引力のめぐる夏野--一冊を残して
中西博子の死を悼む、と書かれている。
死んでしまった中西にとっては「土地も 空間も 何色ということがもうない」ということか。あるいは中西の死と向き合った嵯峨には、それがないということか。
詩のつづきを読むと前者であることが明確になるが、そこに書かれていることには触れないで、考えたことを書いてみる。
なぜ、死者には土地も空間もないのか。土地、空間に縛られない、自由ということか。もし、それが自分をしばるものがないという「意味」なら、そのあとにつづく「何色」というもの、中西をしばる何かだろう。つまり、他人がみた「中西像」というもの、それから自由になる。
だが、そういうことは可能か。
この嵯峨の詩自体が中西のことを書いている。人はだれでも他人を縛ってしまう。他人に「色」つきで見てしまうといいなおせばいいだろうか。
そして、それは生きているときでもそうだけれど、死んでからもそうなのだ。
それだけではなく、死んでからの場合、「色」で見ること、そこにいない人に「色」を与えることが「追悼」ということでもある。私は、あなたを、この「色」で見る(思い出す)、と語ることが追悼なのだから。
詩には「矛盾」がある。
「矛盾」があるから、それは「複数」の読み方ができ、その「読み方」には正解も間違いもない。読むという「動詞」だけが、詩を、「いま/ここ」に現実としてよみがえらせる。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
眠つた ああ 魂しいと全身で眠つた
土地も 空間も 何色ということがもうない
中西博子の死を悼む、と書かれている。
死んでしまった中西にとっては「土地も 空間も 何色ということがもうない」ということか。あるいは中西の死と向き合った嵯峨には、それがないということか。
詩のつづきを読むと前者であることが明確になるが、そこに書かれていることには触れないで、考えたことを書いてみる。
なぜ、死者には土地も空間もないのか。土地、空間に縛られない、自由ということか。もし、それが自分をしばるものがないという「意味」なら、そのあとにつづく「何色」というもの、中西をしばる何かだろう。つまり、他人がみた「中西像」というもの、それから自由になる。
だが、そういうことは可能か。
この嵯峨の詩自体が中西のことを書いている。人はだれでも他人を縛ってしまう。他人に「色」つきで見てしまうといいなおせばいいだろうか。
そして、それは生きているときでもそうだけれど、死んでからもそうなのだ。
それだけではなく、死んでからの場合、「色」で見ること、そこにいない人に「色」を与えることが「追悼」ということでもある。私は、あなたを、この「色」で見る(思い出す)、と語ることが追悼なのだから。
詩には「矛盾」がある。
「矛盾」があるから、それは「複数」の読み方ができ、その「読み方」には正解も間違いもない。読むという「動詞」だけが、詩を、「いま/ここ」に現実としてよみがえらせる。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)