山本テオ「チューとも言わない」(「gui 」118、2019年12月01日発行)
山本テオ「チューとも言わない」はネズミの死骸を見たときのことを書いてる。
「毛並みのいい」がおかしい。「警察署の脇」もおかしい。ネズミの死骸と警察署と、どちらを先に気づいただろうか。わからないけれど、山本はネズミにかえっていく。「アスファルトの熱を確かめるように」が、なんというか、「親身」である。それが、非常におかしい。
途中を省略して。
ありえないこと(たぶん)が書かれているのだが、不自然さがない。むりに笑わせようとはしていない。
一連目に感じた「親身さ」がつづいている。「検死に回したか」ということばにさえ、妙にあたたかいものを感じる。
この「親身さ」は、どこから来ているのか。
この「生きているから」だな、と思う。「生きているから」親身になる。それは人間の「義務」というより、本能(欲望)なのだろう。生きているから、どうしても生きている相手に向き合ってしまう。死んでいたとしても、死んでいるではなくて、生きているかもしれないと思ってしまうのだ。
だから「毛並みのいい」と言ってみたり、「日陰のない」アスファルトでは、「顔をそむけ(顔がくっつかないようにして)」いると書いてしまう。熱いとわかっているから、顔をそむけるのだが、その苦しさを直接語らずに「熱を確かめるように」と言い直している。
このユーモアは素敵だなあ。
「一匹」とネズミを言い直すのも、とてもいい感じだ。「親身」とは常に「ひとり(一匹)」に対して向けられる。大勢が相手では、「親身」という感じは、なかなかむずかしい。
死んでいるはずのネズミ(死んでいたと思ったネズミ)を「生きていたなら」と想像するのも、山本の人柄を感じさせる。
*
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山本テオ「チューとも言わない」はネズミの死骸を見たときのことを書いてる。
日陰のない時間
毛並みのいいネズミが 一匹
警察署の脇で死んでいた
突っ伏して顔をそむけ
アスファルトの熱を確かめるように
「毛並みのいい」がおかしい。「警察署の脇」もおかしい。ネズミの死骸と警察署と、どちらを先に気づいただろうか。わからないけれど、山本はネズミにかえっていく。「アスファルトの熱を確かめるように」が、なんというか、「親身」である。それが、非常におかしい。
途中を省略して。
急に 風と大粒の雨
警察署の前に戻ると
さっきのネズミが いない
生き返って走り去ったのか
ポリスが見つけて検死に回したか
ネズミだとしても死骸が
雨にうたれるのは忍びないが
私は濡れてもかまわない
生きているから
夕立があらゆるものを叩く音
きっと地下にも届いている
今ごろは健康なネズミたちに囲まれて
死に損ないと 笑われているだろう
一匹が生きていたなら
ありえないこと(たぶん)が書かれているのだが、不自然さがない。むりに笑わせようとはしていない。
一連目に感じた「親身さ」がつづいている。「検死に回したか」ということばにさえ、妙にあたたかいものを感じる。
この「親身さ」は、どこから来ているのか。
私は濡れてもかまわない
生きているから
この「生きているから」だな、と思う。「生きているから」親身になる。それは人間の「義務」というより、本能(欲望)なのだろう。生きているから、どうしても生きている相手に向き合ってしまう。死んでいたとしても、死んでいるではなくて、生きているかもしれないと思ってしまうのだ。
だから「毛並みのいい」と言ってみたり、「日陰のない」アスファルトでは、「顔をそむけ(顔がくっつかないようにして)」いると書いてしまう。熱いとわかっているから、顔をそむけるのだが、その苦しさを直接語らずに「熱を確かめるように」と言い直している。
このユーモアは素敵だなあ。
「一匹」とネズミを言い直すのも、とてもいい感じだ。「親身」とは常に「ひとり(一匹)」に対して向けられる。大勢が相手では、「親身」という感じは、なかなかむずかしい。
死んでいるはずのネズミ(死んでいたと思ったネズミ)を「生きていたなら」と想像するのも、山本の人柄を感じさせる。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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