木村草弥『信天翁』(澪標、2020年03月01日発行)
木村草弥『信天翁』は歌集。帯に、
〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
という歌がある。
非常に強く惹かれた。「まなかひにありぬ」は幾とおりにも読むことができる。ひとつは、砂浜を見ている。ひとつは、現実には見ていないが、目に砂浜が映っている。ひとつは、記憶(幻想)としての砂浜が目の中にある。ほかにも違った読み方があると思うが、私は三番目の読み方をする。そして、そう読むとき、また違ったものを感じている。
描かれた信天翁には砂浜は映っていない。その砂浜は、木村の夢なのだ。信天翁が記憶(幻想)の砂浜を目の中に閉じこめてゆったりと空を飛んでいる。どこへいくのか。だれも知らないが、信天翁は知っている、ということを木村は知っている。
そして、それは木村の夢であると同時に、その信天翁を描いただれか(画家)の夢でもある。画家は目の中に砂浜を描かなかったかもしれない。描いてなくても、この信天翁を見たら、そのひとは信天翁が見ているものが見えるに違いない、と信じて描いたのだ。
そう考えるとき、木村が見ているのは、信天翁なのか、信天翁の夢なのか、あるいは画家の夢なのか、木村の夢なのか、渾然として、わからなくなる。すべては融合してひとつになり、また、その融合したひとつのなかから、瞬間瞬間に、その「ひとつ」があらわれてきて、ゆっくりと飛ぶ。どこへ行くでもなく、漂ってみせる。
そんなことを思ったのである。
歌集を開くと、この歌には「稲田教子さん死去」という前書きがついている。信天翁は、前田さんか。白き砂浜は前田さんが向かっている世界か。歌のなかで繰り返される「あ」の響きが、その世界が「狭い」ものではなく、どこまでも広がっていると教えてくれる。つまり、「希望」のようなものとして見えてくる。「死」が「希望」というのは矛盾しているかもしれないが、「絶望」とは違うかなしさがある。
「兄・木村重信死去」という前書きの歌もある。
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
さらに、
つくつくよわが庭の木に産卵せよ黐(もち)がよいかえ山茶花よきか
「産卵」ということばがあるが、なぜか「死」を連想させる。蝉は産卵して死んでいくからだろうか。
まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛(にこげ)は
この歌にさえ、死を感じる。セックス、エクスタシーが「小さな死」だからだろうか。いや、そうではなく、もっと巨大な「死」だ。「産卵」と同じように、「生」そのものと拮抗する「死」。
信天翁の一首の「死」もまた「生」と拮抗し、その「生」は「死」と拮抗している。つまり、そこには「矛盾」のようなもの、「渾沌」のようなものがあり、それが歌を支えている。歌の「響き」を支えている。どの歌も、響きが強く美しい。
この歌集では、私がいま引用した「信天翁」の連作のあと、口語自由律の短歌が書かれている。その歌も、響きが非常に強い。読んでいて(音読するわけではないが)、思わず背筋がのびる。私の肉体の中を「声」が走っていく。
水着を剥いで引き出したつんと尖る乳首、若い固い乳房。
贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ
漢字のつかい方が堂に入っているというか、「音」を鋭敏にしている。「音」のエッジを尖らせている。その強さが、妙な不気味さを持っている。それが死を感じさせるのか、それとも死の歌を読んできたから、私が「誤読」するのか。
どちらであるか、いまは判断できない。
服部信(はっとりまこと)が死んだと恵美子さんからハガキが来た 八十九歳の死
この散文みたいな一首も、私は非常に好きだ。ありのままに、ことばが動いた。ことばが寄り道をしていない。そこに、強烈な「正直」がある。だれのための歌でもない。ただ木村自身のための歌だ。
こういう正直の前では、私は、ただ息をのむ。語りかけることばがない。何を書いても、それは「嘘」になる。
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