敵を知り、己を知れば百戦して危うからずと孫チャンは言ったのだが、敵を知るというのは敵の現状を知るということと潜在力を知るという二つがある。太平洋戦争開始に当たって日本はアメリカの顕在経済力についてボンヤリと分かってはいただろう。当時の作戦日記などを読むとさすがに直前には参謀たちも震えが来てびびったらしい。
しかし、潜在能力については考えもしなかったらしい。たしかに戦争というゲームのタイムリミットが1941年いっぱいであったならアメリカには日本に反撃する力はなかった。パカな参謀どもは深く考えなかったらしいが楽観的に見れば翌年の1942年にも反撃は無理だろうと見ていた節がある。どうも半年甘かったようだ。見通しが。
アメリカが半年の間に戦時経済に見事に転換して、戦前をはるかに上回るものすごい生産力を持つことを全く予想していなかったらしい。1942年6月にはミッドウエイ海戦で敗北した。もっとも、この結果は多分に運によるところが大きかったらしいが、とにかく真珠湾攻撃半年後には空母戦力で日本の優位はなくなった。1942年8月にはガダルカナル島へのアメリカ軍の逆上陸が始まる。
だが、アメリカ軍の戦力が回復する前に勝敗を決する道がなかったか、ということだ。唯一の作戦は本土決戦であろう。日本本土決戦じゃないよ。アメリカ大陸に攻め込んでしゃにむにワシントンまでがぶり寄るのだ。そしてアーリントン墓地での降伏調印式にルーズベルト大統領を引っ張りだす。東南アジアを占領してまわるヒマなどなかったのだ。
アメリカの潜在経済力を評価すれば短期決戦でワシントンを占領するしか方法は無い。その可能性はだって。低いだろう。しかしゼロということはない。
そして軍事的合理性から言えばそれしかなかった、開戦した以上は。アメリカも当然日本がカリフォルニアに上陸してくると予想して作戦を立てていた。その場合、アメリカは日本軍を持ちこたえられないとみてアメリカ西部を放棄して、死守する線をロッキー山脈の東側に設定した。
アメリカが日系人を問答無用で強制収容所に放り込んだのも日本軍がアメリカ本土に上陸すると考えての措置である。準備の整わないアメリカに上陸してカリフォルニアを占領することは比較的容易であったろう。問題はロッキーを越えて短期間で、アメリカに戦時生産体制に移行する余裕を与えず、東海岸まで攻略できるかということである。それを可能にする戦略的兵器を日本は持っていたかということだ。
持っていたといえる。それは太平洋戦争開始一年前に実戦配備されて中国大陸で実戦テストされてきた日本軍の最新兵器である。
つづく