詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

新川和江「影の木」

2012-01-03 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
新川和江「影の木」(「現代詩手帖」2012年01月号)

 きのう読んだ長谷川龍生のことばにはうそがなかった。「誤読」を許してくれる「遊び」がなかった。東日本大震災のことを書いているのだから、「遊び」を期待してはいけないのだろうけれど。
 私はだらしがない人間なので、きょうは、また違った感じの詩と向き合い、ことばを動かしたい気持ちである。
 正月だからね--と、少し言い訳をして……。

 新川和江「影の木」は、ことばの楽しみ、ことばでしかたどりつけない楽しみ触れている。
 庭の模様替えをしたとき、ガレージをつくった。西側には窓はなく壁だけ。そばにはアオハダという珍しい木を植えた。西日が傾くと、壁に木の影が映り、小鳥が遊ぶ姿もシルエットで映し出された。それを見たくて新川は西側を窓のないガレージにしたのだった。ところが……。

 しかし虫がついたか土質が合わなかったか、数年
してアオハダは立ち枯れた。隅に追いやっていたマ
キの古木を戻しましょうか、といいながら植木屋は
アオハダを処分したが、何も植えずに置きましょう
とわたくしは言った。そうした或る日、陽が西に回
った頃にわたくしの目は、まざまざと見たのだった。
ガレージの壁に、在りし日のアオハダが、くっきり
と影を写しているさまを。

 ここまでなら、この詩は、清水哲男が書きそうな「抒情詩」である。精神が見た幻--それを美しいことばで定着させる。その幻の条件は、必ず「過去」である。過去の何かがいまも生きている。こころのなかに。それが、ふっとこころから飛び出して具体的なもの(形)になる。それは「もの/過去」なのか、それとも「精神/いま」なのか--という問いのなかで抒情は完結する。
 --はずである。
 が、なんと、この詩には思いもかけないもう1連の「付録」がある。

 長長と陳べてはきたが、ここまでは前置きに過ぎ
ない。特筆すべきは、その影が、もはや木の影では
なく、影の木として固有の名を持ち、西陽を受けて
壁面で、今も確実に成長を続けていることである。
虚虚実実。ほどほどの嘘をつきもしてものを書いて
はきたが、まもなくわたくしもその一生を終える。
影の木よりもお粗末な詩行をいくつかあとに遺すこ
とになるが、その枝に、空の深みを知る者が、せめ
てひとたびなりと止まりに来てはくれないものか。
翡翠色のまばゆき羽を持つカワセミなどでなくても
いい。ヒガラやコガラ、つばさに斑ひとつ持たない
フナシウズラであっても。

 「長長と陳べてはきたが、ここまでは前置きに過ぎない。」というのは散文そのものの奇妙なことばだが、それ以上に、「特筆すべきは、その影が、もはや木の影ではなく、影の木として固有の名を持ち、西陽を受けて壁面で、今も確実に成長を続けていることである。」が変である。
 そんなこと、ありえないでしょう。非科学的でしょう?
 新川は、それにつづけて「ほどほどの嘘をつき」と告白(?)しているが、いま、ここに書いていることこそ、嘘そのもの。
 木が枯れた、そしてそれを切った--ということを知っている新川が、壁に木の影を見るというところまでは、まあ、ほんとうらしい。しかし、その新川の見た木の影が、いまは固有の影の木になって壁面で成長している、というのは「事実」ではなく、新川の精神だけが見ている世界--つまり新川のことばだけがたどりついた「嘘」。
 でもねえ。
 この、あまりにも見え透いた「嘘」がとてもいいのだ。
 あ、詩がここにある--と言おうとして、いや、ここじゃない、と私は書きながら思う。ここは、やっぱり、嘘。大嘘。実は、つまらない「抒情」。
 しかし、そのあまりに人工的な抒情詩をたたき壊して、これを詩にしていることばがある。

長長と陳べてはきたが、ここまでは前置きに過ぎない。

 という、奇妙な散文--その直前の影の木の誕生の抒情をぶち壊すような散文の「正直」に詩がある。この正直が、「特筆すべきは」以後のことばを深いところで支える。
 「特筆すべきは」以後の一文は、もちろん嘘。
 そして、その嘘は「ほどほどの嘘をつき」以後の「正直」を語るための方便である。「正直」をそのまま、言えない。だから「嘘」を最初に言って、読む人に、これは嘘なんですよと冗談で言う感じで「ほんとう」を語るのだ。
 だれかのこころのなかで、わたくし(新川)の詩が影の木のように大きくなって、その木にだれかが遊びに来てほしいと「ほんとうの願い」を書いている。
 この、遠回り。
 遠回りしてしか言えないことば--その正直。
 これはいいなあ。
 正直を隠そうとする恥じらい--恥じらいのなかにある正直は、いいなあ。

新川和江詩集 (ハルキ文庫)
新川 和江
角川春樹事務所
コメント
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