松岡政則「土徳」(「交野が原」76、2014年04月01日発行)
松岡政則「土徳」。「土徳」というのは地名かなあ。それとも「土地の徳(いいところ)」という意味かなあ。そんなことばがあるかどうか知らないが、私は勝手に考える。辞書は、引かない。他人のことばで何かを「知る」よりも、自分で考えることの方が私は好きだ。あ、これは「考える」ではなく、「事実をでっちあげる」こと、意味を捏造すること、ことばを「誤読」すること--なのかもしれないけれど。でも、「その土地のいいところ」と考えたいなあ、そういう思いを揺さぶる詩だなあ。
「みな平地人に……」からの3行、土地のことばがまじった会話が何を意味しているのか、よくわからない。「同行」とか「当番」とか、わからないまま、これってお遍路の路の界隈? そんなことを思うのは「長生き」とか「バチ」ということばの影響だが、「長生きしすぎるとバチがあたるんじゃが」という「思想」は強いなあ、「肉体」そのものだなあ、と感じる。「長生きして苦しむよりも、適当なところ(?)でぽっくり死んでしまうのがいいなあ」とお年寄りがよく言う「口調」が、わからないことをすべて吹き払う。死ぬことを、こんなふうにして人間は納得していくのである。自分ひとりであれこれいうのではなく、仲間とあって、無駄口をたたいて、そのなかで少しずつ「自然」を納得する。人間だから、死にたいわけではない。でも死ななければならない。その死をどうやって受け入れるか。受け入れられるはずがない。だから、何度も繰り返して語り、何かを納得するんだろうなあ。
哲学は死の練習といったのはソクラテス(あるいはプラトン)だが、そんなややこしい「定義」をしないまま、ひとは練習している。生きることのすべてが死ぬことの練習。生きているひとは、みんな知っている。
「せきららな聲」の「せきらら」は「赤裸々」なのだろうけれど、こんな意味剥き出しの表記ではなく「せきらら」がいいなあ。「きらら」が明るく反射している。「せき」も「せせらぎ」の透明さが凝縮している。
土地のばあさまが話す強い哲学(形而上学なんて必要としない哲学)に、意味が洗い流されて、「いのち」の絶対純粋(?)とでも呼ぶべきものになっている。
は逆な言い方をすれば、「ここ」でしっかり生きてきた聲(ことば/哲学/思想)である。人間は、何もほかの土地へ行く必要はない。生まれてきたところで生きればいい。ほかの土地、他人を侵略して「生きる」のではなく、「いま/ここ」を生きる。生きている。その実感が聲(ことば)を鍛えている。
そういう聲に比べれば、よそからやってきた松岡の聲は、なんの力も持っていない。ほかの土地では有効かもしれないが、ばあさま相手にはまったく無効である。無力である。自分のことばが無力であるということ、自分の思想(肉体)とは違う聲があると知ることだけが、自分を鍛える方法である。--あ、何か、論理が飛躍ししてしまったね。
詩にもどる。
「なんで藍がまじるのか」はわからないが、そのあとの「川のなまえ」からのやりとりが楽しいなあ。ものにはなまえがある。でも、必要がないときもある。「川」だけで十分。川が一本だからだろう。ほかの川と区別する必要がない。それが「土地」に生きることである。
松岡はいつでも「聲」を聞きとる。松岡は「声」ではなく「聲」と言う「耳」を含んだ文字をつかうが、そのこだわりにも「耳」を生きているという意識があるからだろう。「耳」で「ことば」の奥にあるものを聞きとる。そうやって聞きとった「ことば(思想)」が「聲」である。
「学がなあけぇ知らんのよ」は「学」は必要ない、そんなものがなくても生きていける(生きて来れた)という宣言である。「せきらら」な「学」に対する批判である。この批判に答えられる思想(哲学)は、たぶん、ない。生きるのに必要なことは、生きている「土地」を知ることだけだろう。その「土地」に生きてきたひとの、その生き方を知れば、生きていける。そうやって生きてきた。
この生きたかはたしかに「徳」(正しい道)と言えるだろう。
ここにもわからないことはたくさんある。「あんなふうに」という最後のことば何をさして「あんなふうに」と言っているのかはっきりしない。はっきりしないから、ばあさまたちの「肉体」を思う。「長生きしすぎるとバチがあたるんじゃが」というときの顔を思い浮かべる。「「川」としか呼んだことがなあ」とあきれる顔。「学がなあけぇ知らんのよ」と開き直る顔。
どこまで開き直れるか--「土地を正しく生きている人(土地の徳を体現する人)」は問うのだが、これに答えるのは難しい。答えられないのは「おかしい」し、また「哀しい」。こたえられないと「わかり」、その「わかる」なかに、何かを松岡はつかんでいる。だから、ことばを動かし、それを「つかんだ」という経過を書く。
何をつかんだか--それは書けない。しかし、「つかんだ」と感じたときに動いたものをていねいに書く。そのとき聞いた「聲」を大事に書き留め、そこに残しておく。それが松岡の詩の方法である。
松岡政則「土徳」。「土徳」というのは地名かなあ。それとも「土地の徳(いいところ)」という意味かなあ。そんなことばがあるかどうか知らないが、私は勝手に考える。辞書は、引かない。他人のことばで何かを「知る」よりも、自分で考えることの方が私は好きだ。あ、これは「考える」ではなく、「事実をでっちあげる」こと、意味を捏造すること、ことばを「誤読」すること--なのかもしれないけれど。でも、「その土地のいいところ」と考えたいなあ、そういう思いを揺さぶる詩だなあ。
ばあさまが莚にすわって
干したぜんまいを撚っている
ぼくもしゃがんでまぜてもらう
みな平地人になりたがって、
いまは同行も当番もなあ安気なものよ、という
長生きしすぎるとバチがあたるんじゃが、と笑う
土くれ相手の
せきららな聲だ
ここでしか生きられない聲だ
「みな平地人に……」からの3行、土地のことばがまじった会話が何を意味しているのか、よくわからない。「同行」とか「当番」とか、わからないまま、これってお遍路の路の界隈? そんなことを思うのは「長生き」とか「バチ」ということばの影響だが、「長生きしすぎるとバチがあたるんじゃが」という「思想」は強いなあ、「肉体」そのものだなあ、と感じる。「長生きして苦しむよりも、適当なところ(?)でぽっくり死んでしまうのがいいなあ」とお年寄りがよく言う「口調」が、わからないことをすべて吹き払う。死ぬことを、こんなふうにして人間は納得していくのである。自分ひとりであれこれいうのではなく、仲間とあって、無駄口をたたいて、そのなかで少しずつ「自然」を納得する。人間だから、死にたいわけではない。でも死ななければならない。その死をどうやって受け入れるか。受け入れられるはずがない。だから、何度も繰り返して語り、何かを納得するんだろうなあ。
哲学は死の練習といったのはソクラテス(あるいはプラトン)だが、そんなややこしい「定義」をしないまま、ひとは練習している。生きることのすべてが死ぬことの練習。生きているひとは、みんな知っている。
「せきららな聲」の「せきらら」は「赤裸々」なのだろうけれど、こんな意味剥き出しの表記ではなく「せきらら」がいいなあ。「きらら」が明るく反射している。「せき」も「せせらぎ」の透明さが凝縮している。
土地のばあさまが話す強い哲学(形而上学なんて必要としない哲学)に、意味が洗い流されて、「いのち」の絶対純粋(?)とでも呼ぶべきものになっている。
ここでしか生きられない聲だ
は逆な言い方をすれば、「ここ」でしっかり生きてきた聲(ことば/哲学/思想)である。人間は、何もほかの土地へ行く必要はない。生まれてきたところで生きればいい。ほかの土地、他人を侵略して「生きる」のではなく、「いま/ここ」を生きる。生きている。その実感が聲(ことば)を鍛えている。
そういう聲に比べれば、よそからやってきた松岡の聲は、なんの力も持っていない。ほかの土地では有効かもしれないが、ばあさま相手にはまったく無効である。無力である。自分のことばが無力であるということ、自分の思想(肉体)とは違う聲があると知ることだけが、自分を鍛える方法である。--あ、何か、論理が飛躍ししてしまったね。
詩にもどる。
背戸のほうで
むだ吠えするのがいて
ひとりといっぴき
ないものはない自侭なくらし
あみだ仏ただ一仏をおがんできた
だれがこの土地を蔑むのか
なんで藍がまじるのか
川のなまえをたずねると
「川」としか呼んだことがなあ、という
学がなあけぇ知らんのよ、と笑う
「なんで藍がまじるのか」はわからないが、そのあとの「川のなまえ」からのやりとりが楽しいなあ。ものにはなまえがある。でも、必要がないときもある。「川」だけで十分。川が一本だからだろう。ほかの川と区別する必要がない。それが「土地」に生きることである。
松岡はいつでも「聲」を聞きとる。松岡は「声」ではなく「聲」と言う「耳」を含んだ文字をつかうが、そのこだわりにも「耳」を生きているという意識があるからだろう。「耳」で「ことば」の奥にあるものを聞きとる。そうやって聞きとった「ことば(思想)」が「聲」である。
「学がなあけぇ知らんのよ」は「学」は必要ない、そんなものがなくても生きていける(生きて来れた)という宣言である。「せきらら」な「学」に対する批判である。この批判に答えられる思想(哲学)は、たぶん、ない。生きるのに必要なことは、生きている「土地」を知ることだけだろう。その「土地」に生きてきたひとの、その生き方を知れば、生きていける。そうやって生きてきた。
この生きたかはたしかに「徳」(正しい道)と言えるだろう。
再稼働とか
バスの時刻とか
どうでもよくなってくる
柿の木のまたに
うんどう靴が干してあって
おかしくて哀しかった
あんなふうに還れたらとおもった
ここにもわからないことはたくさんある。「あんなふうに」という最後のことば何をさして「あんなふうに」と言っているのかはっきりしない。はっきりしないから、ばあさまたちの「肉体」を思う。「長生きしすぎるとバチがあたるんじゃが」というときの顔を思い浮かべる。「「川」としか呼んだことがなあ」とあきれる顔。「学がなあけぇ知らんのよ」と開き直る顔。
どこまで開き直れるか--「土地を正しく生きている人(土地の徳を体現する人)」は問うのだが、これに答えるのは難しい。答えられないのは「おかしい」し、また「哀しい」。こたえられないと「わかり」、その「わかる」なかに、何かを松岡はつかんでいる。だから、ことばを動かし、それを「つかんだ」という経過を書く。
何をつかんだか--それは書けない。しかし、「つかんだ」と感じたときに動いたものをていねいに書く。そのとき聞いた「聲」を大事に書き留め、そこに残しておく。それが松岡の詩の方法である。
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