詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

辻元よしふみ「ひそかに靴を愛する」

2006-09-08 23:57:17 | 詩集
 辻元よしふみ「ひそかに靴を愛する」(「分裂機械」17)。

ブナから削り出しのシュー・ツリーを取り出し
モゥブレーかサフィールのワックスを開け
竹へらで微量を掬って塗りつけ
馬毛のブラシでこねるようにたたくように磨き抜く
あるいはそれがドイツ製の靴であるなら無骨なコロニアル
でもよいかもしれない
シリコンクロスで磨き はき古しの下着で磨き
若干の水を落してさらに光沢が出るまで
よけいなワックスを落していく
無念無想
それが 善に通じることを
知らないものは知るまい

 私はそういうことをまったく「知らない」部類の人間だが、この詩はおもしろかった。靴に関するいろんなことばを辻元は知っている。その手入れの方法、磨き方もくわしいことがよくわかる。
 その上、次のような魅力的な描写も出てくる。(つづけて引用したが、それぞれ別の部分。)

歓喜の中で くく と身をもたげ
主人の足を守ってやろうとするのを
この趣味のない人は知るまい

一夜を置き 陰干しの後に
また堅いシューツリーを収めてやる
ぴんと背筋を伸ばしてそれは
次の出番はいつですか と向こうから聞いてくる
足を入れればしゅっと空気が抜けて吸い付いてくる

 辻元には、靴の声が聞こえるのだ。この声は、靴に触れること、肉体が直接聞き取ったものだろう。そうした肌の親しさというか、肌触りに満ちた喜びがひそんでいる。愛撫にこたえる人間の声のように、耳ではなく、肉体全体に響いてくる気持ちよさがある。
 靴のことは何も知らないが、あ、靴はちゃんと手入れしなければいけないのだ、という意識を通り越して、そうか、靴を手入れすれば靴は恋人になり、愛人になるのか、とちょっと欲望(欲情?)をそそられる。
 こういう私のまったく知らないことを、まるで肉体そのもののように実感させてくれることばは私はとても好きだ。とても魅力的だ。

 そうしたことを言った上での注文。
 辻元は「ドン・キホーテを落馬させよ」という詩も「分裂機械」に書いている。この詩も「靴」の詩と同じようにてきぱきとことばが進んで行き、とても読みやすいのだが、肉体感覚が少しおとなしい。ドン・キホーテが靴のように「声」を発していない。たとえそれが敵(?)であっても、触れ合いのなかで聞こえる「声」があるはずだ。靴から美しい声を聞き取る肉体を持っているのだから、ドン・キホーテからも何らかの「声」を聞き出し、それを詩のなかに書き留めてほしかった。



 「分裂機械」の他の執筆者の作品もそれぞれ刺激的だった。ことばを自分のものにしたいという欲望がなまなましくて、力の制御が効かない思春期の肉体のようだ。とてもうらやましく感じた。

コメント
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