東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

石油恐怖症8(つけたり)

2007-09-22 08:55:34 | 社会・経済

ノドンに狙われても、中国のミサイルが何百発照準を日本に合わせていても、日本人がノンキにしているのは「同盟国アメリカ」の反撃を信用しているからである。相手がミサイルを撃てば一瞬後はアメリカがミサイルを雨あられと降り注ぎ、戦略爆撃機であっというまに相手の国土を煙と灰にしてくれると無邪気に信じているためだ。

アメリカが信用できない、すなわち日本人のために血を流す気がないと分かればあまりノンキでもいられない。太平洋戦争当時のアメリカと同じく在日半島人をすべて強制収容所に放り込まなければならなくなるだろう。アメリカが信用できるか、これが今日のホッテスト・イシューである。

さて話を1941年に戻す。真珠湾攻撃のその日に偶然かどうか、アメリカのB15爆撃機四機がハワイに飛来したという。わたしはいつかテレビ映画で見た。軍事専門家ではない私の知識というのはそのレベルなのであるが、たしか記憶ではその映画はドキュメンタリーであった。まさかウソをつくまいと思うのでその前提で話を進める。

B15というのはエンジン四つの長距離爆撃機で試作機という性格が強く実戦配備は結局されなかったようだが、後のB29などの長距離重爆撃機の開発に貴重なデータを提供した。1937年に一号機が飛んだ。その後種々テストを繰り返していたらしい。

この間、スペックを再確認して仰天した。航続距離が8250キロとある。ハワイから日本を直接爆撃するのは難しいが、グアムからなら悠々日本全土を爆撃できる。後に日本全土を爆撃し東京大空襲、長崎、広島への原爆投下したのはマリアナ諸島基地(グアム、サイパン、テニアン)から発信したB29によって行われた。そのB29でさえ航続距離は5200キロである。

もっとも、当時グアムの近くのサイパンは日本領であったから、グアムを基地とするにはサイパンの日本軍を壊滅させなければならない。これは至難であろう。

当時はグアムを使うのが難しいのでおそらくフィリピンの米軍基地まで持ってくるつもりだったのだろう。マニラからだと台湾は勿論、九州、近畿地方への襲来は可能である。関東地方も射程圏に入るだろう。

日本軍は1941年12月にB15がハワイに飛来するという情報を得ていたかどうか不明である。B15情報は極秘であったろう。しかし、1937年からテスト飛行を繰り返していたので、漠然とではあるがB15の情報は持っていたにちがいない。その航続距離の情報もつかんでいたと思われ、神経を尖らせていただろう。アメリカの軍用基地は日本のスパイが監視していただろう。あるいはその前の極東配備計画の段階で情報を得ていた可能性もある。

折からの険悪な日米関係のなかでB15のハワイ到着はまさに三浦半島沖や房総半島沖に敵空母艦隊が現れたのとおなじ意味がある。日本が宣戦布告と同じと看做しても無理は無い。