嵯峨信之を読む(76)
123 魂祭
不思議な書き出しである。「星」は、亡くなった「あなた」なのかもしれない。死んで星になった「あなた」。その「あなた」を思い出しながら夜空を見上げている。死んでいるから「寺」の上に輝くのだろう。死んでいると考えると「寺」ということばが「現実的」になる。
これは迎え火で、盆の鎮魂のための「魂祭」なのだ。ひとは亡くなったひとを「追憶」している。
この描写が、ここから少し変わる。
突然「実在」という抽象的なことばが出てくる。永遠にとどまることのできない人間のことを指している、死んだ「あなた」のことを指しているのだろう。もう「実在」していない。「あなた」は「幻」。けれど、その「幻(追憶のなかにあらわれてくる存在)」は、さまざまな稔りであふれている。「あなた」から学んだ多くのことが「尊い」ものとなって残っている。
そういうことを書いているのだ思う。
そして、そのあと「川」が具体的に描かれる。その描写が、とても美しい。書き出しに「星」があったことを忘れてしまう。
「一日をこえて」は「きょうという一日を終わって」という具合に読むこともできるが、「きょう一日」に限定せずに、永遠につづく「一日一日」をこえて、という具合に「抽象的」に読み直すこともできる。
直前の「実在」ということばが、風景を形而上学的な「比喩」に変えてしまう。嵯峨の「比喩」のなかには「形而上学(精神の動き)」が存在している。
123 魂祭
どこにあなたの星はあるのか
自由な会話がはじまるとあなたの心に星は大きくかがやきのぼり
それはいつのまにか遠くの寺の上に光つている
不思議な書き出しである。「星」は、亡くなった「あなた」なのかもしれない。死んで星になった「あなた」。その「あなた」を思い出しながら夜空を見上げている。死んでいるから「寺」の上に輝くのだろう。死んでいると考えると「寺」ということばが「現実的」になる。
村々ではここもかしこも小庭で火を焚いている
穏やかな追憶の日がもう暮れかける
これは迎え火で、盆の鎮魂のための「魂祭」なのだ。ひとは亡くなったひとを「追憶」している。
この描写が、ここから少し変わる。
穏やかな追憶の日がもう暮れかける
少しもとどまらぬ実在よ
その幻に稔る尊さよ
水の流れが一日をこえて薄くひかつて闇の中へ消えていく
突然「実在」という抽象的なことばが出てくる。永遠にとどまることのできない人間のことを指している、死んだ「あなた」のことを指しているのだろう。もう「実在」していない。「あなた」は「幻」。けれど、その「幻(追憶のなかにあらわれてくる存在)」は、さまざまな稔りであふれている。「あなた」から学んだ多くのことが「尊い」ものとなって残っている。
そういうことを書いているのだ思う。
そして、そのあと「川」が具体的に描かれる。その描写が、とても美しい。書き出しに「星」があったことを忘れてしまう。
「一日をこえて」は「きょうという一日を終わって」という具合に読むこともできるが、「きょう一日」に限定せずに、永遠につづく「一日一日」をこえて、という具合に「抽象的」に読み直すこともできる。
直前の「実在」ということばが、風景を形而上学的な「比喩」に変えてしまう。嵯峨の「比喩」のなかには「形而上学(精神の動き)」が存在している。
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