詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2019年12月09日(月曜日)

2019-12-09 19:54:03 | 考える日記


 精神は見えない。
 見えないものを「絶対」と規定することは危険だ。
 もし精神が間違えても、その間違いを知ることができるひとは少ない。
 精神(ことば)を過信しない方がいい。

 感性も同じではないか。
 見えているのは「感性(感覚)」ではなく、感性がとらえたものである。感性が間違えても、その間違いを指摘できるかどうか、わからない。
 感性によってとらえられたものが「ことば」として表現されないかぎり、それは他者には認識されないからである。

 これは、しかし「ことば」で書かれていること、つまり「精神」の錯乱が噴出しているだけなのではないか。

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若尾儀武「どんど焼き」

2019-12-09 15:39:10 | 詩(雑誌・同人誌)
若尾儀武「どんど焼き」(「タンブルウィード」6、2019年09月20日発行)

 若尾儀武「どんど焼き」は、全行を引用すれば、もうそれだけで、感想や批評は何も書かなくていい作品である。だからこそ、私は、あえて「ぶつぶつ」に切って、感想を書く。

タモッちゃんゆうたら
いつもいつも端(はじ)にいて
こっち来(き)い
と ゆうた時だけ心持ち寄ってきて
何べんゆうても
次にはまた端に戻る
そんなところからなんぼ手ぇ
伸ばしても
温くうなれへん

 方言である。というより、口語といった方がいいだろうなあ。いや、口調の方がいいかもしれない。自然にしゃべっている感じがする。しゃべるのは、ひとと近づくためである。そういうことを感じさせる、「開かれた」口調。「こっき来(き)い」というために、ひとは声を出すのだと思う。

輪をつくって座ったら
誰にでも自分の尻ぴったりの場所はある
教室の席みたいに名前はついてへんけど
タモッちゃんがおるかぎり
そこはタモッちゃんの場所で
他のひと
座られへん
そやさかい

 「誰にでも自分の尻ぴったりの場所はある」。この、飾り気のないことばがいいなあ。飾り気がないけれど、あたたかい。なんといえばいいのか、きっと若尾が思いついたことばというよりも、ずーっと、そういうふうに言われてきた感じがするところがいい。
 ひとに呼びかけるときの、智恵、のようなものが動いている。
 飾り気がないから、「裸」の感じ。裸あたたかさとの安心感、と言い直せばいいか。

タモッちゃん
こっちに来い
正月の燃やしもん
多かろうが
少なかろうが
そんなこと

 「そんなこと」のあとには「関係ない」ということばが省略されている。それを省略したまま、この詩の最終連。

カラの場所あたためて
どんなに温くうなったとしても
タモッちゃんおらんと
そこ
すうすうと
風の通り道や

 ね。
 私の書いてきたこと、みんな無駄でしょ?
 余計なことを書かずに、なぜ、全行をそのまま引用して、この最後が好きと書けばいいのに、と怒りたくなるでしょ?
 私は、これを読んでいるひとに、怒ってもらいたくて、あえて書いたのです。
 詩には、「好き」というだけで充分な詩がある。
 好きと感じたら、どうしてもそれを自分で独占したくなる。俗なことばで言うと、ツバをつけたくなる。「これ、私のだからね」と。ちょっとツバつけるだけでは不安になって、ぺろりと舐めてみせたくもなる。

 9月に出た雑誌なので、すでに誰かがどこかで批評しているかもしれないけれど、私はあえて「これ、私のだからね」と、遅ればせながらツバをつけておくのである。ツバつけたくらいじゃ、横取りされるかもしれないけれどねえ。
 他のひとにも食べてもらいたい。
 でも、やっぱりひとりで独占したい。
 そういう「矛盾」した気持ちを誘う、とてもいい詩だ。
 ていねいにつくられた菓子のように、そこには新しくはないけれど、繰り返されてきたものだけがもっている美しさがある。「口調」のなかには、そのひとの暮らしをつらぬくものが生きている。思想がある。--と、余分なことを書いておく。
 ツバつけというよりも、ひとかじりしておく、ということだね。

*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(41)

2019-12-09 08:27:58 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (一輪の花ということはできよう)

 「一輪の花」は比喩。女を「一輪の花」ということはできる。嵯峨は、その「一輪の花」を、次のように言い直す。

瞬時の風ということはできよう

 比喩を重ねるとき、比喩を貫くものは何だろうか。感覚か、知性(精神)か。区別はむずかしいが、そこに「ない」ものを結びつけることで、いままでつかみきれなかったものを明確にする。それは精神の運動といえるだろう。ことばは「精神」なのだ。
 だから、こんな描写が可能になる。

あのひとはつつましい足どりで感情のうえをたち去つていつた

 女を対象としてみているだけではなく、「感情」を対象としてみている。「精神」で世界をとらえなおしている。嵯峨の感情の上をと読むのが一般的だろうが、私は、女が女の感情の上を、と読みたい。愛が消えるとは、女そのものが変わることだからだ。








*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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