「最も重要な隣国」と施政方針演説
自民党憲法改正草案を読む/番外169(情報の読み方)
2018年1月24日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、
という見出し。
あれ、出席しないと言い張っていたのでは?
記事にこうある。
というよりも、北朝鮮の五輪参加(合同チーム)の「和平ムード」に取り残されまいとして必死なのだろう。
対応が遅すぎる。
それに。
22日の「施政方針演説」では、日韓関係に触れた部分で、これまでつかってきた「最も重要な隣国」という表現をつかっていない。言い換えると「削除」した。これまでつかっていた表現をやめるというのは、それが定着して「常識」になったときと、その表現が気にくわなくなったときである。安倍の演説では、後者である。「慰安婦問題の日韓合意を巡る韓国側の対応に」苛立ち、「最も重要な隣国」をやめた。
でも、これではまずいと思いなおして五輪に出席しようというのだろうが、ちぐはぐだねえ。何も考えずにことばをつかい、行動している。
というのは、まあ、前置き。
22日の安倍の「施政方針演説」。いろいろなポイントがあるが、「改憲」が一番のポイントだと思うので、そのことだけについて書いておく。
二点ある。
「専守防衛は当然の大前提としながら」と「従来の延長線上ではなく」は矛盾する。「従来の延長線でない」なら、それは「専守防衛」ではないだろう。攻撃されたら守るではなく、攻撃される前に攻める、だろう。「先制攻撃が最大の防御である」というのは、あらゆる「戦い」の原則のようなもの。そこへ踏み出す。
安倍は「安全保障政策において、根幹となるのは、自らが行う努力であります。厳しさを増す安全保障環境の現実を直視し、イージス・アショア、スタンド・オフ・ミサイルを導入するなど、我が国防衛力を強化します。」と言うが、それは「防衛力」ではなく「攻撃力」の強化だろう。
「各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り」は、「わな」である。
安倍は「改憲(特に自衛隊を憲法に書き加える)」を狙っている。そのことへの「対案」は「憲法を変えない」「自衛隊を憲法に書き加えない」である。つまり「対案なし」が一番の対案なのである。
もし「対案」があるとするならば、「自衛隊の活動範囲は、日本の領空、領海、領土に限定される。それ以外の活動はいかなるものも禁止する」というしかないだろう。これは「戦争法(集団的自衛権)」を完全に否定する「案」である。
しかし、私は、こういう「案」も「対案」として提出するのは、安倍の策略にのってしまうことだと考えている。
少し前に、与野党の質問時間がとりざたされた。与党の議員が多いのに質問時間が少ない、議席数にあわせて配分すべきである、という「意見」である。暴論である。与党が提出してくる案に対して野党が質問する。質問と答弁は「半々」である。それなのに「質問時間」だけをとりあげて問題にすることは、民主主義を否定する。
そして、このときの「意見」を踏まえて言うと。
野党が「対案」を出した場合、与党が質問する。その質問時間は「与野党の議席配分」に比例したものになるかもしれない。審議時間の総量がかわらないなかで、与党の質問が増えるということは、逆に見れば野党の質問時間が減るということである。つまり、野党が「自民答案」の問題点を指摘する時間が減ってしまう。それなのに、「総量時間」を一定にしておいて、「〇時間審議した。議論は尽くした」という形で、「審議終了」になる。
強行採決になる。
これは、目に見えている。
こういうことをさせないためにも、野党は「対案」など出してはいけない。自民党案の問題点を徹底的に追及しないといけない。
自民党はすでに「案」を「しぼらせない」作戦、言い得ると批判の焦点を隠すという作戦を取り始めている。
最初の「自民党改憲推進本部」では「たたき台」を出したのに、12月の会議では、9条改正に対する「案」を二案併記にしている。それも明確な「文言」を公表していない。
憲法にかぎらず法律は「文言」である。それをどう解釈するか、どう運用するかが重要なのに、肝心の「文言」がない。これでは「議論」にならない。
安倍は国民に議論をさせない作戦(沈黙作戦)を一貫して取り続けている。「権力を拘束するための憲法」さえも、かってに解釈し、その解釈に対する国民の批判を封じている。
安倍の「沈黙作戦」に乗らないために(乗せられないために)、何をすべきなのか、そのことを考えないといけない。
何度も書いているが、また書いておく。
安倍は天皇に「天皇は国政に関する権能を有しない」ということを明言させ、沈黙させた。新年のことばも封印した。天皇さえ沈黙し安倍に従っている。国民は安倍の独裁を沈黙して受け入れるべきだと考えている。独裁を押しつけている。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外169(情報の読み方)
2018年1月24日の読売新聞(西部版・14版)の一面に、
首相 平昌五輪出席へ/開会式 日韓首脳会談 調整
という見出し。
あれ、出席しないと言い張っていたのでは?
記事にこうある。
安倍首相は、2月9日に韓国で開幕する平昌冬季五輪の開会式に出席する意向を固めた。訪韓中に文在寅大統領と会談する方向で調整している。慰安婦問題の日韓合意を巡る韓国側の対応に国内では反発が強いが、北朝鮮の核・ミサイル問題を踏まえ、日韓両国の連携維持を重視した。
というよりも、北朝鮮の五輪参加(合同チーム)の「和平ムード」に取り残されまいとして必死なのだろう。
対応が遅すぎる。
それに。
22日の「施政方針演説」では、日韓関係に触れた部分で、これまでつかってきた「最も重要な隣国」という表現をつかっていない。言い換えると「削除」した。これまでつかっていた表現をやめるというのは、それが定着して「常識」になったときと、その表現が気にくわなくなったときである。安倍の演説では、後者である。「慰安婦問題の日韓合意を巡る韓国側の対応に」苛立ち、「最も重要な隣国」をやめた。
でも、これではまずいと思いなおして五輪に出席しようというのだろうが、ちぐはぐだねえ。何も考えずにことばをつかい、行動している。
というのは、まあ、前置き。
22日の安倍の「施政方針演説」。いろいろなポイントがあるが、「改憲」が一番のポイントだと思うので、そのことだけについて書いておく。
二点ある。
(1)年末に向け、防衛大綱の見直しも進めてまいります。専守防衛は当然の大前提としながら、従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めてまいります。
「専守防衛は当然の大前提としながら」と「従来の延長線上ではなく」は矛盾する。「従来の延長線でない」なら、それは「専守防衛」ではないだろう。攻撃されたら守るではなく、攻撃される前に攻める、だろう。「先制攻撃が最大の防御である」というのは、あらゆる「戦い」の原則のようなもの。そこへ踏み出す。
安倍は「安全保障政策において、根幹となるのは、自らが行う努力であります。厳しさを増す安全保障環境の現実を直視し、イージス・アショア、スタンド・オフ・ミサイルを導入するなど、我が国防衛力を強化します。」と言うが、それは「防衛力」ではなく「攻撃力」の強化だろう。
(2)50年、100年先の未来を見据えた国創りを行う。国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です。各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り、憲法審査会において、議論を深め、前に進めていくことを期待しています。
「各党が憲法の具体的な案を国会に持ち寄り」は、「わな」である。
安倍は「改憲(特に自衛隊を憲法に書き加える)」を狙っている。そのことへの「対案」は「憲法を変えない」「自衛隊を憲法に書き加えない」である。つまり「対案なし」が一番の対案なのである。
もし「対案」があるとするならば、「自衛隊の活動範囲は、日本の領空、領海、領土に限定される。それ以外の活動はいかなるものも禁止する」というしかないだろう。これは「戦争法(集団的自衛権)」を完全に否定する「案」である。
しかし、私は、こういう「案」も「対案」として提出するのは、安倍の策略にのってしまうことだと考えている。
少し前に、与野党の質問時間がとりざたされた。与党の議員が多いのに質問時間が少ない、議席数にあわせて配分すべきである、という「意見」である。暴論である。与党が提出してくる案に対して野党が質問する。質問と答弁は「半々」である。それなのに「質問時間」だけをとりあげて問題にすることは、民主主義を否定する。
そして、このときの「意見」を踏まえて言うと。
野党が「対案」を出した場合、与党が質問する。その質問時間は「与野党の議席配分」に比例したものになるかもしれない。審議時間の総量がかわらないなかで、与党の質問が増えるということは、逆に見れば野党の質問時間が減るということである。つまり、野党が「自民答案」の問題点を指摘する時間が減ってしまう。それなのに、「総量時間」を一定にしておいて、「〇時間審議した。議論は尽くした」という形で、「審議終了」になる。
強行採決になる。
これは、目に見えている。
こういうことをさせないためにも、野党は「対案」など出してはいけない。自民党案の問題点を徹底的に追及しないといけない。
自民党はすでに「案」を「しぼらせない」作戦、言い得ると批判の焦点を隠すという作戦を取り始めている。
最初の「自民党改憲推進本部」では「たたき台」を出したのに、12月の会議では、9条改正に対する「案」を二案併記にしている。それも明確な「文言」を公表していない。
憲法にかぎらず法律は「文言」である。それをどう解釈するか、どう運用するかが重要なのに、肝心の「文言」がない。これでは「議論」にならない。
安倍は国民に議論をさせない作戦(沈黙作戦)を一貫して取り続けている。「権力を拘束するための憲法」さえも、かってに解釈し、その解釈に対する国民の批判を封じている。
安倍の「沈黙作戦」に乗らないために(乗せられないために)、何をすべきなのか、そのことを考えないといけない。
何度も書いているが、また書いておく。
安倍は天皇に「天皇は国政に関する権能を有しない」ということを明言させ、沈黙させた。新年のことばも封印した。天皇さえ沈黙し安倍に従っている。国民は安倍の独裁を沈黙して受け入れるべきだと考えている。独裁を押しつけている。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1500円、送料込み)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。
「不思議なクニの憲法」の公式サイトは、
http://fushigina.jp/
上映日程や自主上映の申し込みができます。
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