嵯峨信之を読む(89)
137 アルジェリアの歌
この作品から「アルジェリアの歌」という章になる。「アルジェリアの歌」は奴隷になっている男へ向けた詩である。
「血を押し殺す」がなまなましい。
「舌」「咽喉」「口」と個別に語られることで、それと「心」を結ぶ「血」の動きが見えてくる。押し殺されない血が、舌や咽喉や口で暴れている。暴れているけれど、「こころ」がそれを押し殺そうともがいている。いや、もがいているのは舌、咽喉、口か。区別ができない。そこに苦しみがある。
138 会議は踊る
搾取されるものと搾取するものが出会う「農場」を描いているのか。「農場」は実りの場であると同時に、戦いの場でもある。「アルジェリアの歌」のつづきで、そんなふうに読んだ。
苺の赤が真夏の太陽でさらに赤くなる。あるいは苺の赤が真夏の白い光をより濃いものにするのか。赤い色は、しかし、「殺し屋」と「絞首台」によって、逆になまなましさを弱めているように感じられる。
「物語」に依存している詩は、嵯峨の場合、あまりおもしろくない。
嵯峨はやはり「抒情」の詩人なのだろう。
137 アルジェリアの歌
この作品から「アルジェリアの歌」という章になる。「アルジェリアの歌」は奴隷になっている男へ向けた詩である。
夜ごとに
そこの壁に首をまげた奴隷の大きな影がゆれる
いつか大声で唄うために
彼は心のなかでじつと血を押し殺している
「血を押し殺す」がなまなましい。
彼の舌はいま咽喉に縫いつけられ
彼の口は闇に釘づけされている
「舌」「咽喉」「口」と個別に語られることで、それと「心」を結ぶ「血」の動きが見えてくる。押し殺されない血が、舌や咽喉や口で暴れている。暴れているけれど、「こころ」がそれを押し殺そうともがいている。いや、もがいているのは舌、咽喉、口か。区別ができない。そこに苦しみがある。
138 会議は踊る
搾取されるものと搾取するものが出会う「農場」を描いているのか。「農場」は実りの場であると同時に、戦いの場でもある。「アルジェリアの歌」のつづきで、そんなふうに読んだ。
世界中
いたるところが血漿を吐く季節の苺畑だ
殺し屋どもが
その苺畑の縄張り争いにいま血眼になつている
すぐ近くの高い絞首台を真夏の太陽がはげしく照りつけている
苺の赤が真夏の太陽でさらに赤くなる。あるいは苺の赤が真夏の白い光をより濃いものにするのか。赤い色は、しかし、「殺し屋」と「絞首台」によって、逆になまなましさを弱めているように感じられる。
「物語」に依存している詩は、嵯峨の場合、あまりおもしろくない。
嵯峨はやはり「抒情」の詩人なのだろう。
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