風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

桐の箱のような

2019年07月29日 | 詩吟
桐の箱は、主役とはならない。
どんなに素晴らしい技術が込められていようが、控えめな色、本当は強いのに軽いこと、見かけは、楚々としているから、いろんな良い機能をもっているのに、それ自体は前面にアピールしない。

そして、箱は、中身がしっかりとしていて初めて、箱の力を発揮するのだ。
だから、高価なものは、桐の箱に収められ、墨で箱書きがなされ、絹の紐で縛られる。
中身あっての、桐の箱。
中身あっての、桐のたんす。

それでも、装飾の施された箱は、箱だけでも存在を見せるんだよねぇ。
彩があるってことは、「売り」があるってことか。


緻密に組み立てられ、しっかりとした技術があっても、桐の箱のような吟詠は、誰にも認められず、打ち捨てられるのか。
箱が、ぐずぐずでもパカパカでも、彩色や模様を施されてさえいれば、目を惹いて注目されるようになるのは、仕方のないことなのか。

端材を合わせた木目の合わない箱でも、同じ大きさであれば、同等以上に認められてしまうのは、それでよいの?

中身のしっかりと詰まった伝統の技で、囲われた、それでいて、軽くても丈夫で力強い。

ほど遠い吟詠をしているけれど、私の表現したいことのお手本みたいだ。
桐の箱との出会いは、ちょっとした気づきにつながった。

先日の山田先生との会話にも、この桐の箱が出て、私の思いを十分にわかってくださった。

さっそく、箱長https://www.hakocho.com/さんに、行ってみるとおっしゃっていました。
言葉足らずの表現でも、山田先生には、ボディランゲージが加わって伝わるから、ことばの意味よりも、深い思いを汲んでくださって、行動を起こす気になったみたい。

こういう関わりだから、敢えて飾らないことへの理解が届くのだなぁ。



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記念品未だ決まらず

2019年07月29日 | 徒然に日々のことを
20周年記念大会の記念品選び、今日で最後のつもりで臨みましたが、決まりませんでした。

出す意見、出す意見、すべて、反対意見ばかり。

却下されるたびに、「記念品」の意味を考える。

いまどき、記念品をもらって喜ぶ人がいるだろうか。
たまたま、欲しかったものに出会えるのは、このモノ余りの時代に稀有のこと。
お蔵入り、果ては、廃棄されることを思ったら、もったいないと思う。
エコの時代に、あわれな末路となることがあからさまにわかることを、敢えてしなければならないのかと思うと、そんなに予算をかける必要はないといいきった方の意見も、悪いものではない。
どうせなら、「不要!」と、思いきり言ってくれたらよかったのにと、あらぬところへ、愚痴の矛先が向かうことよ。


そういうことなら、震災や国境なき医師団など、正しく運営されているところへの寄付をしたら、会員さんから預かったお金を、無駄なく使うことができる。

それも、賛否どころか、賛がなくて、否のみ。「否否」だ。

最後に行き着いた、箱長さんの伝統手法の桐箱は、取り下げるつもりは、私にはないが、あいにく、「賛」も「諾」もない。

興味の無かったものに対して、テレビのCMは、キャッチィなコピーで、あっという間に、ファンを増やすのだから、「桐の箱」にも、何か心に触れる言葉があるはず。

それを、探している。

数限りなくある桐の良さを訴える。
伝統工撃フ技をつたえる。
桐の素材の見かけの地味なことは、「箱長」の千社札と割り印で、彩を添える。
湿気を吸い、虫よけともなるから、大事なものを入れるには最適である。
桐の香りは、こころの安定をもたらすものである。
調べれば調べるほど、良いことが出てくる。

昨日の女子会で、話したときも、スマホ片手に、「じゃぁコンクールの時、においをかいだら気持ちが落ち着きますね。」などの意見も出ました。

三人の女子との会話は、まず、桐箱を認めてからの会話の始まりなので、否定的意見は出ないのが、私に取っては救い。
すっかりいい気分になって、「キャッチなコピー」が出てきそうになる。
いやはや、桐の箱を真ん中に、女子会の会話の弾むこと。

ここではある意味、無責任でいられるから、賛と諾の意見がいつまでも続きました。

立場を変えて、男子目線となると、そうはいかない。
「まじめに考える」は、さらに頭が固くなっていくみたいで、ちょっとした、冗談が効かない。

例えば、「玉手箱 決して開けてはいけません」と書く。なんて言うのは、親しい仲間内だけで通じる冗談だねぇ。
せめて、面白いねぇと、笑い飛ばしてほしかったなぁ...

20周年を迎えて、大人になった芦孝会の面々の、まじめさと、真っすぐさには、脱帽する。
だからこそ、順調にまっすぐに、ここまで会を大きくしてきたのです。

そろそろ、江戸の粋を、学ぼうじゃないの。


硬軟取り合わせた「東京芦孝会」に、なりましょうよ。

やはり、20歳を迎え、お祝いが済んでからじゃないと、無理かな?

女子のたわごと。

空の箱には、たとえ伝統技術の粋が込められていても、箱は箱。
中に、物が入ってこその桐箱ということか。


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