詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

五輪のことを語る時間はあるのか

2020-03-21 22:34:15 | 自民党憲法改正草案を読む
五輪のことを語る時間はあるのか
       自民党憲法改正草案を読む/番外322(情報の読み方)

 2020年03月21日の読売新聞(西部版・14版)の一面。トップニュースは「新型コロナ/一斉休校 延期せず」という見出し。これを読むと、新型コロナ感染が落ち着いてきたのかな、と思ってしまう。だが、簡単にはそうは言えない。
 それを裏付けるように、二番手の見出しは、

五輪「様々なシナリオ」/IOC会長 中止、議題にならず

 これは、読み方(内容の推測)がむずかしい。IOCが東京五輪について「様々なシナリオ」を考えているが、中止は考えていないと言ったらしい。「中止」ではないなら、まあ、延期か。その延期の仕方は「様々」ということだろうか。どちらにしろ、七月の開催はないということだろうなあ。
 それにしても、一面の記事には、安倍はおろか、日本の関係者の声(主張/方針)も載っていない。おかしくないか。
 かわりに29面(社会面)で「五輪どうなる・・・波紋」という見出し(4段)で反応が掲載されている。ただし、その前分には、

国内でも予定通りにの開催を疑問視する言動が表面化し始めた。

 と書かれている。
 そして、

「対応決めてない」/首相、G7で説明/トランプ明かす(1段)

 とひっそりと記事が付け加えられている。あれっ、これは、これまで安倍が主張していたことと違うぞ。そうなのだ。一種の「訂正記事」なのだ。しかも、安倍は自分で自分の発言を訂正するのではなく、トランプを利用して、トランプに語らせるという方法をとっている。
 ここから、わかること。
 どうも、安倍は「方針転換」したらしい。「東京五輪」の「7月開催」をあきらめたようだ。

 というようなことを考えていたら、2020年03月21日の読売新聞夕刊(西部版・4版)の6面(社会面)に、こんな見出し。

五輪開催方針に異論/ノルウェー五輪委「制御されるまで」(3段見出し)

 さらに、

米水泳連盟が1年延期要求(1段見出し)

 内容は、見出しどおり。
 延期や中止の主張は、これまでも少しずつ出ていたが、きょう21日の朝刊を境にして、政府(安倍)の「意見」が見出しから消え、姿を消した。これは、はっきりとした変化だ。
 おかしいのは……。(と、私は考える。)
 それならそうで、早くそう言えばいいではないか。なぜ、そうしないのか。
 ふたたび、見出しを見直してみる。朝刊1面、夕刊とつないでみる。

五輪「様々なシナリオ」/IOC会長 中止、議題にならず

五輪開催方針に異論/ノルウェー五輪委「制御されるまで」

米水泳連盟が1年延期要求

 何か気がつかない? 主語は何?
 IOC会長、ノルウェー五輪委、米水泳連盟と、いずれも「日本以外」の組織である。安倍ではない。安倍は、トランプが語ったということのなかに「伝聞」で出てくるだけで、主張していない。(過去に、こう語ったということは書かれているが。)
 これは何を意味するか。
 東京五輪が「中止(あるいは延期)」になったとき、安倍が、「海外からの要請があったので、中止することにした。世界の動きに配慮した」と「弁明」するためなのだ。安倍は、実行したい。けれども、世界が反対している、だからその声に従った、という印象を強めるための「情報操作」なのだ。
 東京五輪が中止になると経済損失がいくらということは、しきりに語られてきた。安倍が、経済を気にしていることを明確に語っている。きっと、安倍に献金している企業から苦情がくるのだ。その苦情を「だって、世界が中止しろといっているんだもん」と言ってかわすつもりなのだ。「ぼくちゃん、何にも悪い子としていな。ぼくちゃんは、東京五輪開催を願っているんだもん」というわけだ。

 この「情報操作」をだれが仕組んでいるのか知らないが、なんともはや、次に何を言うべきなのか、ことばが出てこない。
 安倍が率先して、「新型コロナウィルスで世界が苦しんでいる。いまは、コロナウィルスとの戦いに集中し、世界のために団結しよう。そのために東京五輪を中止しよう」と呼びかければ、安倍の評価も高まるだろうに、そういう決断ができない。「ぼくちゃん、何も悪くない」という言い訳しかできない。その言い訳のために、「日本以外の声」を利用している。
 情けない。

 日本でも感染者が増えている状況のなかで、「一斉休校」がどうなるかわからないが、朝刊のニュースを「一斉休校 延長せず」ではじめたのは、安倍の「新型コロナ対策」が効果を上げたと印象づけるための「操作」なのだ。
 安倍の判断とは別に、たとえば「クラスター」が発生したらしい大分市では小中学校の終了式は中止、というニュースがあった。感染者が増え続ける限りは、そういう方針をとる「現場」が必ず出てくるだろう。
 そのときはそのときで「現場の判断で休校したのであって、ぼくちゃんは無関係」と言うだけだろうなあ。「休校するなら、すればいい」と今度は突然「現場主導」に方針を転換するのだ。







#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(7)

2020-03-21 20:29:51 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

順番

たれも知らないものが手から手の闇を通りすぎたのだ

 これは何の「比喩」だろうか。
 たれも知らない「もの」と書かれているが、「もの」なのか。「手」ではないのか。手と手をつなぐ。そのつないで「手」の「つなぐ」という動詞の中を、「手」というものが通りすぎる。あるいは「つなぐ」という動詞そのものが通りすぎるのだが、動詞(動き)は固定したものとして指し示すことができないので「もの」という表現になる。
 そして、そのとき「つなぐ」にしろ「通りすぎる」にしろ、動詞というものは「名詞」に比べると「闇」のように暗いのだ。「ある」ことはわかる。しかし、その「ある」は光のなかで見えるようなものではない。
 たとえて言えば、肉体の内部で肉体を動かしている「力」。
 それは目に見えない。しかし、「ある」ことは確かだ。

 私は、いったい何を書いているのだろうか。





*

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