詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池井昌樹「頓と」

2015-06-12 08:49:11 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「頓と」(「臣福」101、2015年06月発行)

 池井昌樹「頓と」。いままで読んできた池井の詩とどこが違うのか。よくわからない。全行引用する。

いつもみかけたあのおとこ
ちかごろとんとみかけない
いつものこしたさけのかお
いつもいごこちわるそうで
かたすぼませてうつむいて
ばすまっていたあのおとこ
どこかへよっていたのやら
なにをおもっていたのやら
しったことではないけれど
ちかごろとんとみかけない
いつもみかけたあのおとこ
こんなところでひとりきり
ひとりごちたりわらったり
だれにもであわなくていい
なんにもおもわなくていい
どこにもいないあのおとこ

 いつものように、何回か繰り返される行が出てくる。その行の特徴は「いつも」ということばが象徴するように「かわらない」ということである。「いつもみかけたあのおとこ/ちかごろとんとみかけない」は意味としては「いつもと違っている」だが、違っていることから何かが始まるのではなく「いつもはこうだった」を思い出すがゆえに「かわらない」になってしまう。「いつもかわらない」何かを池井は思い出しているのである。
 そして、きっと「いつもとかわらない」まま「どこか」で「いつも」を繰り返しているに違いないと思うのである。そう思いながら、池井自身がその「いつもかわらない」になって「いま/ここ」で、それを繰り返している。
 「いつものこしたさけのかお/いつもいごこちわるそうで/かたすぼませてうつむいて/ばすまっていたあのおとこ」は池井自身である。その男になって「こんなところでひとりきり/ひとりごちたりわらったり/だれにもであわなくていい/なんにもおもわなくていい」と思っている。あのときだって、「いつも」の「おとこ」はそう思っていたに違いない。
 こんな変わりもしないことを書いて何になるのか。そういう批判があるかもしれない。あるとき、ある集いで何人かと話したとき「私は池井の詩がいちばん好き。池井がいるから詩を書いている」というようなことを言ったら、その何人かから口をそろえて「昔の池井の詩はよかったが、最近はマンネリだ」ということばが帰ってきた。
 うーん、きっとこの詩も、そんなふうに言われるんだろうなあ。
 でも、私は逆に考えているのである。何も変わらないのがいい。ほんとうのことは変わらない。いつまでも繰り返す。その繰り返すことのできるものだけを、ひたすら何度でも繰り返す。そうすることで「定型」になっていく。
 池井は「定型」をつくってきたのだ。「定型」へ向けて「生きる」。「生きる」ことを「定型」にととのえてきたのである。

手から、手へ
池井 昌樹
集英社
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嵯峨信之を読む(86)

2015-06-12 08:47:33 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
嵯峨信之を読む(86)

133 ユーカリの木

本当にすばらしいじやないか
ぼくたちが別れた湖のところに一本のユーカリの木が立つていたのは
日記より
アルバムより
どこにいてもその香りは別れた日を思い出させる

 嵯峨はとても視覚的な詩人である。二行目のさっと描いた湖と木の関係にもその視覚の強さを感じさせる。ほかにも木はあったかもしれない。しかし「一本の」と書くことで、水平の湖の線と、垂直の一本の木が鮮烈に浮かび上がる。
 「アルバム」ということばが「写真」の視覚をひっぱる。
 嵯峨はこれに「香り」という嗅覚を結びつける。嗅覚は人間にとっといちばん原始的、それゆえに最後まで生き残る感覚だと言われるが、たかしにそれは「肉体」の奥を揺さぶる。「肉体」の奥を揺さぶられて、別れた遠い日が、いま、ここにそのままの姿であらわれてくる。
 視覚に嗅覚を融合させることで、人間の「肉体」がリアリティーをつかんだ。

日によつて
風のぐあいで
木の匂いとユーカリの香りとほのかに混じりあう
そんな夜はことに快く熟睡することができる
ぼくはその幸福のために湖のほとりを離れたがらない

 嵯峨の詩を読むと「精神的」な詩人であるとついつい思ってしまうが、こんなふうに「肉体」的でもあるのだ。幸福を「木の匂いとユーカリの香りとほのかに混じりあう」のを肉体(嗅覚)でしっかりつかみとり、それゆえに「熟睡できる」というのは、同じ快い眠りに誘われる感じだ。その湖へゆき、ユーカリの香りを嗅ぎたくなる。
 「ぼくは」「離れたくない」ではなく「ぼくは」「離れたがらない」と「ぼく」を客観的に見ている(突き放して見ている)のも、そこに「肉体」が「ある」という印象を強くしている。


嵯峨信之全詩集
クリエーター情報なし
思潮社

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