詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

もう一度、書いておこう。

2020-03-26 23:20:07 | 自民党憲法改正草案を読む
もう一度、書いておこう。(facebookからの転写)
東京五輪「延期」というのは最悪の結果を招くだろう。
新型コロナ感染は、いま、はじまったばかり。
中国は「中国での感染はおさまった」と言いたいようだが、感染者が全員退院したわけではない。さらに帰国者の感染が増えている。
どの国も「感染者ゼロ」を実現していない。
こんなときに「延期」という考えで、どう行動するつもりなのだろうか。
1年以内に終息する「必然性」はどこにもない。あえて、必然性と書いておく。終息を予測させる「事実」はどこにもまだ存在しないからだ。

いったい選手は、「いつ」を想定して自分たちの体調、ピークを調整すればいいのか。「何日前」に「いつ」を教えてもらえるのか。小学校の運動会ではない。2-3日練習すれば大丈夫というものではないだろう。

観客の方も、さらに観客を受け入れる観光施設もそうだろう。「いつ」かわからなければ計画が立てられない。
いまは、そういう計画を立てるときではないかもしれないが、大きなイベントは1年計画で準備するだろう。
「この日は五輪があるから避けて、別の日にしよう」ということも考えられないのだ。

まあ、そんなことは、どうでもいいかもしれない。

ほんとうに大事なのは、五輪を考えながら行動をするということの問題性だ。
五輪など気にせずに、いま目の前で起きている新型コロナ対策をどうするか。
そのことへの「集中力」がかけてしまう。
ただひたすら新型コロナ対策について考えることが必要なのに、それがおろそかになる。
これからどんなことが起きるのか、だれもわからない。
そのことに集中しないといけないのに、「1年先に五輪がある」というような奇妙な「目標」があっては困る。

少し振り返ってみるいい。
なぜ、安倍のコロナ対策が「後手後手」にまわったか。
五輪のことを考え続けたせいだ。
新型コロナに集中しなかったせいだ。
同じことが、「延期」の期間中、ずーっとつづくのだ。
安倍の「五輪のとき、ぼくちゃんが首相だったんだ、いちばん偉かったんだ」といいたいという欲望のために、日本は、あと1年、「ごちゃごちゃ」がつづくのだ。
ほかにいい対処方法、対策があるはずなのに、それを選択することができなくなる。
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(12)

2020-03-26 10:13:03 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくは海へ向う旅びとであつた)

ごうごうと鳴る松林がどこまでもつづいていた
そのなかへ消える遠い道があつた

 「ぼくは海へ向かった」ではなく「ぼくは海へ向う旅びとであつた」と嵯峨は書く。「ぼく」の「動詞(動き)」を書くというよりも、「ぼく」を「旅びと」と虚構化することを優先している。そのとき「ぼく」だけが虚構化されるのではなく、「海」もまた虚構化されていると考えるべきだろう。
 それは「道」にも影響する。「道」はほんらいなら「海」へつづくはずだが、「海」はつづかず「松林」のなかに消える。あるいは「松林」の「ごうごうと鳴る音」のなかに消える。しかし、それは実際には「消えない」。
 それらはすべて「遠い」という認識を明確にするためのことばなのだ。
 「遠い」何か、それは「虚構」のなかで浮かび上がる「真実」のようなものだ。そんなものは存在しない。けれど虚構によって存在するように見えてしまう。「ぼく」を「旅びと」であると言い聞かせる(自分に嘘をつく)ときに、虚構ははじまる。

*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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