詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之を読む(89)

2015-06-15 09:41:55 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
嵯峨信之を読む(89)

137 アルジェリアの歌

 この作品から「アルジェリアの歌」という章になる。「アルジェリアの歌」は奴隷になっている男へ向けた詩である。

夜ごとに
そこの壁に首をまげた奴隷の大きな影がゆれる
いつか大声で唄うために
彼は心のなかでじつと血を押し殺している

 「血を押し殺す」がなまなましい。

彼の舌はいま咽喉に縫いつけられ
彼の口は闇に釘づけされている

「舌」「咽喉」「口」と個別に語られることで、それと「心」を結ぶ「血」の動きが見えてくる。押し殺されない血が、舌や咽喉や口で暴れている。暴れているけれど、「こころ」がそれを押し殺そうともがいている。いや、もがいているのは舌、咽喉、口か。区別ができない。そこに苦しみがある。

138 会議は踊る

 搾取されるものと搾取するものが出会う「農場」を描いているのか。「農場」は実りの場であると同時に、戦いの場でもある。「アルジェリアの歌」のつづきで、そんなふうに読んだ。

世界中
いたるところが血漿を吐く季節の苺畑だ
殺し屋どもが
その苺畑の縄張り争いにいま血眼になつている
すぐ近くの高い絞首台を真夏の太陽がはげしく照りつけている

 苺の赤が真夏の太陽でさらに赤くなる。あるいは苺の赤が真夏の白い光をより濃いものにするのか。赤い色は、しかし、「殺し屋」と「絞首台」によって、逆になまなましさを弱めているように感じられる。
 「物語」に依存している詩は、嵯峨の場合、あまりおもしろくない。
 嵯峨はやはり「抒情」の詩人なのだろう。



嵯峨信之全詩集
クリエーター情報なし
思潮社

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