中井久夫訳カヴァフィスを読む(8) 2014年03月30日(日曜日)
「老人の魂」の、肉体のとらえ方が私にはよくわからない。
この書き出しは、最終行で言いなおされている。
「身体の中」と「皮膚の内側」が重なり合う。そして、その皮膚は「糸の見えるまで」と具体的に「ボロ」の状態が説明される。
布は新しいとき(若いとき)、目がつまっている。たしかに糸は見えない。
「ボロ」というとき、私は、破れたりほつれたりしているものを想像するが、「糸の見えるまで」というのは、そういう状態とは少し違うようである。乱暴に扱ったためにボロになったのではなく、丁寧に扱ってきたけれど、だんだんやせて、糸そのものが細くなって織り目が見えてくる。それはほんとうにボロなのだろうか。年代物の貴重な品物のように思えてくる。
そう思ったとき、詩のなかほどにある行が輝いて見える。
「愛する」とは大切にすること。ただ愛するのではなく「いたく愛する」。「甚し」、激しく--これは真剣にということかもしれない。「とても」を超えている。「貴重なものとして」という価値判断が働いているかもしれない。
そして、この「いたく」は「甚だしく」という意味を超えて、私には「痛く」という具合にも感じられる。自分の身体が「痛む」くらいに真剣にと読みたい。自分の肉体を犠牲にしても守り抜いた価値、という印象がある。
肉体の痛みのように、魂の痛みを感じている。老人の魂の「痛み」が、老人の肉体をすかして見えると言いたくなる。
「老人の魂」の、肉体のとらえ方が私にはよくわからない。
擦り切れ、ボロになった身体の中に
老人の魂が座っている。
この書き出しは、最終行で言いなおされている。
糸の見えるまですりきれた年代ものの皮膚の内側に。
「身体の中」と「皮膚の内側」が重なり合う。そして、その皮膚は「糸の見えるまで」と具体的に「ボロ」の状態が説明される。
布は新しいとき(若いとき)、目がつまっている。たしかに糸は見えない。
「ボロ」というとき、私は、破れたりほつれたりしているものを想像するが、「糸の見えるまで」というのは、そういう状態とは少し違うようである。乱暴に扱ったためにボロになったのではなく、丁寧に扱ってきたけれど、だんだんやせて、糸そのものが細くなって織り目が見えてくる。それはほんとうにボロなのだろうか。年代物の貴重な品物のように思えてくる。
そう思ったとき、詩のなかほどにある行が輝いて見える。
生活をいたく愛し
「愛する」とは大切にすること。ただ愛するのではなく「いたく愛する」。「甚し」、激しく--これは真剣にということかもしれない。「とても」を超えている。「貴重なものとして」という価値判断が働いているかもしれない。
そして、この「いたく」は「甚だしく」という意味を超えて、私には「痛く」という具合にも感じられる。自分の身体が「痛む」くらいに真剣にと読みたい。自分の肉体を犠牲にしても守り抜いた価値、という印象がある。
肉体の痛みのように、魂の痛みを感じている。老人の魂の「痛み」が、老人の肉体をすかして見えると言いたくなる。