包丁
わたしの懊悩は
よく切れる一丁の 刃の薄い包丁を いま持つていないことだ
強調の仕方が、粘っこい。「一丁」「刃の薄い」「いま」。一行の中にことばが積み重ねられている。そのために、いちばん大事な「包丁」が見えにくくなっている。
この印象は詩を読み進むと、さらに強くなる。
嵯峨は「包丁」を書きたいわけではない。「包丁」にこだわる嵯峨自身を書きたいのだ。しかも、その目的が、
さいごに 雲母の羽のように わたしは透明になるだろう
というのだから、とても矛盾している。
昨日読んだ「水に消える」の「消える」と、この詩の「透明」は同じものだが、それよりも昨日の「ぼく」とこの詩の「わたし」が同じなのだ。
「自己」の書き方が同じなのだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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