詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(52)

2020-03-10 08:11:13 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

ふるさと

ぼくは大きな白いキャンバスを抱えて
むかしの中央通りを通つていつた

 これは帰郷したときの様子と読むのが一般的だろう。「むかし」と書いてあるから、「むかし」を思い出している。
 だが、私は「過去」のこととして読みたい。
 「むかし」、その中央通りを白いキャンバスを持って歩いた。それは、「いま」を描くためではなく「むかし」(思い出)を描くためである。まだ若かった嵯峨が、やがてみるであろう「むかし」を描くために。
 「いま」と「むかし」は、そうやって交錯する。「いまのぼく」が思い出の(むかしの)通りを歩くのではなく、「むかしのぼく」が「いまの通り」を歩く。そのとき描くのは「むかしの通り」であり、それは「思い出」と呼ぶよりは、「現実」、いや「切実」である。「かなしさ」とか「さびしさ」と呼びたい何かである。それが「ふるさと」だ。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする