った。
「初めて月を見たのはいつ?」
こう質問されて、それに正確に答えられる人はいないだろう。月は、ほとんど無意識に、いつも見ている。そのいつもの月を初めて見る。それはほんとうは初めてではなく、初めてのものとして気づく、ということだ。見たことのない月を見ている。そこには驚きがある。どんなふうに初めてだったのか。「月」という、いつもつかっていることばではいいあらわれない何かを感じた、ということだろう。
詩を発見した、ということかもしれない。
まだ、だれも語っていない「月」。それを語るにはどうすればいいのか。
これは、問題提起の詩であり、問題を提起すること(質問をすること)は、すでに自分のなかで生まれ始めていることば(未生のことば=未知)を探すことでもある。
「つき、とひらがなにしたのはなぜですか?」
それは、わからない。わからないから、そこに「答え」が隠れている。作者もまた、それをさがしている。そのさがしている「過程」そのものが、詩という形になって、ここにあらわれている。
*
三月の庭 池田清子
今 きっと 梅がきれい
六月 実がたくさん取れる
深紅の八重椿
道路にいっぱい散って
掃き集めるのが大変
明るいらっぱ水仙
家の中からは後姿ばかり
れんぎょう
さくらんぼ
濃いあじさいが咲き
びわがなり
秋には柿
勝手に剪定するものだから
表 裏 裏 裏 ・・・・
甘くて大きいたくさんの早生柿
おすそわけができる
そんな庭からも 家からも
私は 自ら去ったので
涙は流さないけれど
もし 突然 もっと大切なものまでも
失うことになったとしたら
この作品は「失うことになったとしたら」という中途半端な形で終わっている。「どうなるだろう」という疑問のことばをおぎなうと、文章にはなる。しかし、疑問が残る。どうなる? その答えは、池田にはわかっている。だから、かかない。
わかっていることは書かない。わかるまでの「過程」を描く、という視点から、この詩を読み直すのもいいかもしれない。
「どうなるだろう」は「未来」である。そのこたえは、いつでも「過去」にある。この詩では、予想される「答え」とは逆のものをあらわすものとして「過去」が書かれている。「過去」だけれど、そこに描かれる梅や柿、いろいろな花は「未来」を必然的に抱えている。表作、裏作の違いはあるかもしれないが、ある「未来」がたしかなものとして存在するように思える。
でも、人間は、そうではない。
「どうなるだろう」が予測するのは、たいてい「未来」である。
でも、その「未来」から「過去」を見たら、どうかわるだろか。「大切なもの」はもっと「大切なもの」として実感されるかもしれない。
この詩は「大切なもの」を実感するための「予行演習」のようなことばかもしれない。
*
air a 緒方淑子
こぼれる涙を
あごのラインで
手の甲で
何度も
拭ってた
そんな方法もあるのかと
真似てみた
間に合わなかった
全然
a scene with an actress
ひとはいつでもいろいろなことを知っている。たとえば月が月であることを知っている。ところが、突然、「間に合わない」ときがやってくる。知っているはずなのに、初めてのように、何かにであってしまう。
緒方は涙も知っていれば、美しい涙の拭き方を知っている。
しかし、間に合わない。それは、その知っているはずの涙が、まったく知らないもの、青柳のつかったことばでいえば「初めて」の涙としてあふれてきたからだろう。
「初めて」との向き合い方が、詩そのものなのだ。
いま感じている「初めて」はいったい何なのか。もちろん、知っている。でも、それはまだ明確なことばになっていない。「未知」のことばのまま、人間を動かしていく。
*
雲との競争 徳永孝
列車が走る
雲が追いかけてくる
大きな雲が先頭だ
続く小さな雲達も
負けずに付いていく
列車がスピードを上げる
雲達もスピードを上げる
勝負はつきそうもない
線路脇の土手に雲が隠れる
レースも終わりかあ
少し残念
土手がと切れると
まだ雲達は追(つ)いてきていた
列車が走る。雲が見える。それは列車と競走して、ついてきているように見える。多くの人が経験することかもしれない。徳永にとって「初めて」はなんだったろうか。
「線路脇の土手に雲が隠れる」という行には、具体的なことが書かれている。「初めて」はいつでもこんなふうに具体的である。
ただ、具体的すぎて、抽象にむけて整理できないことが多い。緒方の詩で「涙の原因」が書かれていないのは、整理して書いてしまうと、それは「涙の原因」とは少し違ったものになってしまうからだろう。整理できないものがある。だから、それが知っているものをつきやぶって動くと、何もできなくなる。
徳永の作品では、もし、この「線路脇の土手に雲が隠れる」がなかったら、ことばはどう動くだろうか。「隠れる」があるからこそ、「ついてくる」がはっきり見える。そのことを思うと楽しい。
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