詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松下育男「国語」、阿部恭久「余りの恋に」

2006-09-21 23:32:51 | 詩集
 松下育男「国語」(「生き事」2)。
 文体が独特である。「1」の冒頭。

朝の電車の中で、沢木耕太郎の『無名』という本を読んでいました。その中に、「端居」という言葉が出てきます。「たんきょ」と読むのではなく「はしい」と読みます。建物の端に居るという意味を持っているということです。それが転じて「縁側や縁先にいること」を意味しているらしいのです。私は、こんな言葉が日本語にあるとは、今に至るまで知らず、少なからず電車の中で驚いていました。

 文体の目につく特徴は二つある。一つは「です、ます」調。もう一つは、一つの文章に書かれていることがらが原則として一つであるということ。まるで小学生の子どもに聞かせるような口調である。この口調のゆえに、何だかのんびりとしてくる。ゆったりと話を聞いている気持ちになってくる。
 松下は、この独特の文体で、ゆっくり進む。ゆっくり進むことによってだけ見えてくるものを描こうとしている。
 現代の文章は必要要素に「スピード」をあげたのはイタロ・カルビーノだが、松下はそれに逆行している。しかし、松下の「ゆっくり」は「遅延」でもない。「延期」でもない。丁寧に、確実に、ということを目指しているのだろう。その丁寧さ、確実さを目指す精神が「一文に一つの事実」という構造を要求するのだろう。

 ところで、そのゆったりした文、確実さを追い求めた文を聞かせる相手は誰なのか。まさか小学生ではあるまい。小学生にここに書かれているようなことを言って聞かせても、何を言っているかさっぱりわからないだろう。それでは、たとえばこの詩を読む私、読者に対してか。もちろん文学作品なのだから読者を相手にことばが発せられているのは間違いないが、どうも奇妙である。読者に対してことばを発する前に、松下は松下自身に対してことばを発している。

「たんきょ」と読むのではなく「はしい」と読みます。

 これは読者というより松下自身に言い聞かせていることばである。あとにつづく文を読めばわかるが「端居」ということばを松下は知らなかった。読み方も知らなかった。だから松下自身に向けて「はしい」と読むのだと言い聞かせている。このとき、読者が「はしい」と読むと知っているということは無視されている。
 そのあとにつづく「意味」の説明も読者にではなく松下自身に向けて書かれていることばだ。読者がそのことばの「意味」を知っているかいないかは無視されている。
 あるいは、こんなふうに言えばいいだろうか。
 松下は、読者に向けて自分が発見したことを語ってはいない。語ろうとはしていない。ただ、自分が何を知ったか、感じたか、それを自分自身の言い聞かせるためにことばを発している。松下自身の内部をゆったりとひろげるためにだけことばを書いている。

少なからず電車の中で驚いていました。

という文は、そのことを明確に語る。「電車の中で驚きました。」ではなく「驚いていました。」
 瞬間ではなく、「いました」という持続の時間が松下にとって重要なのである。「はしい」と読む、「縁先に居る」という意味がある、とつながっていく時間、持続の時間が、松下の時間なのである。
 持続を強調するために、一続きの長い文章を書くのではなく、一文に一事実という短い文を重ねることで、その重なりを意識させようとしている。しかも、複雑なことに、その持続という意識が表に浮き上がってこないように、工夫しながら松下はことばを選んでいる。

 「持続の時間」。これを外側へ(たとえば電車の外、街を歩いているひと、街の生活へ)向けて動かせば、それはそのまま「世界」になる。
 ところが松下は、その「持続」を外側へ向けず、松下自身の内部へと向ける。
 「端居」ということばを、それまでの松下のこころに導入する(精神へと内部延長する)とどうなるか。何が見えてくるか。

長年、この世の端にすわって、足をぶらぶらさせるような人生を送ってきた私にとって、なんとも、心に響く言葉でした。

 「端居」ということばが「この世の端にすわって」「人生を送ってきた」ということを思い起こさせるのである。そういう自覚は「端」とはどういうものであるか、松下にとってどんなふうに「端」が見つめられてきたかという具合に「持続」していく。精神の内部へ内部へと、「持続」がつづいていく。
 その間中、松下は「驚いていました」という状態なのである。
 電車を下りたあとも、「端居」ということばから始まった「持続」をはつづき、本当は「電車の中でも、そして下りたあとでも驚いていました」というのが松下の実際であろう。なぜ驚き続けるか。

人は、端のあつまりだからたぶん、こんなにさびしいのです。

 ということばにまでたどりついてしまうからである。

 沢木耕太郎が「端居」ということばで何を表現したかは、松下の作品では書かれていない。書かれているのは、「端居」ということばによって引き起こされた松下自身の内部の思い、「この世の端にすわって」「人生を送ってきた」という思いから、「人は、端のあつまりだからたぶん、こんなにさびしいのです」まで、松下の精神が、どこかに迷子になることもなく、一文一事実の文を持続することで、つながっているということだ。
 松下は「持続」のなかの「時間」を描いている。それも他人に向けてというより、自分自身で自分の人生を納得するために、持続する時間を耕している。

 ここには何といえばいいのだろうか、けっして自分から外へ出ていこうとしない決意のようなものがある。自分のなかにとどまり、自分だけをみつめる、という姿勢がある。
 こんな閉鎖的なことばが、それでも文学であるというのは、人間はときには自分自身のなかにとどまることが必要だからである。松下の詩を読むと、あ、人はこんなふうにして自分というもののなかにとどまり、自分を自分のなかにとじこめたまま生きる時間もあるのだとわかり、それがちょっとこわい。いや、かなり、こわい。
 他人のためにではなく、ただ自分の思いを確かめるためにだけ時間を費やす。そして、その時間とことばが「文学」であるとはっきり意識していることが、非常にこわい。
 何だか、他人のことなんかは語らずに(たとえば、私がこうして書いている批評・感想などはいっさいせずに)、ただ自分自身を見つめたらどうだ、と言われているような気持ちになるのである。自分自身のなかに閉じ籠もり、ただひととわかりあえぬという寂しさ、悲しみだけを接点として生きていけば、ひとはひとを傷つけることはないとでも言っているようにも思えるのである。--その、絶望のようなものが、私にはこわい。
 絶望して、その絶望をみつめ、その内部へ内部へと時間を耕し、誰とも直接には触れ合わない、ことばのなかに動いている悲しみ、寂しさとだけ接する「文学」を「文学」として提示する力が私にはこわい。



 松下に比較すると、おなじ号で作品を書いている阿部恭久は、まだ自分というものから溢れていくものを抱えている。「余りの恋に」がおもしろい。

うつけ姫はドーナツをたくさん揚げた
夜は老けた
残った電球はとうとう二つとなった
たわけ王は台所に立ち
冷めたコーヒーをわかした
いびつなのを茶の間で食べた

春はからんとして皆どうしたのだろう

余は馬齢を重ねた
そのかみ煮込饂飩に飯をつけて
当地の語感では田分けだろうと戯けた

食欲はなみだがわく

夜をあかして星の行末
        (谷内注・三行目の「とうとう」は原文はあとの方が送り文字)

 2行目の「夜は老けた」は「夜は更けた」の書き間違いなのか、あえて「老けた」と書いたのかよくわからない。「老けた」の方が、その後に出てくる肉体との関係でおもしろいと思う。
 終わりから2行目の「食欲はなみだがわく」が思いもかけず肉体に迫ってくる。肉体がまだ阿部の詩では生きている。あるいは生きている肉体があるからこそ、ことばが動くといった方がいいのかもしれない。
 阿部には、どこか、精神というよりも肉体を守ろうとする健康さがある。

コメント
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