今年初めての、吟詠練習。
緩み切った気持ちを切り替えることができました。
そのように吟じているつもりでも、相手にそのように伝わらなければ、やっていることにはならないんだよということがあって、そのためには、自分としては大げさなくらいに、表現しなくてはならないことがわかりました。
譜33番の七でのばして、六に落とす。祖の七の最後の音に伸びやかさと力強さを持たせたい、持たせていると思っていたのですが、ちっとも、相手に届いてない。
このくらいの力で、声を押せばよいという私の思う「このくらい」が、体の使い方が不十分で、10の力の3ほども出せていなかったことがはんめいして、もう一度母音を言いなおすくらいにして初めて、目論んだ吟詠ができるのです。
「やっています」と言ってしまわないで、聴きなおし、吟じなおしをして、初めて、私の声を出すエネルギーが足りてないことがわかる。
いつも言っていることですが、「やっています」「はい、そうですか」で、決して終わらせてはいけないことを自分自身で、体験しました。
ありがたきかな、ありがたきかな。
緩み切った気持ちを切り替えることができました。
そのように吟じているつもりでも、相手にそのように伝わらなければ、やっていることにはならないんだよということがあって、そのためには、自分としては大げさなくらいに、表現しなくてはならないことがわかりました。
譜33番の七でのばして、六に落とす。祖の七の最後の音に伸びやかさと力強さを持たせたい、持たせていると思っていたのですが、ちっとも、相手に届いてない。
このくらいの力で、声を押せばよいという私の思う「このくらい」が、体の使い方が不十分で、10の力の3ほども出せていなかったことがはんめいして、もう一度母音を言いなおすくらいにして初めて、目論んだ吟詠ができるのです。
「やっています」と言ってしまわないで、聴きなおし、吟じなおしをして、初めて、私の声を出すエネルギーが足りてないことがわかる。
いつも言っていることですが、「やっています」「はい、そうですか」で、決して終わらせてはいけないことを自分自身で、体験しました。
ありがたきかな、ありがたきかな。