詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小松弘愛「矮鶏」

2014-08-23 11:23:52 | 詩(雑誌・同人誌)
小松弘愛「矮鶏」(「兆」163 、2014年08月01日発行)

 小松弘愛「矮鶏(ちゃぼ)」を読む。


鏡川の上流へと自転車を走らせる
山裾の竹藪の前でブレーキをかける
数年前 ここには捨てられた雄の矮鶏がいた
あたり一面に散り敷いて
晒されたように白くなった竹の葉の上に

あの
矮鶏はどこへ行ったのだろう
人間に拾われ
ペットにされた? 食べられた?
それとも餌もなくなり……
あるいは野良犬に……
いずれにせよ
もうこの世の鶏(とり)ではあるまい

 ここまで読んで、その「もうこの世の鶏ではあるまい」という行に、なぜか、胸を打たれた。
 「鏡川の上流」にどんな用事があるのか。自転車で葬儀にゆくということはないだろう。法事か何かかもしれない。「いずれにせよ」と私は小松の一行を真似て考えるのだが、「いずれにせよ」何か人間の死と関係のあることのために行くのだろう。数年前も、そういう用事で行ったのだろう。そういう用事でもないと行かないところなのだろう。だからこそ、数年前のことがきのうのように思い出される。「年月」がぱっと甦る。
 そして、ここで、こころが動いてしまう。私の、ではなく(私も、なのだけれど)、小松のころが……。

 竹藪に捨てられし鶏刻(とき)を告げ川面の靄の晴れてゆくなり

即席の
「矮鶏をしのぶ歌」一首を作り
竹藪の一画
人間の墓に供えられた黄色い柚子(ゆず)に目をやった後

ふたたび
川沿いに自転車を走らせる
前方三キロほどの所だったか
葛の花が咲いていた岸辺には
名古屋コーチンの雄鶏(おんどり)が捨てられ
赤茶色の首を傾(かし)げていたこともあった

 うーん、何かおかしい。おかしいというと語弊があるかもしれないが、妙に、こころがひっぱられる。
 なぜ「矮鶏をしのぶ歌」なんて、わざわざ作らなければならないのか。作る気持ちになったのか。理由を書いていないのだが、書いていないから、ふっと、そのことばにならなかったものの方へこころが誘われていく。
 「人間の墓」の「人間の」ということだわり、供えられた柚子、その供え物という感じが、また、人間を思い起こさせる。誰かをしのぶ気持ちが動いている。
 「鏡川の上流」は小松にとっては大事な場所なのだ。どんなに大事かを(そこに何があるのかを)小松が書かないのは、それは小松にはわかりきったことだからである。そして、そのわかりきったことを書きはじめると、きっとことばがいくらあっても足りない。だから省略してしまう。書かずに胸の奥にしまう。
 そうすると、また「余分」なことがあふれてくる。3キロ先の、いつのことだかわからない思い出が浮かんでくる。思い出してしまう。「矮鶏をしのぶ歌」を作ったように、なぜ思い出さなければならないのかわからないが、どうでもいいことが思い浮かんでくる。そんなことで時間をつぶしているくらいなら、自転車をこいで「鏡川の上流」へ行ってしまえばいいのだが、なかなかそうはいかない。こうやって、無駄なこと、余分なことをすることが「鏡川の上流」へ行くということなのだ。「目的地」にたどりつくだけではなく、目的地に「行く」という、その動詞(行く)が大切なのだ。行かなければならないのだ。普通ならば行かなくてもいいのだけれど、きょうは行かなくてはならない。そして、その大事な「動詞」のなかに、「時間」がいろいろまじりこみ、「時間」をリアルにする。
 最後の4行は、「矮鶏をしのぶ歌」よりも、もっと余分、もっとどうでもいいことだけれど、そこに「思想/肉体」がある。矮鶏は、矮鶏が捨てられていた場所へ来て思い出したことだが、名古屋コーチンの雄鶏は、その場所にもたどりついていないのに思い出している。そんなことを思い出す必要など何もない。必要もないのに思い出すから、それが美しい。何か「純粋な時間」とでも言うべきものがある。雄鶏が首を傾げているなんて、まったく無意味な情景である。無意味であるから、何か「いま」を洗い流してくれる。そうういう美しさがある。
 「余分」(むだ)「しなくてもいいこと」というのは、きっと「純粋な時間」に属している。「流通時間」には属していない。それが、詩というものかもしれない。
 「鏡川の上流」というのがどこにあるのか私は知らないが、私は私の知っている「川の上流」への道を思い出す。山の奥へと通じる道。そういうことろへわざわざ行くのは、やっぱり葬式(法事)のときくらいしかないなあ。そして、葬式や法事というのは、なぜか「生きている」ことを感じさせる。「いま」ここに生きているものを感じさせる。
 矛盾なのだけれど。
 そういう矛盾が、この詩には、とても自然な形で動いている。
 葬式や法事に行くというのは楽しいものではないけれど、小松のように自転車に乗って、ぶらぶらと「源流」へ帰ってみるのもおもしろいかなあ。道すがら、私は何を思い出すかなあ。美しい思い出、無意味な思い出ってなんだろう。無意味だから、実際にそこに行ってみないと思い浮かばないだろうなあ。
 あ、そうすると、ここには小松の「ほんとう(正直)」が反映されているのだ。「無意味」こそ、ほんとうの「思想/肉体」なのだ。
 捨てられた矮鶏と雄鶏か……と考えるとちょっと気が滅入るが、何をするでもなくぼんやりと竹藪、川の岸辺を歩いている(つったている)鶏と、そのまわりの光景というのはなんとなく光があふれていていいなあ、と思う。風景が自然と浮かんでくる不思議におもしろい詩だった。








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禿げ頭のピカソが

2014-08-23 11:21:32 | 
禿げ頭のピカソが



禿げ頭のピカソが砂に絵を描いている
半ズボンから禿げ頭と同じ輝きの筋肉がはみ出る
太い腕、太い指でペニスのように太い棒をつかんで円を描く
強靱な輪郭からぎょろりとした眼が飛び出してくる
太陽よりもまっすぐな視線でにらみ返し角をつけくわえる

荒々しくえぐられる砂の奥のきのうの影
乾いて透明に駆け抜けるあしたの光
砂はいつまでおぼえているだろうか、その絵を
幾千幾万の中から選ばれて極彩色よりも強い線になったその日を

打ち寄せる夕暮れの波が消したのか
疲れを知らない沖からの風が消したのか
子どものやわらかな裸足が踏み荒らしたのか
永遠を拒絶した禿げ頭のピカソの自画像
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中井久夫訳カヴァフィスを読む(154)(未刊1)

2014-08-23 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(154)(未完1)   2014年08月23日(土曜日)

 「ユリアノスと神秘」は若いユリアノスが地下で「物の怪」に会う。思わず十字を切ると物の怪は消える。そして周りのギリシャ人に「奇蹟を見たか」という。「私が聖なる十字を切るのを見たら/魔はたちどころに消えたな」と。これに対してギリシャ人は笑った。そんなことを言うな。

わが栄光のギリシャの大御神々が
殿下のおん前に立ち現れたもうたのですぞ!
よしんば神々が立ち去りたもうたとしても
十字をこわがられてではありませぬ。
殿下があのいやしい野暮ったい印を
お切りになるのをごらんになられてのこと!
高貴な神の本性。当然嫌悪なされて
殿下をさげすみ 捨てなされたわけで」

 ここにはソフィストの「詭弁」がある。そこで起きた現象については、どうとでも言える。「十字架を恐れて消えた」のかわりに「十字架を信じるやつを見捨てて立ち去った」と言い換えることは簡単だ。「理由(意味)」というのはいつでも自分の都合のいいように捏造できるのである。さらに、「理由」に「神はユリアノスを蔑んだ」ということばを追加することもできる。「理由」は、こういう侮蔑によって説得力を持つようになる。
 ここまでなら詩の「声」はまっすぐでわかりやすいのだが、そのあとが難しい。

こう言われ このアホウは
ギリシャ人の涜聖のことばに説得されて
せっかくの祝福さるべき聖なる畏怖から立ちなおった。

 「このアホウ」はだれが言ったことばなのか。ユリアノスを笑ったギリシャ人(ソフィストや哲学者)なのか。それとも詩人カヴァフィスなのか。
 「ギリシャ人の涜聖のことば」があいまいである。儀式(?)をせずに、簡単に「神々」ということばを出し、またそのことば(理由)」が捏造だというのか。そういうことががギリシャの神々を冒涜しているというのか。
 「せっかくの祝福さるべき聖なる畏怖」と「立ち直る」の関係も難しい。神を実感するときの畏怖、それを簡単に忘れてしまったというのか。
 たぶん、宗教体験というのは「畏怖」を除いてはありえない。畏怖は常に感じなければならないのである。「涜聖のことばに説得され」るというのは、矛盾である。「聖なる畏怖から立ちなお」るというのも矛盾である。
 ふたつの矛盾が、矛盾のまま放り出されて、ここに存在している。そして、そこに「アホウ」というような「口語」がそのまま動き輝いているのがおもしろい。これがカヴァフィスなのだ。矛盾と、その矛盾といっしょにある「声」のなまなましさが。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
クリエーター情報なし
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