詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

永島卓『永島卓詩集』(その6)

2006-09-12 14:08:53 | 詩集
 永島卓『永島卓詩集』(砂子屋書房版「現代詩人文庫」)。(その6)
 『湯島通れば』(1992年)。その表題作がこの詩集のなかでは私は一番好きだ。1行目がおもしろい。

 湯島通ればおもいだすを口ずさみながら五月さらにかよいつめてゆく人情無限の千代田線湯島駅はなぜか夕暮れのように充血したままでありました。

 一読しただけで意味はだれにでもわかる、あるいはわかったような気持ちになるが、ていねいに読むと迷路に迷い込む。「湯島通ればおもいだすを口ずさみながら」の主語は「わたし(永島)」だろう。歌謡曲を口ずさみながら「わたし」は何をしたのだろうか。「湯島駅はなぜか夕暮れのように充血したままでありました」ということばを読むと、「わたし」は湯島駅を見つめていたのだろう。「夕暮れのように充血した」は視力だとらえた世界である。
 そして、「わたし」が一方で「湯島通れば」の世界に身を置きながら、他方で東京の駅を見つめていたということがはっきりするのは、この作品の最後の行にたどりついてからである。

さらに寛永寺や国立文化研究所上野図書館・東京芸術大学に囲まれた国立社会教育研究所とゆう白い建物が五月の十日間のあいだ数知れぬカラスの鳴き声を聞きながら夜の湯島をおもいつつ東京にはないような夕日に栄えた新緑の明るい風景をわたしは窓際でいつまでも頬杖ついてひとりのひとのことを想いながら眺めていたのであります。

 一行目の「湯島とおればおもいだすを口ずさみながら」は、いくつかの文を挟みながら、実は最後の文の「眺めていたのであります」につづくのである。そのあいだにいくつもの文章がはさまれているが、それらの文章は便宜上句点で区切られ独立しているだけであって、永島のなかでは一続きの文章なのである。切り離すことができない文章、つながっている文章なのである。
 この長い長いひとつづきの文の連続には、永島特有の精神の動きがある。連続をつくり田していくのは「さらに」ということばなのである。「しかし」というような逆説を挟んでつながっていくのではなく「さらに」「さらに」とただひたすら「いま」「ここ」からひろがっていくのである。

 この「さらに」は1行目(書き出し)にも最後の文にも登場するし、ほかにも登場する。たいていは最後の文のように先行する文の内容を受けて「さらに」とつづく。そんなふうにして「さらに」はつかう。1行目も永島はそういう意識でつかっているのだろうけれど、読んだ瞬間、(他の読者は知らないが)私はちょっととまどう。

 湯島通ればおもいだすを口ずさみながら五月さらにかよいつめてゆく人情無限の千代田線湯島駅はなぜか夕暮れのように充血したままでありました。

 「さらに」は詩全体をとおして読んだあとでは意味がわかるが、この1文だけではなんのことかわからない。「さらに」がないとこの文はどう違ってくるのか。ない方がわかりやすい。少なくとも私にはわかりやすい。私なりにこの文章を書き直してみれば、

 湯島通ればおもいだすを口ずさみながら五月(のある日)(人々が)かよいつめてゆく人情無限の千代田線湯島駅(を眺めていれば、それ)はなぜか夕暮れのように充血したままでありました。

あるいは

 湯島通ればおもいだすを口ずさみながら五月(のある日)(人々が)かよいつめてゆく人情無限の千代田線湯島駅はなぜか夕暮れのように充血したままであ(るのを眺めてい)ました。

 ということになるだろう。「さらに」がこの文章に入り込んでくる余地はない。しかし永島はその文章のなかに「さらに」を書き加える。この「さらに」の意味は永島には明白であり、永島には必然である。しかし、他の人には意味がわからず、なおかつ不要である。こうした作者にだけ必要とされることば、作者が作者の精神を動かしていくのに絶対必要なことばを私は「キイワード」と呼ぶが、この「さらに」が永島の精神のキイワードである。
 永島の精神はある一つの存在を描写するとき、その描写だけでは存在を、存在とともにある世界を表現しきれないことを常に意識している。いま描写した世界の内部に、あるいは外部に、そしてさらに(と永島のことばを借りて書いておけば)そのとなりに、その存在をささえたり否定したりするものが存在している。「さらに」ひろがる存在を無視しては、いま描写した世界そのものすら存在しない。
 常に他者が存在するのだ。
 「わたし」が存在する。さらに(この場合、さらに以外のことばは無意味である)他者が存在する。それが永島にとっての世界である。他者は常に「さらに」存在する。無限に「さらに」存在する。無限の「さらに」とどう向き合って生きるべきか。そういう世界で「思想」はどう形成できるか。
 ひとつのことばで「思想」を形作るだけではだめである。「さらに」もう一度つくりなおさなければならない。つくりなおして、「さらに」つくりなおしつづけなけれはならない。「さらに」から始まる無限の連続性は、実は永島自身に課せられた課題なのである。そうすることを永島は選びとっているのである。

 もういちど最後の文章にもどる。

さらに寛永寺や国立文化研究所上野図書館・東京芸術大学に囲まれた国立社会教育研究所とゆう白い建物が五月の十日間のあいだ数知れぬカラスの鳴き声を聞きながら夜の湯島をおもいつつ東京にはないような夕日に栄えた新緑の明るい風景をわたしは窓際でいつまでも頬杖ついてひとりのひとのことを想いながら眺めていたのであります。

 永島は「ひとりのひとのことを想いながら」と書いている。この「ひとりのひと」とはだれのことか私にはわからないが、ここにも永島の思考の重要な動きが書かれていると思う。
 「思想」は永島単独のものではない。永島が世界と向き合い形作ったものではない。永島がつくったものであるのに間違いないけれど、それは常に永島自身以外の人物、枯れ以外の「ひとりのひと」のことを想いながらつくったのである。
 このひとりのひととは、たとえて言えば「ひとみさんこらえるとゆうことは」の「ひとみさん」であるかもしれない。いま永島が向き合っている他人である。親身になり、自分のことばを語りかける相手である。
 常に親身になり他人に語りかける。「さらに」もうひとりに、「さらに」またひとりに。その連続性のなかで「世界」がつくられていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする