詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三井葉子『花』(8)

2008-06-15 08:42:42 | 詩集
 三井葉子『花』(8)(深夜叢書、2008年05月30日発行)
 なぜその詩が好きなのか。その理由のほんとうのところはわからない。理由(?)を探して、私はただ感じたことを書く。たとえば「きりんの日」。

汗を拭きながら
坂道を下ってゆくひとの
うしろ姿が
わたしの目裏に
やきつく日

ああ 歩いていたのだ
黄緑の丘を
ながい首を立てて きりんが
高い木の枝の葉を食べていた
あごを
銀色のよだれで
ぬらしながら
木々は
ゆれ
木の葉は
ゆれ

 「きりん」は「坂道を下ってゆくひと」と同じだろう。「きりん」は「坂道を下ってゆくひと」の比喩である。何の説明もなく、ただ比喩である。
 でも、比喩って、それでいいのかな? 国語の試験で「きりん」は「坂道を下ってゆくひと」の比喩である、と書いたとして、その理由は?とさらに問いかけられたら……。私は答えを持たない。答えを持たないのに、その比喩を納得している。
 なぜか。
 きりんの描写がとても美しいからである。そこに至福がある。2連目のことばの美しさに酔ってしまうからである。

あごを
銀色のよだれで
ぬらしながら
木々は
ゆれ
木の葉は
ゆれ

 ああ、きりんしか見えない。きりんになって、高い木の枝の葉を食べたい。よだれをたらしたい。よだれであごをぬらしたい。そのとき木々はゆれ、木の葉はゆれる。そんなふうに自然(木や風や空)といったいになり、自分の食欲だけにうっとりと酔ってみるというのは、とても幸福であると思う。
 その幸福の感じと、ことばのリズムが一体になる。

木々は
ゆれ
木の葉は
ゆれ

 なんでもないことばのようだけれど、とても美しい。木々がゆれるのと、木の葉がゆれるのしか見えない幸福。よろこび。それが、それ以外にはないというリズムのなかに充満している。きりんは木の葉を食べながら木の葉にもなっている。空気に、というか、たぶん、いのちの循環に。こんなふうに思ってしまうのは、たぶんわたしの感じ方が奇妙なのかもしれないが、そのとき木の葉は、きりんに食べられることがうれしいのだ。きりんがうれしそうに木の葉を食べる。その瞬間、木の葉はきりんに食べられることがうれしい。こんなふうによろこんで食べられることがうれしい。その、きりんと木の葉のなかの「よろこび」が重なり合っている。--そういうものを感じるのだ。
 そして、そのよろこびは三井のよろこびでもある。
 「坂を下ってゆくひと」の肉体の中にあるよろこび--それをきりんのよろこび、きりんに食べられる木の葉のよろこびと感じ取るときの、三井の体全体のよろこび。きりんと一体になり、木の葉と一体になり、そして「坂を下ってゆくひと」と一体になる。
 「きりん」は、そういう一体感のために、突然、三井の目の前にあらわれてきた「比喩」である。「理由」はない。あるとすれば、それは神様(詩の神様)からの贈り物である。詩の神様の贈り物は不思議である。だれもがそれをきちんと受け止めることはできない。きちんと受け止めることができるひとだけが、たぶん詩人なのである。三井はまぎれもない詩人である。だから「きりん」という比喩を正確に受け止めることができた。それが何をあらわすか、なぜ「きりん」であるかなど、頓着せずに、「だって、きりんなのだもの」としか言いようのない感じで……。
 詩のつづき。

ぶどうの棚の下で
わたしたちは笑いさざめいていて
紅茶をのんでいた
そして
かきまぜられた空気

すきまから
日が暮れて
夜が
きたのだった

あのひとが汗を拭きながら
坂道を下ってゆく
姿が
わたしの目裏にのこる


なんのために
忘れ得ぬ記憶があるのだろう と わたしが思う日

 「なんのために/忘れ得ぬ記憶があるのだろう」。わからない。わからないけれど、それはたしかにある。忘れられぬ日があるということが、たぶん生きているということなのだと思う。その忘れられぬ日、その忘れられぬ思い出のなかで、ひとはひとではなくなる。ひとは、一瞬、ひとを超越する。逸脱する。
 ひとは「きりん」になり、きりんに食べられる「木の葉」になる。比喩になる。比喩のなかで、いのちの循環そのものになる。いのちの区別がなくなり、わたしが「地球」あるいは「宇宙」と溶け合う。何になったといってもいいのだ。何になっても自分であり、何にでもなれることが「いのち」の至福なのだ。
 その至福を、三井はことばで手に入れる。詩人である。




三井葉子詩集 (1984年) (日本現代詩文庫〈19〉)
三井 葉子,倉橋 健一,吉原 幸子
土曜美術社

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