嵯峨信之を読む(92)
143 野にかかる虹
この作品から「野にかかる虹」という章になる。
ことばが意味よりも、意味を超える過激さを求めている。「極貧」や「狂つた」という修飾語は、尋常を突き破るためのもの。「美しい」という概念を破った向うに詩を見つけ出したいのだと思う。だからこそ、そのことばは「美しい」存在と結びついてみせるのである。
この一行は、そうした精神のありようを象徴的にあらわしている。美しくないものが美しいはずの花と結びつくことで、いま/ここを破壊する。それは、しかし「いま/ここ」ではなく、「いま/ここ」へとつながっている「過去」をこそ破壊する。「美の定型」(美の伝統)を破壊しようとしている
おもしろいのは、それをただ破壊するだけではなく、ことばが次のようにつづくところだ。
破壊によって生じた「傷口」を嵯峨はすぐに修復する。「傷口」をさらに破壊してしまうおうとはしないところである。破壊から引き返してしまうのだ。
これも同じ「構文」といえるだろう。一方で「数字」という「抽象」によって精神を傷つけ、それからすぐに「抽象の刺」からの解放を夢見る。
抒情は、嵯峨においては、つねに修復され、生き延びる。「野にかかる虹」ということば、その美しさは、破壊のときも追い求められている。
143 野にかかる虹
この作品から「野にかかる虹」という章になる。
極貧の木魂がぼくを貫ぬく
眠れ眠れ
夜明けまで狂つた麦の野で眠れ
ことばが意味よりも、意味を超える過激さを求めている。「極貧」や「狂つた」という修飾語は、尋常を突き破るためのもの。「美しい」という概念を破った向うに詩を見つけ出したいのだと思う。だからこそ、そのことばは「美しい」存在と結びついてみせるのである。
バクテリヤの花咲く空よ
この一行は、そうした精神のありようを象徴的にあらわしている。美しくないものが美しいはずの花と結びつくことで、いま/ここを破壊する。それは、しかし「いま/ここ」ではなく、「いま/ここ」へとつながっている「過去」をこそ破壊する。「美の定型」(美の伝統)を破壊しようとしている
おもしろいのは、それをただ破壊するだけではなく、ことばが次のようにつづくところだ。
バクテリヤの花咲く空よ
ぼくの大きな傷口を一夜で縫い合わせよ
破壊によって生じた「傷口」を嵯峨はすぐに修復する。「傷口」をさらに破壊してしまうおうとはしないところである。破壊から引き返してしまうのだ。
蔓ばらのおびただしい数字よ
ぼくをその刺から解き放せ
これも同じ「構文」といえるだろう。一方で「数字」という「抽象」によって精神を傷つけ、それからすぐに「抽象の刺」からの解放を夢見る。
抒情は、嵯峨においては、つねに修復され、生き延びる。「野にかかる虹」ということば、その美しさは、破壊のときも追い求められている。
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