愛敬浩一「学校の帰り道で」(「詩的現代」40、2022年03月発行)
愛敬浩一「学校の帰り道で」の、後半。
その学校帰りの道で
私は何とも言葉に出来ない幸福感に包まれた
父と母がいて、弟がいて
もうこれ以上、何も必要なものなどないと感じたのだ
なぜ、その時、その場で、そういう風に感じたのか
全く思い出すことが出来ない
ただ、その時、このことは忘れないようにしよう
と強く思っている私自身の姿と
その場所の光景が
不思議なことに
いまでも天然色でくっきりと見える
要旨はわかるが、なんだか、屁のようなことばの羅列である。屁のような、というのは、ぜんぜんおもしろくない、という意味であり、また、我慢しようとすれば我慢できるということである。いや、私は「屁のような」ということばを書いているのだから、きっと「会議中に屁なんかこくな」と言ってしまう人間かもしれない。でも、たいていのひとは、「あ、誰かが屁をした。でも、いまは会議中だから、黙っていよう」と我慢するだろう。「屁のような」とは、そういうことでもある。
で、このあと、ことばは転調する。
あれから半世紀以上
--それは、成長することの哀しみと痛みだったかもしれない、と
トルーマン・カポーティの、最後の小説『あるクリスマス』を読み
また、その解説を読んで思ったことだ。
「成長することの哀しみと痛み」も、また「トルーマン・カポーティ」も、「屁」の無言の合唱のようである。そんなもの、聞きたくない。
だが、
また、その解説を読んで思ったことだ。
この一行が、すばらしくおもしろい。
人は、「一回」では、何かをはっきりと「思う」ことができない。最初は、ぼんやりしている。「何か思う」のだが、それは「ことば」になりきれない。それこそ「屁」のように、とらえどころがない。我慢しようとしても、思わず出てしまう(動いてしまう)何かである。
それがことばになるためには、時間をおいた「反復」が必要になる。ときには、自分のことばだけではなく、他人のことばが必要になる。
最初に引用した部分では、
なぜ、その時、その場で、そういう風に感じたのか
全く思い出すことが出来ない
ただ、その時、このことは忘れないようにしよう
と「その時」がくりかえされている。「その場」は、そのあと「その場所」と言いなおされている。「そういう風」「このこと」ということばもある。あることが「その、この」で、くりかえされている。
くりかえすと「くっきり」してくるのだ。
その「くっきり」が「成長することの哀しみと痛み」というのは、あまりにも定型的(文学的)だが、その定型を「また、その解説を読んで思ったことだった。」と補足するとき(くりかえすとき)、なんとも不思議な「味」が出てくる。
「正直」が出てくる。
ここでもまた、「その解説」と「その」ということばがつかわれているのだが、どうも、この「その」が「くせもの」である。「くせもの」というのは、ひっかかるものがある、ということだ。
「その」ということばは、誰もがつかう。
でも、どういうときに、つかうのか。
愛敬は、この詩のなかでは「あの」をつかっていない。
なぜ、あの時、あの場で、あういう風に感じたのか
とは、書いていないのである。ここに、「小さな秘密」のようなものを感じる。
「バー愛敬で飲もうか」と誰かに誘われたとき、どう答えるか。「そのバー知らない」と言うか「あ、あの詩人がやっているバー?」と言うか。これは、会話としてありうる。しかし、「あのバー知らない」「あ、その詩人がやっているバー?」とは言わない。「あの」と「その」は違うのだ。「その」は一方の人間が知っていて、他方の人間は知らないときの指示ことば。「あの」は対話している二人ともが知っているときの、その場から離れた何かを指し示す。「あの」は認識が共有されているのに対し、そのは共有されていない。
愛敬は「その」を読者に向けて書いている。
愛敬は、愛敬自身の「体験/記憶」を書いているのだが、その体験、記憶を書くとき、過去の愛敬とは対話していない。独白なのだ。独白だからこそ、(つまり、ひとりしかいないからこそ)、それが「屁のようなことば」であっても気にならない。ひとりで部屋に閉じこもって屁をもらしたとしても、誰にも気をつかわない。自分自身の肉体が、ふっと楽になるだけである。
つまり。
ここに書かれているのは、そういう、それこそ「屁のような」どうでもいいことなのだが。
しかし、そういうことは、どうでもいいことだけれど、実際に存在するし、屁をしないままで生きていくことなど人間にはできないから、ある意味では必要なことなのである。あとから「私が屁をしました。会議中に失礼しました」と言われても、こまってしまう。でも、そのことばをせし聞かされたら「バカ、そんなことは言わなくてもいいことだ」と言うしかない。人間にとって正直は大切なことだけれど、いつでも正直でなければならない必要はない。ただ正直に出会うと、なんとなく、うれしい。
どうでもいい。
そういう「どうでもいい」感じの瞬間があり、「どうでもいい」ことが、人間を(ことばを)どこかで支えていることもある。そういうことを、この詩の最後の一行、「また、その解説を読んで思ったことだ。」が思い起こさせてくれる。
実際、私の書いているこの文章もそうだけれど、「他人の書いた解説」なんて、どうでもいいでしょ? 自分が思ったこととは違うんだから。少しくらいは、そうかもしれないと思うかもしれないが、そう思ったと仮定して、その後、そのことばを引き継いで考えていかなければならないのは自分自身なのだから、どんな解説も「その解説」にしかすぎない。
「思った」ではなく「思ったことだ」と「こと」をつけくわえているのも、おもしろい。妙に「客観的」なのだ。「主観」なのに、すべてが「客観化」されている。「客観化」は「くりかえす」ことというか、「くりかえす」ことによって再現されたものであり、「いま、ここ」の現実とは少し違う。かなり違う。
書き始めると、めんどうになるので、ここでやめておくが、
また、その解説を読んで思ったことだ。
という一行がなければ、何も書くことのない詩だが、この一行のため、私は、あれやこれやと思うのだ。
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