詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

平田好輝「ある日、見知らぬヤツが」、坂多瑩子「母」

2008-06-25 11:21:06 | 詩(雑誌・同人誌)
 平田好輝「ある日、見知らぬヤツが」、坂多瑩子「母」(「鰐組」228 、2008年06月01日発行)
 平田好輝「ある日、見知らぬヤツが」は、押しかけてきた「屋根診断士」(?)とのやりとりを描いている。訪問詐欺の一種だろうか。

診断をしたからといって
ぜったいに一銭もいただくものではないと
口から唾を垂らして言い
一銭ももらわないから屋根にのぼる権利があると
言っているみたいだった

 私はこの連で、ふーん、と思ってしまった。何が「ふーん」かというと「一銭もいただくものではない」という口のきき方である。ほんとうに「屋根診断士」が言ったのか、それとも平田が脚色したのかわからないが、「一銭」と「いただかない」ということばの「古さ」に、あ、「ふーん」と同時に「これだなあ」とも思ったのである。
 今は「一銭」というお金の単位はない。それなのに「ことば」だけが残っている。「いただく」というへりくだったことばも、日常ではあまりつかわない。自己主張の強い時代にあって、この身の引き方は、ひとをぐいと誘い込む力を持っている。そのふたつのことばが重なって、たぶん「古い」人間(ようするに、お年寄りのことだけれど)を、一種の「安心」(なつかしさ)のようなものに引き込むのだな、と思ったのである。
 これがたとえば、「1円でも払ってくれと要求するわけじゃありません」と言われれば、ちょっと身構える。何を言ってるんだ、こいつ、と思ってしまうだろう。乱暴な口のきき方をするなあ、と気分を悪くするだろう。
 ひとはたぶん「意味・内容」ではなく、口調に反応するのだ。ひとの意識は「ことば」の「意味」よりも、その「ものごし」に反応するのだ。「訪問詐欺」というのは、そういうことを、きちんと踏まえているんだなあ、ふーん、そうかあ。
 そして、あれこれあって。

ぜったいにのぼってもらっては困ると
わたしが言い
せっかくの無料診断の特典なのだからと
見知らぬヤツが粘り
しばらく無駄な時を過ごした

 「無料診断」「特典」。「ことば」が急に新しくなる。あ、押して行くときは、こういうちょっと「新しいことば」、なんとくなく「意味」はわかるけれど、実際の「内容」はわからないことばが有効なんだなあ。ほら、もう10年くらい前になるんだろうか、政府が突然予算の「スキーム」なんてことばをつかったように、「内容」を隠して、何かをごり押しするとき、人間は、こういうことばをつかうのだ。
 「無料診断の特典」って、いったい、何が得? あ、「特典」の「トク」は「得する」の「得」じゃない。もちろん「道徳」の「徳」でもないじゃないか。「特」って何? どうして具体的じゃない? ね、ひとをだますときのことばって、押しの後ろには何が存在するかわからないでしょ? 政府のカタカナ用語そっくりでしょ?
 「一銭もいただかない」という引き、そして「無料診断の特典」という押し。これは政治家の「公約」と当選後のふるまいの関係に似ているかな。

 私の書くような野暮や言い方は平田はしない。平田は、さらりと「状況」を描いて見せる。

やっと退散して
空地のことろで車に乗るのを見ていると
車の屋根に
長い梯子が積まれてあって
その梯子が意味もなくピカピカと輝いているのが見えた

 「ピカピカ」。
 すべてのうさんくさいものは「ピカピカ」している。(「スキーム」と同じだね。)真新しい。ほんとうに無料で屋根を診断するというようなことをしつづけているのなら、梯子は「ピカピカ」であるはずがない。「ことば」は嘘をつくけれど、「ことば」を話さない「モノ」は嘘をつかない。
 「一銭もいただかない」「特典」「ピカピカ」。
 「ピカピカ」は嘘だよ、と平田のことばは「日常」で踏ん張っている。この踏ん張りはいいなあ。



 坂多瑩子「母」。認知症の母とのやりとりを描いている。施設に入っているのだが、毎日帰って来て(あるいは、この「帰ってくる」は坂多の「思い出」かもしれないが)、ちょっと困ることをする。

あまり毎日帰ってくるので
おんぶして夜の道を歩いた
たしかに軽い
とりよりはかるいものよ
明るい声でこたえて
あしたももどってくるから
あしたの夢のなかでそう云った

 「としよりはかるいものよ」が泣かせる。啄木の歌を思い出してしまう。そして、母は母で、そういうものを思い出すに違いないと知っていて「としよりはかるいものよ」という。この、なんといえばいいのだろうか、共通の「知識」(啄木の歌)を、「知識」ではなく「知恵」にしてしまっている感じがいい。(肉体にしみこんでしまって、共有されているものを、わたしは「知恵」と呼ぶのだが……。)
 私は坂多を知らないし、もちろん坂多の母はまったく知らない。それでも、この「知恵」のことばに触れた瞬間、ぐい、と目の前に「母」が浮かんでくる。

 平田の詩のことばにもどっていえば、「一銭もいただかない」は、この「としよりはかるいものよ」に共通するものを持っている。「一銭もいただかない」には、私たちの父や母、祖父母たちの「暮らし」の「知恵」のようなものが存在していて、それがひととひととの距離をすーっと縮める。
 他方、「特典」とか「スキーム」は、知らないこと(知識として存在しないこと)、「無知」へつけこむ形でひととひととの距離を縮める。一気に押す。
 この一気に押してくる力に対抗するためには、「ピカピカ」のようなことばが必要だ。
 「としよりはかるいものよ」ということばには対抗する必要がない。体の奥で、誰にも見えない涙を流すだけでいい。誰にも見えないからこそ、誰にでも見える。涙は「ピカピカ」していない。せめて「あかるく」、隠す。夢の中であっても。



詩集 恩師からの手紙
平田 好輝
エイト社

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