東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

総裁選謀略情報の本当の出所

2007-09-21 18:19:58 | 社会・経済

麻生が首相の辞意を二日目に知っていた、いやほかにも知っているのがいる。あるいは、安倍首相が麻生にだまされたとか与謝野に実権を取られたと歯軋りしたとかイロイロあるようだ。

本当のところ、デドコロはおふくろさんじゃないの。一番ありそうなはなしだ。何しろ岸の娘だし、晋太郎のしりを引っぱたいていた人物だ。ついでに言えば安倍の人事はおかしいのが多い、赤城などというのはその最たるものだが、これは彼女が仕切っていたといえば納得じゃないの。晋太郎時代以来の知り合いだとかに当てはまる。


石油恐怖症7

2007-09-21 08:28:21 | 社会・経済

戦略的決断というかね、大兵力の思い切った転用というのは軍事的天才しか出来ないことなのだろうが、まんまとしてやられたのが昭和16年というまさに太平洋戦争開始と同じ年のスターリンのシベリア大返しである。

ゾルゲというドイツ人がおった。ソ連のスパイである。最近も映画になったらしいから知ってもいよう。ジャーナリストを装って日本に来ると、当時のナチス・ドイツのオットー駐日大使に取り入り、私設顧問となり、機密情報にアクセスできるようになる。

最初の特ダネはヒットラーのソ連侵攻作戦である。昭和16年春にオットー大使から作戦を知ったゾルゲはモスクワに報告するが、モスクワは信用しなかった。同年6月22日ドイツはソ連を攻撃する。バルバロッサ作戦といわれるものである。ゾルゲの報告は開戦日まで正確であった。

不意をつかれたソ連は退却に退却を重ねて同年11月にはドイツ軍はモスクワまで数十キロの地点に達していた。ドイツ軍が進撃のモメンタムを失わなければ1941年末か1942年中にはソ連は崩壊していただろう。1988年か89年だかのソ連崩壊が40年以上早まっていたことになる。

さてお立会い、おなじみのゾルゲちゃんは日本の政策を探索していた。当時の日本の軍事政策は南へ進んで東南アジアの資源を確保するか、北へ進んでソ連を攻撃するか二つの可能性があった。ゾルゲはどうしてもその情報が欲しかった。

日本はその年に満州で大軍事演習をやってソ連をけん制していた。これは偽装工作であったが、そんなことはソ連には分からない。

日本は昭和16年9月6日のご前会議で南進策をとることを決定した。つまり日本にはソ連を攻撃する計画がない。この情報をかねて獲得していた協力者の尾崎秀実から得たゾルゲは10月はじめモスクワに極秘電報で通報した。

尾崎というのは朝日新聞の編集委員かなにかで近衛文麿首相のブレーンの一人である。今回はバルバロッサ作戦のこともあるので信用したスターリンは、ソ連満州国境に配備した厳冬の戦闘に適した精鋭の大部隊をモスクワに呼び戻した。当時、ソ連の最強部隊は対日戦に備えてソ満国境に張り付いていたのである。

モスクワに到達したシベリアからの大兵力は12月初旬からドイツ軍に大反撃を開始し、ドイツ軍の進撃はとまった。以後ドイツ軍は退却戦、大消耗戦を強いられて自滅していく。まさに世界の歴史を変えた乾坤一擲の大返しというべきである。

シベリアの日本国境からの大兵力の大返しがなければ、ヒットラーはナポレオンの轍を踏むことは無かったのである。

ソ連がゾルゲをいかに大きく評価しているかは言うまでもない。ソ連の駐日大使は赴任するとまず東京にあるゾルゲの墓にお参りをするのが慣例であった。ソ連がロシアに変わった今でも新任大使の墓参は続いている。

ゾルゲ一味は昭和16年に逮捕されてゾルゲ、尾崎は昭和19年に巣鴨拘置所で処刑された。