詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

目玉政策?

2020-09-19 18:12:25 | 自民党憲法改正草案を読む
目玉政策?
   自民党憲法改正草案を読む/番外396(情報の読み方)

 2020年09月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

首相、目玉政策急ぐ/形態料金下げ、デジタル庁/担当相に相次ぎ指示

 多くの人がどう考えているのか知らないが「携帯料金値下げ」というのが「目玉政策」になるんだろうか。もちろん携帯の使用料が下がるのは大歓迎だが、そういうことが「社会のあり方」とどう関係してくるのか。私は、そのあたりに非常に疑問を感じている。携帯料金が下がると、社会がどう変わる?
 私は、シムフリーのスマートフォンを使っているが、月々の料金は2500円くらい。以前使っていた携帯電話が変な仕組みで月々3000円近くかかっていたので、シムフリー・スマートフォンの方が安いとわかって乗り換えた。
 こういうことは市民がある程度工夫すれば都合がつく。そういうことを「目玉政策」と言われてもなあ、と感じる。
 それにスマートフォンの料金は企業が決めるもの。もし、料金を下げることで赤字になったり、従業員の給料が下がった場合、菅は責任を持つのだろうか。料金を引き下げるために従業員が大量に解雇されたり、非正規社員に切り換えられた場合はどうなるのか。「政府が料金を下げろといっているから、従業員の給料を下げることで対応する」と経営者が言ったとき、労働者は誰に対して苦情を言えばいいのか。
 デジタル庁にしたって、いったい何がしたいのか、よくわからない。コロナ対策でも、感染者の集計をファクスに頼っていたというようなことが問題になったが、こういうことは「デジタル庁」をつくらないとできないことではないだろう。どこの会社でも「デジタル庁」などに頼らずシステムをつくっている。
 そうなると。
 デジタル庁をつくることで、どんな情報を、どう処理するか、ということを先に明示しないとおかしいだろう。同じコロナ対策で給付金のデジタル申請がうまくいかなかったというような問題は、システム構築の出発点が間違っていたということだろう。いまからデジタル庁をつくってシステム再編をするなんて、どうもおかしい。
 狙いは違うところにあると考えないといけないだろう。給付金問題では、マイナンバーカードが問題になった。マイナンバーカードが普及しないのはなぜか。「情報管理」にたいして国民が不安を持っているからだ。不都合な情報を「黒塗り公開」するような政府が、国民の情報をほんとうに守るのか。むしろ、収集した情報を国民を支配するためにつかうのではない、と国民が恐れているからだろう。「議事録」さえ公開できない政府に、どうして「個人情報」をまかせることができるだろうか。何か問題があったとき、自分の情報なのに知らせてもらえないということが起きるのではないか。つまり、かってな「情報」があつめられるのにつかわれるのではないか。
 きっとそうだろうと思う。
 「縦割り110番」も不思議な仕組みだ。市民が行政機関に何かを要請する。しかし、ここの担当ではないなどという理由でたらいまわしになる。そういう苦情を市民がいちいち「110番」するのではなく、「縦割りでは限界、横との連携が必要」と判断したら、その「現場」が主体になって組織改変を上部に訴えていけばいいのではないのか。市民があそこの組織がおかしいと思ったとしても、それは組織全体がわかって言ってることではない。そういう苦情を受けた「110番」は、それが事実かどうか、現場に再確認するという作業も必要。つまり、「市民の声」なんかではなく、「現場の組織の声」をくみ取る能力がないから「縦割り」の弊害が起きている。役人が自分の仕事以外はしたくないという意識で働いているから起きている問題。それを、なんというのか、市民が声を上げないから改革が進まないというような「転嫁」をしてもらっては、困る。
 実際の「110番」を考えてみればいい。市民の力ではできないことを処理してもらうために「110番」する。市民間の問題を受け付けるのが「110番」。
 市民間の問題ではないこと(しかし市民から見て非常識と思うようなこと)、たとえば、佐川や黒川が退職金を受け取って退職するのはおかしい、と感じてそのことを「縦割り110番」に電話したとき受け付けてもらえるのか。安倍はそのたの閣僚たちは「財務省で適切に処理した。法務省で適切に処理した」と言うだけで、その「縦の内部処理」に追認している。そういう国家組織が、いったい、どんな「縦割り」を改善しようとするのか。どこまで国民の「声」を聞く気があるのか。よりいっそう「縦割りの既得権」を守るための奇妙な組織ができるのではないのか。

 問題は違うところにある。
 携帯料金の値下げなど、企業に言うのではなく、国民に対して「シムフリースマートフォンに切り換えると料金は三分の一以下になります」と言ってみればいい。「私はそうやって、携帯料金を節約しています」と菅が言えば、それだけで状況はかわるだろう。実際に、そういうことを言えば大手企業から営業妨害と言われるかもしれないけれど。
 私の書いていることは、社会の仕組みや政策に詳しい人から見れば「でたらめ」かもしれないが、私のような素人から見れば菅の言ってることは、やっぱり「でたらめ」。
 私は間違っていてもいいから、自分の身の回りで起きていることを中心に、自分で考えてみたい。読売新聞のように「菅がこう言っているから」ということを、そのまま信じることができない。







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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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ボルヘスの詩

2020-09-19 09:52:03 | 詩(雑誌・同人誌)


ボルヘスが好き、でもスペイン語で読んだことがない、と言ったら、アルゼンチンの友人が、短い詩のページをアップしてくれた。
基本的なことばなのだけれど、私が日常つかわないことばなので、多くの単語が読み取れない。
けれど、詩はやっぱりリズム、音なのだ、ということははっきりわかる。
ものの名前をあげてゆき、積み重ねたあとで文章にする。
リズムに乗って、そのリズムで「精神の運動」をぱっと描き出す。
その最後。
duraran mas alla de nuestro olvido
を「;」を挟んだだけで、言い直す。
no sabran nunca que nos hemos ido.
そうすることで、全体のきびきびしたリズムと音の響きをつらぬく。
この部分は、ボルヘスが大好きという荘子をちょっと思い起こさせるけれどね。
やっぱり、すごいね。
奇妙なことば、奇妙な文体が多い日本の現代詩に比べると、日病に勉強になる。

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Estoy loco por espana(番外篇90)Joaquin Llorens Santa Serie. Mare Nostrum Capri

2020-09-19 06:57:10 | estoy loco por espana


?’Este es un trabajo?
?’Tres obras se convirtieron en una?
?Un trabajo va a ser tres?

El trabajo que baila en el espacio del corazo’n.

Cuando el corazo’n baila con el trabajo, un trabajo cambia innumerablemente.
Una obra se vuelve innumerable,
Innumerables obras se vuelven una.

La mu’sica nunca se detiene.

これは一つの作品だろうか。
三つの作品があつまり一つになったのか。
一つの作品が三つになろうとしているのか。

心の空間で、踊る作品。

心が作品と一緒に踊るとき、一つの作品は無数に変わる。
一つの作品は無数になり、
無数の作品は一つになる。

音楽は鳴りやまない。
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