カヴァフィスを読む(3)
「アキレスの馬」。
パトロクロスの死を見て
アキレスの馬は泣きだした。
ああ、勇敢な勇士、それもあんなに若くて--。
馬たちは不死だったが
死の仕業を見せつけられて動転した。
中井久夫の訳は、ことばの選び方が複雑である。「馬は泣きだした」の「泣く」は、ふつうは人間につかうことばであって、動物の場合はつかわない。「泣く」が感情をあらわすからだ。動物には人間の感情はないから「泣く」とは言わない。
けれども、詩だから、流通言語ではないのだから、そういう逸脱が許される。また、そういう逸脱が詩というものなのだろうと思う。
この書き出しでは、「泣く」以外にも、「動転した」にも私は何か似たような感じをもった。人間には「動転した」という表現はあっても、動物にはどうだろう。つかわれているのを読むと「意味」はわかるが、自分では書かないなあ(言わないなあ)と思う。もっと動物っぽい制御できない動きをあらわす動詞をつかうと思う。めちゃめちゃに飛び跳ねた、制止を振り切って逃げようとした、とか。--そういう激しい動きを「動詞」そのものではなく、「動転」という「名詞」で表現している。(動転するは、「動転」という名詞から派生した動詞だと私は思う。ことばとしては動詞よりも名詞の方が先に成立していると思う。)このために、何か、その「動転した」が人間的に見える。理性で自分を見つめなおしている感じがする。そのために、馬が人間に見えてくる。
「見せつけられて」にも何かそれに通じるものがある。何かを単に見るのではなく、見せつけられる。そこには見せつける人間がいる。見せつける人間がいて、見せつけられる人間もいる。
ここでは人間と動物(馬)が区別のない「肉体」のように動いている。まるで神話である、と思っていると……。
ゼウスは 不死の馬の涙をみそなわし
哀れを催され のたもうた。「ペレウスの結婚式での
わしのふるまい、軽率じゃった。
「みそなわす」「のたもう」という現代ではつかわない「文語」っぽい表現が出てくる。「じゃった」という「口語」も出てくる。
一篇の詩のなかで「調子」の違うことばがぶつかりあう。そのぶつかりあいが、事件そのものの何か以上に、「こころ」を感じさせる。そこで何が起きているか以上に、その起きたことを見た「こころ」で何が起きているのかを教えてくれる。中井久夫の訳は、「こころ」で起きていることを訳で再現している。
「アキレスの馬」。
パトロクロスの死を見て
アキレスの馬は泣きだした。
ああ、勇敢な勇士、それもあんなに若くて--。
馬たちは不死だったが
死の仕業を見せつけられて動転した。
中井久夫の訳は、ことばの選び方が複雑である。「馬は泣きだした」の「泣く」は、ふつうは人間につかうことばであって、動物の場合はつかわない。「泣く」が感情をあらわすからだ。動物には人間の感情はないから「泣く」とは言わない。
けれども、詩だから、流通言語ではないのだから、そういう逸脱が許される。また、そういう逸脱が詩というものなのだろうと思う。
この書き出しでは、「泣く」以外にも、「動転した」にも私は何か似たような感じをもった。人間には「動転した」という表現はあっても、動物にはどうだろう。つかわれているのを読むと「意味」はわかるが、自分では書かないなあ(言わないなあ)と思う。もっと動物っぽい制御できない動きをあらわす動詞をつかうと思う。めちゃめちゃに飛び跳ねた、制止を振り切って逃げようとした、とか。--そういう激しい動きを「動詞」そのものではなく、「動転」という「名詞」で表現している。(動転するは、「動転」という名詞から派生した動詞だと私は思う。ことばとしては動詞よりも名詞の方が先に成立していると思う。)このために、何か、その「動転した」が人間的に見える。理性で自分を見つめなおしている感じがする。そのために、馬が人間に見えてくる。
「見せつけられて」にも何かそれに通じるものがある。何かを単に見るのではなく、見せつけられる。そこには見せつける人間がいる。見せつける人間がいて、見せつけられる人間もいる。
ここでは人間と動物(馬)が区別のない「肉体」のように動いている。まるで神話である、と思っていると……。
ゼウスは 不死の馬の涙をみそなわし
哀れを催され のたもうた。「ペレウスの結婚式での
わしのふるまい、軽率じゃった。
「みそなわす」「のたもう」という現代ではつかわない「文語」っぽい表現が出てくる。「じゃった」という「口語」も出てくる。
一篇の詩のなかで「調子」の違うことばがぶつかりあう。そのぶつかりあいが、事件そのものの何か以上に、「こころ」を感じさせる。そこで何が起きているか以上に、その起きたことを見た「こころ」で何が起きているのかを教えてくれる。中井久夫の訳は、「こころ」で起きていることを訳で再現している。
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