詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(54)

2020-03-12 10:40:43 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

ouiという女

心は清水があふれ
水の上には哀しみがただよい
かなしみには遠い夕日がさしていても

 「清水」と「水の上」、「哀しみ」と「かなしみ」。わずかなことばの変化だが、その変化が「遠い」を目覚めさせる。似ている、ときには同じものと判断される。けれども、そこには違いがある。気づいた人にとっては、それは「大きな」違いなのだ。たぶん、こういう「小さな」違いから「大きな」違いへと動いていくもののうごきそのものを整え、ことばにしてみせるのが「文学(詩)」というものなのだ。
 その違いを追いかける嵯峨のことばは「夕日」へとたどりつく。それは「清水」のように「かなしい」光を嵯峨に向かってあふれさせているのだろう。その光のなかで、嵯峨はただよっている。ゆれている。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする