詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田中宏輔「あまりにもタイトルが長いので略」

2006-09-07 23:27:10 | 詩集
 田中宏輔「あまりにもタイトルが長いので略」(「分裂機械」17)。

ルビだけで詩をつくろうとしたら、ルビを振るには、本文が必要だった。でも、本文があったら、ルビだけでつくることにはならないとも思った。

 傑作である。思考の動き、精神の動きそのものが「詩」であることを証明する作品である。こうした作品の場合、どれだけ丁寧に精神の動きをことばに反映させるかが作品の完成度をわけるポイントになる。

ルビだけでつくることにはならないとも思った。

 この文の「とも思った」の「も」。ここに「詩」がある。この「も」によって、「ルビだけで詩をつくろうとしたら」が「思った」ことだとわかる。まず、「ルビだけで詩をつくろう」と思った。次に「ルビを振るには、本文が必要だ」と思った。それから「本文があったら、ルビだけでつくることにはならない」「とも」思った。
 「も」は、それまで書いてきた部分もすべて「思った」ことがらだということを明確にするためのことばである。強調である。
 わずか2行のことば、書かれていることが、すべて「思った」ことなら、それにつづくことばもすべて「思った」ことになる。事実などどこにもない。つまり、この作品は、事実など無視して、ことばがどれだけ「思った」ことだけを書けるかということに挑んでいる。こうした挑戦的な試みのなかに「詩」がある。「詩」とはことばの運動の可能性を広げるものである。
 ネットで書いている批評なので、ネットで簡単に表記できる部分だけを引用すると……。

ところでまた、ひらがなが読めない人のために、ひらがなのルビにカタカナのルビを振ったり、さらに、ひらがなもカタカナも読めない人のために、カタカナのルビにローマ字のルビを振ったり、ローマ字も読めない人には、その上に、点字のルビを振ったり、一般の丸い形の点字に飽き足りない人のためには、三角形の点字のルビや、ダビデの星の形のルビや、ソロモンの星の形のルビや、さらにまだ飽き足りない人のためには、星砂を貼り付けた点字のルビを振ることなんかも考えてはみたのだけれど、この作品では、印刷等の実際上の困難さを鑑みて、想像の世界にとどめることにした。(ああ、はかてく消え去ってしまった、わたしのルビのルビのルビの! )

 想像力の無軌道さ(無軌道さ--というのは、現実を無視しているからである)と、無軌道を自覚するところから始まる自己批判のおかしさ。(ユーモアとは常に自己自身を笑うことから始まる。)
 「(ああ、はかてく消え去ってしまった、わたしのルビのルビのルビの! )」以後、ことばは一気に軽くなる。笑いのなかへ突き進む。無軌道なことばの自由は笑いのなかで自由になる。精神の運動は笑いのなかでより軽やかになる。まるでモーツァルトである。


コメント
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