中井久夫訳カヴァフィスを読む(6) 2014年03月28日(金曜日)
「ろうそく」は死者にささげる灯明を描いているのだが、老いた男色家の自画像のようにも見える。ろうそく暖かい輝きに目がゆき、その描写をしがちである。カヴァフィスも一連目では「金色に輝く」と書いているのだが、それは二連目以降の弱々しいろうそくを対照的に浮かび上がらせるためである。
まだ、死なずに生きている。だから死者に灯明をささげることができるだが、思い出すのは過ぎ去った日々。「置き去った日」というのは、「老人」の「楽しまずに過ごした歳月」を思い起こさせる。あるいは「強く賢く見目よかった時」を思い起こさせる。その記憶があるからこそ、最後の火をともしながら、形がくずれてしまったろうそくが目にさわる。「もう冷たい」がきびしい。火がともっているのだから冷たくはないはずである。熱があるはずである。しかし、「もう」を感じ取っている。詩人とは、現実にあるものをとおして、これから起こることを見てしまう人のことである。
カヴァフィスは、これから起きる老年をろうそくに見ている。
「もとの光」の「もとの」は「過去の」という意味と同時に「本来の」という意味を含んでいるだろう。「過去の」輝きこそ「本来の」輝きである。それに対して「いまの」輝きは「本来のものではない」。「怖い」というのは、年をとると「本来」ではなくなるということをも意味する。ほんとうのカヴァフィスを失っていく、「本来」を失うことが怖いのである。
最後の「仲間」ということばが、ろうそくを「もの」から「人間」にかえる。そして、そこに男色のかなしい秘密がある。単なる「列」ではないのだ。共有した秘密があるのだ。それが「列」を「仲間」にかえる。
「ろうそく」は死者にささげる灯明を描いているのだが、老いた男色家の自画像のようにも見える。ろうそく暖かい輝きに目がゆき、その描写をしがちである。カヴァフィスも一連目では「金色に輝く」と書いているのだが、それは二連目以降の弱々しいろうそくを対照的に浮かび上がらせるためである。
過ぎた日 過去に置き去った日は
燃え尽きたろうそくの陰々滅々の列。
いちばん手前のは まだくすぶっているが
曲がって 溶けて もう冷たい。
まだ、死なずに生きている。だから死者に灯明をささげることができるだが、思い出すのは過ぎ去った日々。「置き去った日」というのは、「老人」の「楽しまずに過ごした歳月」を思い起こさせる。あるいは「強く賢く見目よかった時」を思い起こさせる。その記憶があるからこそ、最後の火をともしながら、形がくずれてしまったろうそくが目にさわる。「もう冷たい」がきびしい。火がともっているのだから冷たくはないはずである。熱があるはずである。しかし、「もう」を感じ取っている。詩人とは、現実にあるものをとおして、これから起こることを見てしまう人のことである。
カヴァフィスは、これから起きる老年をろうそくに見ている。
見たくない、過ぎた日のろうそく。恰好も悲しい。
もとの光を思えば いっそう悲しい。
私は前を見る、私の燃えて輝くろうそくを。
ふりむきたくない。見たくない、怖い。
黒い列がなんと速く伸び、
なんと早く また一本 死んだろうそくが仲間に加わることか。
「もとの光」の「もとの」は「過去の」という意味と同時に「本来の」という意味を含んでいるだろう。「過去の」輝きこそ「本来の」輝きである。それに対して「いまの」輝きは「本来のものではない」。「怖い」というのは、年をとると「本来」ではなくなるということをも意味する。ほんとうのカヴァフィスを失っていく、「本来」を失うことが怖いのである。
最後の「仲間」ということばが、ろうそくを「もの」から「人間」にかえる。そして、そこに男色のかなしい秘密がある。単なる「列」ではないのだ。共有した秘密があるのだ。それが「列」を「仲間」にかえる。