詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山本テオ「チューとも言わない」

2019-12-06 22:37:19 | 詩(雑誌・同人誌)
山本テオ「チューとも言わない」(「gui 」118、2019年12月01日発行)

 山本テオ「チューとも言わない」はネズミの死骸を見たときのことを書いてる。

日陰のない時間
毛並みのいいネズミが 一匹
警察署の脇で死んでいた
突っ伏して顔をそむけ
アスファルトの熱を確かめるように

 「毛並みのいい」がおかしい。「警察署の脇」もおかしい。ネズミの死骸と警察署と、どちらを先に気づいただろうか。わからないけれど、山本はネズミにかえっていく。「アスファルトの熱を確かめるように」が、なんというか、「親身」である。それが、非常におかしい。
 途中を省略して。

急に 風と大粒の雨
警察署の前に戻ると
さっきのネズミが いない
生き返って走り去ったのか
ポリスが見つけて検死に回したか

ネズミだとしても死骸が
雨にうたれるのは忍びないが
私は濡れてもかまわない
生きているから

夕立があらゆるものを叩く音
きっと地下にも届いている
今ごろは健康なネズミたちに囲まれて
死に損ないと 笑われているだろう
一匹が生きていたなら

 ありえないこと(たぶん)が書かれているのだが、不自然さがない。むりに笑わせようとはしていない。
 一連目に感じた「親身さ」がつづいている。「検死に回したか」ということばにさえ、妙にあたたかいものを感じる。
 この「親身さ」は、どこから来ているのか。

私は濡れてもかまわない
生きているから

 この「生きているから」だな、と思う。「生きているから」親身になる。それは人間の「義務」というより、本能(欲望)なのだろう。生きているから、どうしても生きている相手に向き合ってしまう。死んでいたとしても、死んでいるではなくて、生きているかもしれないと思ってしまうのだ。
 だから「毛並みのいい」と言ってみたり、「日陰のない」アスファルトでは、「顔をそむけ(顔がくっつかないようにして)」いると書いてしまう。熱いとわかっているから、顔をそむけるのだが、その苦しさを直接語らずに「熱を確かめるように」と言い直している。
 このユーモアは素敵だなあ。
 「一匹」とネズミを言い直すのも、とてもいい感じだ。「親身」とは常に「ひとり(一匹)」に対して向けられる。大勢が相手では、「親身」という感じは、なかなかむずかしい。
 死んでいるはずのネズミ(死んでいたと思ったネズミ)を「生きていたなら」と想像するのも、山本の人柄を感じさせる。



*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(38)

2019-12-06 11:27:45 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (午後になると顔が火照つてくる)

わが肺臓のうえに穴のように休んでいるものはなんであろう
小さな蝶のように息づいているものは何んであろう

 「穴」は「小さな蝶」と言い直され、「休む」は「息づいている」と言い直される。「なんであろう」「何んであろう」と疑問が、その言い直しを束ねる。書かれていないが「小さな蝶」の前には「わが肺臓のうえに」が省略されている。

わが肺臓のうえに穴のように「息づいている」ものはなんであろう
わが肺臓のうえに小さな蝶のように「休んでいる」ものは何んであろう

 「休んでいる」と「息づいている」を入れ替えると、「穴」が「小さな蝶」に変身、生まれ変わっていることがわかる。「穴」は「欠乏/虚無」をあらわすかもしれない。それが「小さないのち/希望」に生まれ変わる。そういう変化を生み出す「肉体」の力に、嵯峨は顔を火照らせている、と読みたい。




*

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