大森南五丁目行 | |
甲田四郎 | |
土曜美術社出版販売 |
甲田四郎『大森南五丁目』(土曜美術出版販売、2019年05月30日発行)
甲田四郎『大森南五丁目』の「床屋」。床屋にいったときのことを書いている。客の来ない床屋だ。「理髪店」ではなく。ここがポイント。
大声出したらしばらくして
おじさんが出てきた
客がない時は寝ているんだ私のように
「私のように」が味わい深い。「おじさん」は「寝ていた」とは説明しない。でも、わかってしまう。「おじさん」ではなく「おじいさん」なのだが、「私」は「私をおじさん」と思っているから(そういう気持ちが残っているから)、「おじさん」と呼ぶのである。「私のように」おじさん、と。この三行のなかに、そういう「書かれていないこと」が「書かれている」。
どっちも自分の腕で食う細々と生き残って
味わっている平和である
「どっちも」は「私のように」を言い換えたもの。「細々と」は甲田の勝手な思い込みだが、外れてはいない。わかるのである。聞かなくても、わかることがある。
わざわざ「平和」と書くのは、「平和」があやしくなっているからである。
そこに甲田の強い思いがあるのだが、きょうは、それについては触れない。
おじさんわざわざ鏡を頭の後ろに当てて
トシだと念を押してくれる
奥さんは今日は出てこない 寝ているのか
こでも甲田は、想像している。ここにも「私のように」が省略されている。「私のように」寝ている、と。あるいは「奥さん」だから、「私の妻のように」かもしれないが、「妻」も含めて「私のように」なのだ。
いつまでしょうばい出来るか
いつやめるか考えているのか
この二行は、店に出てこない「奥さん」が考えていることか。私が考えていることか。それとも「床屋のおじさん」が考えていることか。区別がつかない。この区別のつかないものがあるということが大事。区別のつかないものを「共有」という。「共有」しているものがある。そして、それは「ことば」にしなくても、つまり直接言わなくても、言って確認しなくても、「共有」しているのである。
そして、「共有」とは、こういうことである。
ここがなくなったら私困る
おじさんだけが私の首の曲げかた知っている
おじさんの剃刀のくせを私知っている
「共有」とは同じものを持つことではなく、違うものを持つことである。おじさんが、私の首の曲げ方を知っている。それに合わせて剃刀を動かす。いやそうではなく、おじさんの剃刀の当て方のくせを知っているので、私が首を曲げる。どちらが先で、どちらが後か。区別できない。区別する必要がない。それがほんとうの「共有」だ。二人が違うことをすることで「ひとつ」のことをする。それが「共有」である。そしてそれは「知る」ということでもある。
だから、こんなふうに展開する。
そうか それなら
私の作る菓子を知っている人が
数は少ないがいるんだろう
私が止めたら困るという人が
必ずいるんだろう
「知る」は「できる」でもある。自分で髪を切ることができないから床屋にゆく。自分で菓子を作ることができないから菓子を買いにゆく。小さな小さな「違い」をつみかさね、それを「共有」するとき、そこに「共同体」が生まれる。ひとりひとりが「できる」ことをする。どんなことでも「知っているひと(できるひと)」にまかせる。それはお互いの「助け合い」である。(こういうことを、日本の憲法では「公共の福祉」と定義している。)この小さな世界を、たとえば安倍は「発展性がない」というかもしれない。そのときの「発展性」とは「経済の発展性」。でも、経済の発展性だけが人間の幸福ではない。喜びではない。平和の基礎ではない。私が誰かを必要とするように、誰かが私の何かを必要としている、と感じる以上の喜び、平和な時間はないだろう。
この詩は、いま、日本で起きていることへの、強い抗議である。「私」から出発して、「私」からはみ出さない。しかし、いっしょに生きる。その平和と喜びを「共有する」。
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