詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(3)

2014-03-25 23:59:59 | カヴァフィスを読む
カヴァフィスを読む(3)               

 「アキレスの馬」。

パトロクロスの死を見て
アキレスの馬は泣きだした。
ああ、勇敢な勇士、それもあんなに若くて--。
馬たちは不死だったが
死の仕業を見せつけられて動転した。

 中井久夫の訳は、ことばの選び方が複雑である。「馬は泣きだした」の「泣く」は、ふつうは人間につかうことばであって、動物の場合はつかわない。「泣く」が感情をあらわすからだ。動物には人間の感情はないから「泣く」とは言わない。
 けれども、詩だから、流通言語ではないのだから、そういう逸脱が許される。また、そういう逸脱が詩というものなのだろうと思う。
 この書き出しでは、「泣く」以外にも、「動転した」にも私は何か似たような感じをもった。人間には「動転した」という表現はあっても、動物にはどうだろう。つかわれているのを読むと「意味」はわかるが、自分では書かないなあ(言わないなあ)と思う。もっと動物っぽい制御できない動きをあらわす動詞をつかうと思う。めちゃめちゃに飛び跳ねた、制止を振り切って逃げようとした、とか。--そういう激しい動きを「動詞」そのものではなく、「動転」という「名詞」で表現している。(動転するは、「動転」という名詞から派生した動詞だと私は思う。ことばとしては動詞よりも名詞の方が先に成立していると思う。)このために、何か、その「動転した」が人間的に見える。理性で自分を見つめなおしている感じがする。そのために、馬が人間に見えてくる。
 「見せつけられて」にも何かそれに通じるものがある。何かを単に見るのではなく、見せつけられる。そこには見せつける人間がいる。見せつける人間がいて、見せつけられる人間もいる。
 ここでは人間と動物(馬)が区別のない「肉体」のように動いている。まるで神話である、と思っていると……。

ゼウスは 不死の馬の涙をみそなわし
哀れを催され のたもうた。「ペレウスの結婚式での
わしのふるまい、軽率じゃった。

 「みそなわす」「のたもう」という現代ではつかわない「文語」っぽい表現が出てくる。「じゃった」という「口語」も出てくる。
 一篇の詩のなかで「調子」の違うことばがぶつかりあう。そのぶつかりあいが、事件そのものの何か以上に、「こころ」を感じさせる。そこで何が起きているか以上に、その起きたことを見た「こころ」で何が起きているのかを教えてくれる。中井久夫の訳は、「こころ」で起きていることを訳で再現している。


カヴァフィス全詩集
コンスタンディノス・ベトルゥ カヴァフィス
みすず書房
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野仲美弥子「風の鳴る音」

2014-03-25 11:16:43 | 詩(雑誌・同人誌)
野仲美弥子「風の鳴る音」(「幻竜」19、2014年03月20日発行)

 野仲美弥子「風の鳴る音」は、夫を亡くし、さらに納骨式を終えたあと、「夫愛用の椅子」に座りテレビを見る、というはじまり。

チャンネルを合わせる間
テレビは何時も通り従順だった
けれど いざ番組が始まると
待ちきれないとばかりに切れたのだ
大型花火の後のように
画面は真っ暗になった

真っ暗な夜はずっと続いた
押しても引いても 明けても閉じても
びくともしない真っ暗な夜
頑固に押し黙った不機嫌な
救いようのない夜

どうして? 何故?
寿命にはまだ間があり
故障のきざしもなかったのに

夫のせいだ
わたしにはピンときた

 なんでもないようだけれど、「夫のせいだ/わたしにはピンときた」がいいなあ、と思う。それまでの連は、ことばがまだるっこしい。故障したテレビの様子が長々と書いてある。私は、一度途中を省略して引用したのだが、省略したのでは、その長々しい、くだらない描写のくだらなさがわからないと思い、省略をやめて引用しなおした。--しかし、これは意地悪でそうしているのではなく、「夫の……」の2行のおもしろさを語るためである。
 それまでの行と、どこが違うか。
 それまでの描写はテレビの描写にすぎない。テレビの「できごと」、テレビに何が起きたかということしか書いていない。これは、どんなに書いてもつまらない。テレビが突然映らなくなった以上のことは「起きていない」。
 これに対して「夫の……」は野仲の「こころ」のなかに起きたことである。これが、おもしろさの理由だ。
 こころのなかだから、他人には何が起きたのかわからない。けれど「ピンときた」という表現に思い当たることはある。野仲の「ピンときた」と私が肉体でおぼえている「ピンときた」は実際には重ならないのだが「ピンときた」という変化、動きの感覚は重なる。理由はないけれど、何か「肉体」のなかに、「頭」ではどうすることもできない「ほんとう」があざやかに見える。「これだ」と思う。
 で、何が野仲のこころのなかで起きたか。こころのなかで起きていることは何か。それが次の連からはじまる。

テレビをこよなく愛した夫
晩年 お気に入りの椅子に座り
テレビを見ることが
唯一の楽しみだったのだ

骨になっても 部屋の片隅から
テレビを見ていたに違いない
みたいチャンネルをわたしが廻さないのに
地団駄を踏みながら
(略)
明日からテレビのない暗闇の世界に
行かなければならない
耐えきれなくない哀しみが爆発し怒りになって
残されたわたしにぶつけられたのか
お前も見るな と

 こころのなかで起きたことは「誤読」である。野仲のかってな「解釈」である。それがテレビの故障という「物理」とほんとうに関係しているかどうかはわからない。関係していないというのが「現代物理」の世界観だが、そういう「現象」はどうでもいい。
 テレビの故障をきっかけに、こころのなかで死んでしまった夫が動く。
 その夫の動き、夫をそういう人間として見る(思い出す)という「こと」が起きている。ここには野仲のこころの「できごと」が書かれている。
 こころのなかでは、夫は気に入りの椅子に座っている。テレビを見るのを楽しみにしている。生きているときはチャンネルを渡さなかった。チャンネルを渡さないと怒ったのだ。いま、夫はチャンネルを切り換えることができない。きっと地団駄を踏む。さらにもうテレビが見られないとわかるとカンシャクを起こし、「お前も見るな」と理不尽な要求をぶつける。
 ここに描かれている「夫像」に目新しいものはないかもしれない。けれど、その目新しくないものが、現実に動くのではなく、野仲のこころのなかで動く--それは、野仲にとってはじめてのことである。いつも経験してきたことの繰り返しに似ていても、それははじめて。
 そして、それは、野仲の夫への気持ち。
 あ、こんなふうに愛していたのか、こんなふうに愛されていたのか。
 テレビのチャンネルの奪い合いなんて、愛とは関係がないようだけれど、いっしょにいて、そこに「できごと」が起きるなら、そこにはやっぱり「愛」も動いている。それに気がつかないだけである。--と、書いてしまうと、センチメンタルなドラマになってしまうが……。
 それでも、この詩がセンチメンタルな流通詩になっていないのは、「夫のせいだ/わたしにはピンときた」の2行があるからである。その2行は、一見、それこそ「流通言語」に見えるけれど、そして「流通言語」であるという理由で詩には書きにくい表現なのだけれど。ここに、不思議な力がある。なまなましく、「こと」が起きている。「ピンときた」としか言いようない「こと」の存在を教えてくる。
 この2行をそのままにして、あとの部分を切り詰め、15行前後に整理すると、きっと谷川俊太郎の書いているような詩になる。「こと」をこころのなかに起きたことにしぼって書く、とてもおもしろいものになると思う。

 「夫の……」以下で書かれていること、「こころのなかのできごと」は、繰り返しになるが、「誤読」である。現実的な正しい世界に対する解釈とは言えない。死んだものの「思い」が物理に働きかける(物理がそういうものの影響を受ける)というのは、間違っている。
 でも、その「間違い」のなかに不思議な欲望がある。正しい欲望がある。本能がある。それは野仲が夫を愛していた、そして夫が野仲を愛していたと「わかる」正しさだ。人を愛するというのは、それがどんな形をとるにしろ「正しい」ものを含んでいる。そんなテレビはおもしろくない、こっちの方がおもしろいんだと我を張ることさえ、自分の欲望をさらけだして生きるという「ほんとう」を含んでいる。その「ほんとう」を受け入れてほしいという「絶対的な欲望」が動いている。
 こころのなかに起きている「こと」を書けば、それが詩なのだ。「愛している」という気持ちではなく、テレビのチャンネルを奪い合ったというような「こと」、思い通りにならないと地団駄を踏んだ、怒りを爆発させたという「こと」を、そのまま「こと」として書くとき、そこに「愛」が生まれてくる。
 あ、野仲と夫は仲がよかったんだ、と「わかる」でしょ? 「仲が悪かった」と野仲が言い張ったとしても、仲がよかったんだとつたわってくるでしょ? それが「愛」なんだろうなあ。「愛し方」が「わかる」と言いなおせばいいのかな?
 「ピンときた」ということばが、そういう「こと」のすべてを引き出すきっかけになっている。

野仲美弥子詩集 (新・日本現代詩文庫)
野仲 美弥子
土曜美術社出版販売
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