詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年03月20日(金曜日)

2020-03-20 11:57:18 | 考える日記
対話していて「正義」ということばが出てくると驚いてしまう。
「対話」は正義を追求するものではない。「正しさ」さえ求めたりはしない。ただ「わからない」を確かめるためにある。
わからないから「対話」する。その結果「わからない」が残っても、それが対話というものだろう。

私はソクラテスから踏み出すことができない。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(6)

2020-03-20 11:51:32 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

塔の中の神

塔の中にゐるおまへの世界の話だ
その安全は神にとどいてゐる垂直にあるやうだ

 「塔」は「垂直」に立っている。したがって「塔の中の世界」とは「垂直な世界」ということになる。広さではなく、高さの世界。
 そして、この詩ではその「垂直」が「とどく」という動詞と一緒に動いている。
 「神」に「とどく」と「垂直」を組み合わせると、「神」の居場所は「塔の上」ということになる。簡単に言い直すと「天」(とどかない高さ)にいるのが「神」だ。
 「神」と「天」の組み合わせは「思考の定型」だが、それはどうも納得がいかない。
 「神」が「天」ではなく、すぐ隣にいてもいいし、また遥かな地平線のかなたにいてもいいかもしれない。いや、どこにもいなくてもいいかもしれない。
 私は、どこにもいなくていいと考えるので、神の存在場所としての「天=垂直のかなた」というものに疑問を持つのだろうか。「塔」が自己を「垂直」の方向に育てていくための比喩であると考えるとき、その先に「神」が存在すると考えるのは、私には自己と神の一体化、同一視のようにも感じられ、異議を差し挟みたくなる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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ちぐはぐな「情報」

2020-03-20 10:10:38 | 自民党憲法改正草案を読む
ちぐはぐな「情報」
       自民党憲法改正草案を読む/番外322(情報の読み方)

 2020年03月20日の読売新聞(西部版・14版)の一面(社会面)。新型コロナウィルスについて専門家会議が「爆発的患者増を警戒」という見出しにつづいて、

大阪-兵庫 往来自粛を/知事要請 3連休中、感染拡大防止

 という見出し。なぜ、大阪と兵庫だけ? 大阪と兵庫で感染者が増えているというのが理由だが。
 ページをめくって読み進んで行くと34面に、こういう記事がある。なぜ自粛要請をしたか。

(吉村・大阪府知事が)根拠として挙げたのは、国から派遣された専門家から示されたとする「試算」だ。大阪、兵庫両府県では19日までの1週間で感染者が約80人に増加。試算では、このまま放置すれば今後の1週間で最悪の場合、感染者が568人に増え、さらに1週間後は3374人に達するという内容だった。

 数字の大きさに驚くと同時に、私は、その数字の「具体性」さに驚いた。概数、約、ではなく、端数まできちんと書いてある。
 おかしいでしょ?
 わかっているはずの、既存の感染者については「19日までの1週間で感染者が約80人」と「約」という表現がついている。概数。
 それなのに予測の方は「568人」「3374人」と一桁の数まで明確にされている。これは、どうして?

 思うに。
 吉村が提示されたのは、新聞に書かれている「試算(数字)」だけではないのだ。そのときに必要になる医師の数、病棟の数、ベッドの数など、もっとたくさんある。そして問題は、患者数よりもそれに対応できる「医療体制」なのだ。
 だから、記事には、こんな文章がつづく。

試算では、2週間後に重症者も227人に上るとされ、吉村知事は「この数字になれば、軽症者は病院で対応できなくなる」と、感染者数を抑制する必要性を強調した。

 ここでも重症者の数は「227人」と具体的だ。その一方、確保できる病棟、ベッド数はあいまいで「軽症者は病院で対応できなくなる」と発言している。
 でも、それは「227人」だから、できなくなるのか、もっと少なくてもできなくなるのか、それは書かれていない。「100人」でもできないのだとしたら、それはいつの段階? 
 ここには可能なベッド数(確保しているベッド数、さらに追加できるベッド数)が明記されていないので、そこから「逆算」して、何人までなら、つまり、いつまでなら対応ができるかがわからない。
 こういうことは、一種の「情報の隠蔽」なのである。
 具体的な「数字」がわかったとしても、一般市民にできることはかぎられているが、認識の持ち方、自分の行動の仕方が違ってくる。パニックになるかもしれないが、落ち着かなければという意識が浸透するかもしれない。どちらになるかわからないから公表しないというのではなく、パニックにならないようにするにはどうすればいいのか、ドイツのメルケルのように冷静なことばで語りかける必要がある。
 正確な数字と、正確な「指針」。その二つが必要なのに、やっていることがちぐはぐだ。
 私の印象では、いちばん落ち着かないといけない知事が「パニック」になっている。何もしなければ、自分の責任が問われる、と思ったのだろう。もし、そう思ったのなら、単に「移動自粛」を呼びかけるだけではなく、医療システムをどうすると考えているのか、そこまで語らないといけない。このままでは「対応できなくなる」とうろたえるのではなく、そういう事態に対応するために、「ホテルを借り上げて病床を確保できるよう準備を進めている。国とも協議している」くらいのことをいわないといけない。そういう「根回し」をした上で「情報公開」しないと、不安をあおるだけだろう。

 記者にしたって、「不足する病院の対策については国と協議しているのか」くらいの質問をして、それを記事にしてほしい。記者会見で発表されたことなのだろうから。
 安倍にしろ、ふたりの知事にしろ、いちばん落ち着かないといけない人間が浮き足立っている。
 比べてもしようがないのだろうけれど、メルケルは立派だなあ。私は当事者のドイツ人ではないから落ち着いて受け止めることができるだけなのかもしれないが、あの演説のことばを聞くと、よし、落ち着いて行動しよう、という気になる。安倍や、ふたりの知事のことばでは「おいおい、おれたちに何ができる?」という疑問しか起きない。

 あ、だんだん、ずれてしまったが。
 「公表される情報」がどうも不規則すぎる。「整理した情報」を提供する意思を欠いているとしか思えない。










#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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