詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三井葉子『花』

2008-06-04 12:06:08 | 詩集
 三井葉子『花』(深夜叢書、2008年05月30日発行)
 詩集を開いた瞬間、今年の一冊はこれしかない、という印象の詩集に出会うことがある。2007年は伊藤悠子の『道を小道を』がそうだった。どのことばにも「人生」がある。「人生」というのは不思議なもので一本貫く何か(感性でも、思想でも、喜びでも、哀しみでもいいが)があると同時に、それだけではなく、そのまわりに一種の余分がある。余裕がある。そして、その余分・余裕が一本の何かを支える大地・空気のようになっている。全部を読み通すと、私が読んだものが、ことばを貫いていた一本の何かだったのか、それともその一本を支えていた大地・空気だったのかわからなくなる。たぶん、一本の何かとそれを支える大地・空気のようなものがいっしょになったものが「人生」なのだろう。

 冒頭の「変化」は短い詩である。

未来が
みんな過去に見える年寄りは
歯のないくちで
ほほ ほほ ほ と笑っている

そのむかし囓ったであろう白い歯の むこうの
固いフランス・パン
パンくずを拾った雀の
パンくずのように
私は運ばれる
雀の未来へ
運ばれる

よし

ようやっと
雀になった。

 「未来が/みんな過去に見える年寄り」という行は強烈である。だが、それよりも、「未来が/みんな過去に見え」ながら、それを「笑っている」というのも強烈である。しかしさらにそれよりも強烈なのは、三井が「雀になっ」てしまうことである。そしてそれを「よし」と肯定していることである。
 ひとは何かになる。
 簡単に言えばこどもはおとなになる。あるこどもは先生になる。あるこどもは詩人になる。あるいは若者は年寄りになる。そういう「時間」の変化、「社会」のなかにおける自分の「位置」の変化というものがある。
 しかし、それ以外の変化がある。
 三井は、この詩では「雀」になってしまっている。
 でも、「雀になる」とはどういうこと?

 これはこどもがおとなになる、先生になる、詩人になる、年寄りになるよりも、もっと単純で、もっと複雑だ。
 夢中になって、「私」を忘れてしまうことだ。「私」でありながら「私」ではなくなる。
 年寄りの笑う口元を見ている。歯がない。むかしは白い歯でフランス・パンをかじった。フランス・パンはこぼれ、そのパン屑をすずめが拾って食べている。いろんなことが思い出される。いろんなことを想像してしまう。その瞬間瞬間、三井は「白い歯」になり、「フランス・パン」になり、「パンくず」になり、「雀」になる。そういうものと一体になる。
 ある瞬間、自分が年寄りであることを忘れる。雀になって、こぼれたパン屑を拾って食べる満足、その喜びを感じる。あ、あの雀は、焦げた固いフランス・パンを食べる喜びに夢中になっていると感じる。我が家へ持って帰って、一人で、だれにも邪魔されず、存分に味わう喜びを知っている--そんなふうに感じることがある。
 (こんなことまでは、三井は書いてはないが、私は、読みながらそんなことを感じた。)
 そして、そう感じた瞬間、三井は年寄りの仲間の一人ではなく「雀」なのである。「雀になっ」てしまっている。それを「よし」と肯定している。

 これはいいなあ。とてもいいなあ。

 もちろん人間は「雀」そのものにはなれない。しかし「雀」よりももっと「雀」になることができる。「雀」を超越した「雀」になることができる。「雀」になって、「雀」の感じている世界を感じる、ということができる。
 人間が「雀」の喜びを知って、パン屑で満足する喜びを知って、それが現実に何の役に立つか。立たない。ばかにされるだけである。「雀」ならパン屑を食べていたら?と言われたら、それでおしまい。人を「雀」のようにあつかう人に利用されるだけかもしれない。--けれど、そういう見方は「余裕」のない人生のとらえ方というものだ。
 自分のものではない「人生」を想像してみる。それが「余裕」である。「私」なんか、どうでもいい、とはいわないが、世界には「私」とは違った視点がいくつもある。そういういくつもの視点があるということは、世界が複数存在するということである。私たちは「私」という小さな視点の世界しか知らない。その小さな世界から、たとえ「雀」であっても、それを借りて自分から脱出する(逸脱する、といった方がいいかもしれない)というのはたいへんなことだ。

 この、私が私ではなくなり、私以外の何かに「なる」ということ--それを三井はこの詩集でいくつも書いている。「なる」という「運動」について書いている。とてもおもしろい。魅力的な詩がたくさんある。しばらく三井の詩集について書くことにする。(これは 1回目です。)



草のような文字
三井 葉子
深夜叢書社

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