高橋順子『海へ』(書肆山田、2014年07月21日発行)
高橋順子『海へ』は「Ⅰ」と「Ⅱ」に分かれている。「Ⅱ」の作品群がとても強い。東日本大震災のことを「海」と結びつけながら書いているのだが、どのことばも「正直」そのものだ。
その「正直」は無口である。「正直」をつらぬくと、ことばが限定される。知らないことをでっちあげない、知っていることだけを、「肉体」でおぼえていることだけを語ると、どうしても口数が少なくなる。
どの一篇を選んで書こうか、ずいぶん迷ったが「飯岡石」について書いてみる。
この一連目には、東日本大震災(津波)は出て来ない。そのかわりに高橋の母が体験した竜巻と、屋根の上の飯岡石が語られている。たぶん高橋の母は、またその母から竜巻のことを聞いたのだろう。そして、竜巻の通り道だからこそ、その町では屋根の上に石を載せて被害を少なくしようとしていたのだろう。「飯岡石」のなかには、その町の「歴史」がある。
その町を、東日本大震災の津波が襲った。竜巻の道だけではなく、そこには「津波」の道もできたのか。
なかほどの「あとになって意味の分かる行動があるものだ」はとても重い。とても美しい。
「出来事は遅れてあらわれる」と書いたのは阪神大震災を体験した季村敏夫だ(『日々の、すみか』書肆山田刊)。そのことばに匹敵する「真実(正直)」がある。
人間は未経験の何かに出会ったとき、それを「消化」できない。何があったか、わからない。何をしていいのか、わからない。それで、ただわかっていることをする。
高橋は母の住んでいた町(高橋の生まれた町だろう)で、「飯岡石」をひろう。津波がさらっていった家の跡に落ちていた。それは竜巻から屋根を守るための石だった。巨大な竜巻に役だったかどうかわからないが、津波には役だたなかった。その石があることに津波は気づいていない。それが何かもわからないまま、津波はその石を残していった。竜巻のように、いったんは石を「吸い込み(のみこみ) 吐き出し」ていった。家のあった場所に。それをひろったとき、高橋は、何をするつもりだったのか。高橋にもわからない。でも、「ここに家があったなあ」と思っただろう。その「家」の記憶、そして「家」につながる母の記憶、さらに母の語った竜巻の道のことなどを思っただろう。津波が、そこに家があったことを告げるために石を吐き出して残していったのかもしれない。そういうことを思った、その思い出に、石をもってきた。
それを山吹の木の下においた。それを見つめているうちに、高橋は自分のしたことの「意味」を見つけ出した。「分かる」ということばを高橋はつかっているが、「意味」を見つけ出したのだ。
石は津波にさらわれず、流されず、昔なった場所の近くにあった。その石には、その近くですんでいたひとの「暮らし(肉体)」が宿っている。自然の巨大な災害にそなえ、できる限りのことをして暮らしていた、ひとの智恵が宿っている。津波が去ったあとも、そこに「ある」。いや、そこに「いる」。「正直」に暮らしていた「肉体」が石に宿っている。その「肉体」を高橋は見つけ出したのだ。かつて暮らしていた「肉体」の記憶、それはさらわれることはない。そこにいた「肉体」を思い起こすとき、いつでも甦ってきて、そばにいる。その「肉体」が石のなかから声にならない声を上げて、高橋を呼んでいる。その声が高橋には聞こえる。
ああ、どんなに、そこにいたかっただろう。石と同じように、そこにいたかっただろう。こんな小さな石になって、ここに「いる」肉体よ。
そこに「いる」石よ、おまえは、四十二人の死者が帰ってくるために、その場所を記憶し、生きなければならない。
高橋はそんなことばを書いているわけではないのだが、私には、そんなふうに書いているように読める。そんなふうに書いている「誤読」してしまう。
石は無力である。竜巻のとき家を守ることはできなかった。(できたこともあるかもしれないが、できなかったこともあるだろう。)そして津波のときも家を守ることはできなかった。家はまるごと海へさらわれ、そこには石だけが残った。石は無力だ。「この海は無力な飯岡石を育てた」という1連目の最後の行は違う意味で書かれているかも知れないが、私には、そんなふうに感じられる。しかし、その「無力」な石は、そこに家があったことを伝えている。そこにひとが暮らしていたことを伝えている。ひとの「正直」を伝えている。「正直」は「無力」だが、「正直」は不思議な形で生き残る。
石は「いきている人間」がいたことを知っている。
高橋は、石から、生きていた人間のことを聞いている。
だからこそ、いうのだ。
その人たちのことを知っているのだから、その二十四人の死者の魂を鎮めるための石になってください、と。
それは、高橋の祈りだ。
高橋は石をとおして祈りを発見する。
石に向かって、特に墓石に向かって私たちは祈る習慣をもっているが、高橋はそういうことも思い出しているかもしれない。
高橋は、そんなにいろんなことを書いていない、そういうことを書いていない--確かに私が書いているようには書いていない。しかし、私は、その書かれていないことばをつけくわえて読んでしまう。つけくわえずにはいられない。余分なことばをつけくわえて高橋の詩を読むと(誤読すると)、高橋の詩が私の詩になり、私の「肉体」のなかで生きはじめる。
それが私の「誤読」だ。
高橋順子『海へ』は「Ⅰ」と「Ⅱ」に分かれている。「Ⅱ」の作品群がとても強い。東日本大震災のことを「海」と結びつけながら書いているのだが、どのことばも「正直」そのものだ。
その「正直」は無口である。「正直」をつらぬくと、ことばが限定される。知らないことをでっちあげない、知っていることだけを、「肉体」でおぼえていることだけを語ると、どうしても口数が少なくなる。
どの一篇を選んで書こうか、ずいぶん迷ったが「飯岡石」について書いてみる。
「平松浜から大砂子のほうへ
竜巻が上がっていくのを何度か見た」
と九十二年を海辺の町に生きる母が言っていた
「竜巻の道があるんだよ」
竜巻は南の海から上がって 屋根屋根の
風鎮めの飯岡石(別名玉石または貧乏石)を吸い込み 吐き出し
風車のある丘のほうへ去ってゆく
この海は無力な白い飯岡石を育てた
この一連目には、東日本大震災(津波)は出て来ない。そのかわりに高橋の母が体験した竜巻と、屋根の上の飯岡石が語られている。たぶん高橋の母は、またその母から竜巻のことを聞いたのだろう。そして、竜巻の通り道だからこそ、その町では屋根の上に石を載せて被害を少なくしようとしていたのだろう。「飯岡石」のなかには、その町の「歴史」がある。
その町を、東日本大震災の津波が襲った。竜巻の道だけではなく、そこには「津波」の道もできたのか。
大津波のひと月後 崩れた塀の下から
その一部をなしていた飯岡石をひろってきた
ひろってそれをどうしようということもなかったが
東京のうちの庭に置いた
白山吹の木の根方に
あとになって意味の分かる行動があるものだ
風も津波も鎮められなかった石に
津波に呑まれた町の四十二人の死者のために
魂鎮めの石になってください
と頼むつもりだったのだ
なかほどの「あとになって意味の分かる行動があるものだ」はとても重い。とても美しい。
「出来事は遅れてあらわれる」と書いたのは阪神大震災を体験した季村敏夫だ(『日々の、すみか』書肆山田刊)。そのことばに匹敵する「真実(正直)」がある。
人間は未経験の何かに出会ったとき、それを「消化」できない。何があったか、わからない。何をしていいのか、わからない。それで、ただわかっていることをする。
高橋は母の住んでいた町(高橋の生まれた町だろう)で、「飯岡石」をひろう。津波がさらっていった家の跡に落ちていた。それは竜巻から屋根を守るための石だった。巨大な竜巻に役だったかどうかわからないが、津波には役だたなかった。その石があることに津波は気づいていない。それが何かもわからないまま、津波はその石を残していった。竜巻のように、いったんは石を「吸い込み(のみこみ) 吐き出し」ていった。家のあった場所に。それをひろったとき、高橋は、何をするつもりだったのか。高橋にもわからない。でも、「ここに家があったなあ」と思っただろう。その「家」の記憶、そして「家」につながる母の記憶、さらに母の語った竜巻の道のことなどを思っただろう。津波が、そこに家があったことを告げるために石を吐き出して残していったのかもしれない。そういうことを思った、その思い出に、石をもってきた。
それを山吹の木の下においた。それを見つめているうちに、高橋は自分のしたことの「意味」を見つけ出した。「分かる」ということばを高橋はつかっているが、「意味」を見つけ出したのだ。
石は津波にさらわれず、流されず、昔なった場所の近くにあった。その石には、その近くですんでいたひとの「暮らし(肉体)」が宿っている。自然の巨大な災害にそなえ、できる限りのことをして暮らしていた、ひとの智恵が宿っている。津波が去ったあとも、そこに「ある」。いや、そこに「いる」。「正直」に暮らしていた「肉体」が石に宿っている。その「肉体」を高橋は見つけ出したのだ。かつて暮らしていた「肉体」の記憶、それはさらわれることはない。そこにいた「肉体」を思い起こすとき、いつでも甦ってきて、そばにいる。その「肉体」が石のなかから声にならない声を上げて、高橋を呼んでいる。その声が高橋には聞こえる。
ああ、どんなに、そこにいたかっただろう。石と同じように、そこにいたかっただろう。こんな小さな石になって、ここに「いる」肉体よ。
そこに「いる」石よ、おまえは、四十二人の死者が帰ってくるために、その場所を記憶し、生きなければならない。
高橋はそんなことばを書いているわけではないのだが、私には、そんなふうに書いているように読める。そんなふうに書いている「誤読」してしまう。
石は無力である。竜巻のとき家を守ることはできなかった。(できたこともあるかもしれないが、できなかったこともあるだろう。)そして津波のときも家を守ることはできなかった。家はまるごと海へさらわれ、そこには石だけが残った。石は無力だ。「この海は無力な飯岡石を育てた」という1連目の最後の行は違う意味で書かれているかも知れないが、私には、そんなふうに感じられる。しかし、その「無力」な石は、そこに家があったことを伝えている。そこにひとが暮らしていたことを伝えている。ひとの「正直」を伝えている。「正直」は「無力」だが、「正直」は不思議な形で生き残る。
石は「いきている人間」がいたことを知っている。
高橋は、石から、生きていた人間のことを聞いている。
だからこそ、いうのだ。
その人たちのことを知っているのだから、その二十四人の死者の魂を鎮めるための石になってください、と。
それは、高橋の祈りだ。
高橋は石をとおして祈りを発見する。
石に向かって、特に墓石に向かって私たちは祈る習慣をもっているが、高橋はそういうことも思い出しているかもしれない。
高橋は、そんなにいろんなことを書いていない、そういうことを書いていない--確かに私が書いているようには書いていない。しかし、私は、その書かれていないことばをつけくわえて読んでしまう。つけくわえずにはいられない。余分なことばをつけくわえて高橋の詩を読むと(誤読すると)、高橋の詩が私の詩になり、私の「肉体」のなかで生きはじめる。
それが私の「誤読」だ。
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