ouiという女
心は清水があふれ
水の上には哀しみがただよい
かなしみには遠い夕日がさしていても
「清水」と「水の上」、「哀しみ」と「かなしみ」。わずかなことばの変化だが、その変化が「遠い」を目覚めさせる。似ている、ときには同じものと判断される。けれども、そこには違いがある。気づいた人にとっては、それは「大きな」違いなのだ。たぶん、こういう「小さな」違いから「大きな」違いへと動いていくもののうごきそのものを整え、ことばにしてみせるのが「文学(詩)」というものなのだ。
その違いを追いかける嵯峨のことばは「夕日」へとたどりつく。それは「清水」のように「かなしい」光を嵯峨に向かってあふれさせているのだろう。その光のなかで、嵯峨はただよっている。ゆれている。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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