詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

網屋多加幸「どこへ」、池田清子「其のままに」、青柳俊哉「空中の葉」

2019-12-17 12:06:35 | 現代詩講座
網屋多加幸「どこへ」、池田清子「其のままに」、青柳俊哉「空中の葉」(朝日カルチャー講座福岡受講生作品、2019年12月16日)

どこへ  網屋多加幸

お前はどこへ行くのか
ゆっくりと命は溶け
銀の切っ先は身体を削る
氷の塊は足枷につながれ
狼は冷たい光を滴らせて
平原を見おろす

お前はどこへ行くのか
喉が凍てつき
血の滲む足枷を引き摺りながら
朝陽のまぶしさにピエールは手を翳した
眠れぬ黒い夜を過ごし雷を恐れた
唇から漏れる歌は
大地でつながる者たちに火をつけ
鉄格子の間から彼女たちの声が聞こえる

お前はどこへ行くのか
風の問いかけに
カレー市民は誇りを奪われ
はだけた胸のまま足元を見た
背中に食い込む鎖の重さに耐え
ふくらはぎを伝う血に足をすくわれ
自分の弱さに向き合えず一人涙した

お前はどこへ行くのか
陽だまりに肩寄せあい
ひとり ひとつ 同じ大地につながる
お前はいったいだれなのか
ここはいったいどこなのか
この先にいったい何があるのか
目の前には静かに引き絞った林
震える魂を抱きながら
ひとり ひとつ 自分の道を歩む
大切なものが奪われないために

 前回の講座のとき「誕生」というタイトルで発表されたものを推敲したもの。そのときは、「氷狼」と「ピエール」ということばが何を指しているのかわからない。全体の構造がわかりにくいので、リズムを工夫してみれば、という意見が出た。その意見を参考にして、推敲された作品。
 池田「『氷狼』がなくなったのが寂しい。『氷狼』はなんのことかわからなかったけれど、印象に残ることばだった。ピエールとカレー市民のことは前回も聞いたけれど、やっぱりよくわからない。」
 (ピエールはロダンの「カレー市民」に出てくる男のひとり)
 青柳「文体に前回よりも統一感がある。カレー市民とピエールのことは背景の歴史がわからないとむずかしいかもしれないけれど、全体のことば強さ、緊張感から、ピエールの意思、それを書いた作者の意思のようなものはつたわってくる。ただ、行数が多く、生命が多いのと、ことばの強さが同じなので、響いてこない部分もあるように感じられる」
 網屋「一行目を同じことばにして、リズムをそろえるようにした。だいぶ削ったつもりだけれど、もっと削った方がいいのかなあ」
 池田「前回の詩にあった『それでも/おまえは行くのか』というのも好きだったんだけれどなあ」
 谷内「私も『氷狼』(網屋の造語)はあった方がいいと思う。一連目の『氷狼』を二連目で『ピエール』と言い直し、三連目で『カレー市民』と説明しなおす。そういう展開の仕方で、書こうとしていることがだんだん見えてくる。最初の連では言えなかったことを次の連で言い直す。そうすることで世界も広がってくる。とても整理されて、イメージが掴みやすくなったと思う。リズムのことでいうと、『お前はどこへ行くのか』の繰り返しをもっと効果的にするには、最後の連の『お前はいったいだれなのか』の位置を変えてみるといいかもしれない。連の途中に置くのではなく、一行だけ独立させて六連目にしてしまう。また、『お前はいったいだれなのか』は、すでに名前も、経歴もわかっていることなので、私も前回の詩にあった『それでもお前はいくのか』の方が悲劇性というか、ドラマチックな感じになると思う」



其のままに     池田清子

川の水は流れる
其のままに、其のままに
雲も流れる
其のままに、其のままに
時も、世界も、人も
流れる、流れる
私も、流れる
其のままに、其のままに

 網屋「自然な感じがいい。そのまま、自然そのままという感じ」
 青柳「リズムがいい。リズムに感情を載せるのが池田さんの詩の特徴だと思う。『其のままに』に感じがつかわれているが印象的」
 網屋「ふつうは漢字では書かない」
 池田「ひらがなだと穏やかすぎる。川の水も雲も穏やかなときもあれば、そうでないときもある。漢字の方が穏やかだけではない強さのようなものがということがつたわるかなと思って書いた」
 谷内「『時も、』からの三行が、それまでのリズムを踏まえながらも、すこし変化している。『時も、世界も、人も』と名詞を重ねたあとで『流れる、流れる』と動詞を繰り返す。その部分に、穏やかなだけではない、単調ではないという感じが含まれていると思う。さらにそのあと『私も、流れる』と「川の水」「雲」のときにはなかった読点「、」があるのも印象的。読点自体はその前に出てくるけれど、そういうことも自然なリズムになっていると思う。少ない変化だけれど、歌謡曲でいうサビとかヤマのような働きをしていると思う」



空中の葉     青柳俊哉

落ち葉をふみしめながら
精神が空中の葉のいく枚かを投射する
空の暗い色にそまりながら
真冬の風にさびしい音をたてている
早朝の公園の高い木の葉のいく枚かを投射する
その音が心にしみて不安をつのらせる
散ることが不安なのではなく
いつ散るかもしれないことが不安なのでもなく
生きていることを 
生きて風にふかれ音をたてていることを
音をたててなにかを感じている
そのいのちを 
精神が投射するのだ

 網屋「いままでの作品とは色調が変わった。視覚的な美しさというよりも、精神の強さを描いている。『音』が詩のなかにはいることで、膨らみ、音が立体感を与えている」
 池田「落ち葉と空の感じ、空間の広がりがいいなあ」
 谷内「二行目に、精神ということばがでてくるけれど、これはほかのことばで言い直すとどんなふうになりますか」
 池田「心」
 網屋「魂、かなあ」
 青柳「心、魂は個人的なもの、という感じがする。そうではなくて、もっと個人を越えるものとして、精神ということばを使っている」
 谷内「『投射する』ということばを手がかりに読みましょうか。投射するって、どういう意味? どういうときにつかう?」
 網屋「最後の行の『投射する』は反映という感じがする」
 谷内「投射すると反映するは、違う感じがするなあ」
 池田「でも、だれが投射するんですか?」
 谷内「それを考えましょう」
 二行目の「精神」を「心」や「魂」と言い直してしまうと、青柳にとっては個人的なものになるという発言が手がかりになると思う。
 青柳の詩には形而上学的な匂いがする。個人的というよりも、何か普遍的なものを書こうとしている。
 この詩には簡単に要約すると精神と自分と落ち葉が出てくる。青柳が落ち葉を空に投射する(投げる)というよりも、精神というものが自分をつきぬけるようにして落ち葉を投げつけてくる。自分を超える精神が、その自分を超えた領域から現実の自分へ向かって落ち葉を投げつけてきて、それが自分のからだを射抜く。そのとき、青柳は、空中を舞う落ち葉そのものになる。また、それは精神の具体的な形そのものでもある。そういうことを書いているだと思う。
 空中に舞う落ち葉。そういう存在になりながら、「さびしい音をたてる」とき青柳は落ち葉を越えて「音」になる。そういう変化も起きる。こういうとき、それでは「私」とは何かということは特定できない。特定してもしようがない。「落ち葉」であり「音」であり「暗い色」であり「空」でも「風」でもある。渾然一体となって、精神世界(情景)をつくっているのだと思う。
 私はまた、「散ることが不安なのではなく」から始まる五行がとてもおもしろいと感じた。「散る」「不安」「生きる」「音をたてる」が、前のことばを追いかけるようにして(尻取りのようにして)、つながりながら変化していく。ことばが重複するのは無駄であり、もっと整理して書けるという意見もあると思うけれど、重複しながらゆらぐ感じが、青柳のこれまでの世界とは違った開かれた感じを生み出していると思う。

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*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(49)

2019-12-17 08:45:17 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (かの女の紅葉の一枚のような言葉の周りを)

 この詩は何度か転調するが、なかほどあたりに次の二行がある。

あなたはぼくらのステージに白い鴎を放たないか
豪雨を越えてきたあの白い鴎を

 「紅葉」から「白い鴎」への変化は色の変化とともに、落下から舞い上がる運動への変化でもある。また「放つ」という動詞の主語は「あなた」である。ここから「主語」が「ぼく」から「あなた」へ変化していることもわかる。「あなた」に「ぼく」は希望のようなものを託している。
 「白」は最終行で、もう一度復活してくる。

誰も知らない白いハンカチのようなふたりの小さな幸福のために

 「ぼく」と「あなた」は「ふたり」に変わり、「ふたり」であることによって「誰も知らない」存在にもなる。そして、それは「白」に象徴される生き方なのだ。







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